婚約解消からの慌ただしい出奔(2)
シェリーが馬車の中から長閑な風景を眺めつつ、リラックスしていたころ。
魔ノ国ユートリア国には、シェリーが飛ばした手紙が無事辿り着いていた。国境で一度検分され、爆発などの魔法陣は組み込まれていないので、一応は問題なしとして通過した。しかし内容と差出人に問題アリと考えられ、魔王リト・サタノディアの手に届くときには、側近たちも同席していた。
滑らかな光沢のある黒い玉座に座ったリトは、胡乱な目つきで手紙を眺めた。
「…………マジかよこれ」
リトは古代竜の血を引く竜族で、赤い瞳に漆黒の髪、畏怖するほどの美しい美貌は荒々しく好戦的だ。見た目は二十五歳ほどだが、実年齢は五十である。
「間諜だとしたら、いっそ潔いですね」
そう応えたのは側近の一人、エドガー・アスモドウランメタ。褐色みあるの肌に灰色の瞳、短い黒髪の淫魔族である。怜悧で、きりりとした美丈夫だ。彼も外見は二十歳程度に見えるが、実年齢は三十五歳である。
魔族はほとんどが人間よりも長命で、外見年齢はある程度のところで止まるのだ。
「『サタノディア国王陛下、そしてユートリア国の皆様、突然のお手紙、失礼いたします――』とまぁ、このへんの挨拶はどうでもいいな。『貴国の軍部は、男女関係なく実力主義だと聞きました。私シェリー・ハノーヴァ、入隊の試験を受けさせてはもらえませんでしょうか』……おそらく仮想敵国であろう我が国に入隊したいとか、馬鹿だろうか?」
リトが言うと、「俺達の国は、世界中の仮想敵国だろうよ」という声が上がる。それはそうである。
「しかも隣国の公爵令嬢だ。――で、もうこちらに向かってるんだとよ。突然行ったら驚くだろうから、先に手紙を寄越したらしい。ご丁寧なこった」
「真面目ですね」
エドガーが穏やかに言う。
「ご令嬢が何のつもりでねぇ……。なぁ、どうするべき? 城前で追い返していいか? 国際問題にならねぇ?」
側近たちも顔を見合わせる。入隊試験を受けさせてやる道理など一つもない。
ただ……魔族の特性でもある好奇心というものが、若干疼いてしまっていた。
「とりあえず、エルラン国にいる間諜からシェリー・ハノーヴァについての情報を送ってもらいましょう。どんな令嬢なのか気になるならば、城の中に通してしまえばいい。間諜かどうかも、探知魔法を使えば嘘かどうかぐらいはわかりますし、魔法陣を用意しておきましょう。入隊試験については、その場で多少手合わせして、実力不足だと追い返せばすみます」
淡々とエドガーがまとめた。
魔法陣を踏ませての探知魔法は、基本的に捕虜や犯罪者に対して行うものである。彼があまりにサラッと言うので、リトは若干心の中で引いた。
「それでいいんじゃないっすかね」と、周りの側近たちは賛同する。この令嬢を一度見てみたかったという気持ちが丸わかりであった。
「手合わせはエドガー、お前がしろ」
リトが言うと、エドガーは薄っすらと酷薄な笑みを浮かべた。
「仰せのままに」
側近たちが苦笑いする。
「エドガー軍隊長が相手するって……誰も勝てなくね?」
◯
一方そのころ、シェリーの実家であるハノーヴァ公爵家本邸では、父である公爵と、兄であるシエルが項垂れていた。シェリーが転移魔法で消えた後、同じく急いで転移魔法を使い――陛下が宮廷魔法使いに指示を出してくれた――タウンハウスを確認した後、領地の本邸に転移したのである。
どちらもシェリーの姿はなかった。
父たちの行動を読んでいたのか、本邸のほうにシェリーの書き置きがあった。
「あの子は本気だ……」
そこには出奔について相談もなかったことの謝罪と、自分なら大丈夫だから安心してほしいこと、これまでシェリーが独自に稼いだ資金および資産の一覧と、それらを譲渡する旨が書かれていた。これで兄シエルが作ってしまった借金による負債は帳消しになる。
「『今回の失敗は入念に計画立てられていたものです。優しくてお人好しのお兄様だから、一度はハメられても仕方ありません。賢いお兄様ですもの、これからはきっと大丈夫です。後悔ばかりしていないで、いつものお兄様に戻ってください。妹はずっと応援しています』……うっ、シェリー……こんな兄でごめん……!」
震える声で手紙を読み上げたシエルはぐすぐすと泣いている。
一年前、シエルは結婚相手と考えていた恋人から手酷い失恋を受け、友人たちに誘われて自棄酒をし、賭博場に連れて行かれ大負けした上、いつの間にかとある投資話にサインしていて多額の負債を背負ったのである。実はこの恋人も友人たちも、数年前からシエルをハメるために動いていた。ハノーヴァ公爵家に打撃を与えるための、敵対勢力によるものだったとわかったのは最近のこと。
「貴族派のやつら……!」
公爵は怒りに震えながら拳を握りしめた。
大事な妹シェリーの元婚約者であるアーサー王子が恋に落ちたのは、貴族派の令嬢である。もう一つの公爵家、マリアンヌ・グロスター。シェリーとは正反対の、可愛らしく、小柄で、か弱そうな見た目の令嬢である。中身は強かに違いない。
「あの子が……どれだけ自分を犠牲にして王太子妃教育を受けていたか……!」
シェリーの婚約が決まったのは五歳のとき。中立派であるハノーヴァ公爵家と強固なつながりを持ちたいと王家から打診があり、断ることはできなかった。
婚約が決まってから、シェリーは過密スケジュールで様々な教育を受けた。魔法騎士の適正もあったため、王子をお護りする剣となれと、厳しい鍛錬も組み込まれた。傷をつくりながら必死に食らいついていくシェリーは、本人の気質もあってか、同年代では類を見ない武人に成長していく。そしてその反面、お淑やかであれ慎ましくあれ夫を立てよ、と言われる貴族令嬢の規範からは逸脱していき、陰で揶揄されることも増えていく。
シェリーとアーサー王子の関係性も、どんどん冷えていったように見えた。シェリーが才能を伸ばすたび、アーサーは嫉妬していた。アーサーは愚鈍ではないが、特別優れているわけでもない。そのため、彼を補うためにもとシェリーの教育は詰め込まれていき、自分ではなく彼女への期待を察したアーサーからは嫌悪されていく。
シェリーは王子のために頑張っているのに、アーサーとの関係性はどんどん亀裂が入っていく悪循環であった。
「裏切りだろう……アーサー王子、いや、王家の、シェリーに対する……!」
シェリーは清々しく去っていった。恨みなど露とも感じぬ、我が娘らしい、晴れやかな笑顔で。
「俺が、してやられたせいも、あるんです父上……。本当に、申し訳ございません」
「シエル、その件についてはもう責めない。お前も悔やむことをやめ、シェリーの言うようにこれからを考えなさい」
「はい、もちろんです父上」
父と息子は、顔を見合わせて頷いた。
窓の外の空は橙色に色付きはじめ、もうすぐ夕暮れがやってくる。
シェリーは今ごろ、どこでどうしているだろうか。彼女のことだからおそらく無事だろうが、それはそれとして心配である。
二人は小さくため息をついた。
◯
そろそろ書き置きを読んだころだろうか、とシェリーは仮眠から目を覚ました。
「……怒ってないといいな」
太陽が麦畑の向こうに沈みゆくころ、寄り合い馬車は宿場町に着いた。商人が中継地点によく使う町で、宿や店には困らない。シェリーはすぐに宿を探し、上等な宿の小さな一室を取った。清潔なベッドに浴室やトイレもある。
食堂で簡単に食事を済ませると、さっさと部屋に戻り身支度を済ませた。着ていた服は浴室で魔法を使って洗濯し、乾かす。殿下を連れて落ち延びた場合を想定した野営訓練もあったので、生活魔法もいくつか習得している。覚えていてよかったと、この便利さにシェリーはしみじみと感動した。
「………………我ながら、勝手な行動に出たなぁ」
ぽすんとベッドに寝転び、誰に聞かせるでもなく呟いた。流石に気を張っていたのか、体にどっと疲れがくる。それなのに頭は興奮状態のようで、寝付けれない。
「………………緊張してるの、かも」
目を閉じると、浮かんでくるのはまず家族、屋敷の皆、学友たちと王子殿下――アーサーの顔は、どれだけ思い出してもいつも苦々しい顔つきで、シェリーに向けられた笑顔が出てこない。幼少期のころはまだそんなに仲は悪くなかったはず……と思うが、アーサーはどんどんシェリーのことを嫌うようになった。
どれだけ頑張っても、無理だった。アーサーは憎々しい表情でシェリーを睨み、いつの間にか、マリアンヌ嬢と一緒にいるようになっていた。
壊滅的に相性が合わないのかもしれない。
それでもこれは、好きや嫌いで決められる結婚ではない。エルラン国と王家に仕え、アーサーとともにより良き治世へ……そういった仕事はできるはず……と思っていたが、全くもって思い違いだったらしい。
「お前は人の心がわからない……」
かつてアーサーから言われた言葉を反芻する。
いくら賢くても、強くても、致命的な欠陥があるのだという。
シェリーは目を閉じた。
眦から涙はこぼれない。
欠陥がなければ、きっと泣いていたのだろうな、と思った。




