婚約解消からの慌ただしい出奔(1)
新作よろしくお願いいたします。
序盤、キャラ多めでごちゃっとしておりますが、なんとなーく読み飛ばしていただいたら大丈夫でございます。
いよいよこの時がきたのだと、シェリーはドキドキと胸を躍らせ、固唾をのんで宰相の言葉を待つ。
「これにて、アーサー・フェンリック王子とシェリー・ハノーヴァ公爵令嬢の婚約解消が成立いたしました」
王宮の執務室、白と金で整えられた綺羅びやかな調度品に囲まれて、婚約破棄された当人は凛々しくお辞儀をした。
シェリー・ハノーヴァ、十九歳。陶器のような白い肌に、輝きを持つ象牙色の髪、平均よりも高くすらりとした体躯。サファイヤのような煌きを秘めた切れ長の瞳は印象的で、整った顔立ちは勇ましく、凛々しく、美しい。
「謹んで承ります。この身に余る、光栄なひとときでございました」
シェリーが清々しく言うと、王太子であるアーサーは苦い顔をした。金髪に青い瞳の彼も、相当に美男子である。ヒールを履いたシェリーが向き合うと、視線の高さはほぼ一緒だ。
あとこの場にいるのは、陛下、王妃、ダグラス宰相と、その息子のルーク、そしてシェリーの父であるハノーヴァ公爵である。皆、シェリー以外は沈痛であったり、不可解であったり、無念そうな雰囲気を醸し出していた。
「シェリー嬢には長らくの間、厳しい王妃教育にも耐え、我が息子を支えてくれた。それが、このような形になり、本当に申し訳ないと――」
陛下の言葉にアーサーの顔が歪む。最後までこの婚約解消に異を唱えていたのは陛下だったのである。
婚約解消の理由は色々あれど、全てはアーサーがもう一人の公爵令嬢と恋に落ちたのが発端だからだ。
「いえ陛下。お気になさらないでください。殿下が真実の愛を知ったことは喜ばしいことです」
真実の愛、とやらはアーサーの言葉から借りた。何を持って真実というのか、シェリーは三日三晩考えてもわからなかったが。
当のアーサーはシェリーを強く睨んできた。はて、と心の中で首を傾げる。かばったつもりなのだが。
「と、ところでシェリー嬢の今後についてですが――」
アーサーの不穏な空気を感じ取ったのか、ダグラス宰相が続きを話しはじめた。
シェリーに過失は一切ない。だが、長年王子の婚約者であったこと、言い方は悪いが捨てられる形であること、アーサーの恋は薄々知られているし、噂の種にされることは目に見えている。そして所謂優良物件は――シェリーと釣り合う年齢の子息はもうほぼ売り切れている。
「すぐにこんな話をするのは無作法ですが、しかし物事には然るべきタイミングというのがありまして――つまるところシェリー嬢の新たな婚約者に我がむ」
「私、出奔しようと思います」
宰相の話を遮るシェリーの堂々たる宣言に、周りの面子は目を剥いた。アーサーは「はぁ!?」と声を荒げているし、ルークは「えっ!」と声を上げ、シェリーの父の喉からはヒュッと息を吸い込む音がした。
「一年前、いえ以前から考えていたのです。もし婚約解消となれば、その後の私は社交界にとって扱いづらい存在になるだろうと。アーサー殿下の婚約者として長きにわたり仕えさせていただきましたし、新しい嫁入り先を考えようにもそのイメージは強すぎます。貴族女性らしくないと言われ続けているこのような私を、心から迎え入れたいと思う殿方もいないでしょう。私の愛するハノーヴァ公爵家にとってもお荷物になりましょう」
「シェッ、シェリー! それは違うぞ!」
父が慌てて口を挟むが、シェリーは意に介さない。
「愛する我が国、その貴族社会から、私シェリー・ハノーヴァは消えることにいたします。出奔など黙ってするものでしょうが、優しい皆様は心配してくださるかもと思い、報告しようと決めていました」
「まっ、待って、待てシェリー嬢」
ルークが、彼の父である宰相の隣を離れ、よろよろとシェリーに近づいてくる。いつもは厳しく、気がつけば睨みつけてくる眼光は弱々しい。
「皆様、これまで大変、お世話になりました」
シェリーはお辞儀をした。淑女がやるカテーシーではなく、右手を左胸に当てて礼をする騎士式のものだ。
「お父様。落ち着いたら連絡いたしますので、どうかご心配なさらず」
「ま、待てシェリー、お前一体何を」
「私が今まで稼いだ資金の一覧や、家門除籍の書類など、必要になりそうなもの一式は机の引き出しにあります。よろしくお願いしますねお父様」
「除籍!?」
素っ頓狂な声をあげる父親の両手を取り、ぐっと握りしめる。
「お兄様にはくれぐれも、よろしくお伝えください。昨今の件は優しすぎるお兄様の痛いところを突かれただけ。苦しみを知ったお兄様は、もう間違いを犯しません。妹はいつまでも味方です」
「待て、今生の別れのようなことを言うな」
「ズルズルと引き伸ばすのもよろしくありません。潔く身を引くと決めたのです。それではお父様、愛しております。しばし、さようなら!」
一歩離れたシェリーは右耳のピアスに触れた。ピンクパールの粒から白く光り輝く魔法陣が現れる。合計六つの魔法陣に囲まれて、シェリーはパチンと指を鳴らした。突如その身が消える。
高度な転移魔法である。この時を見越して、魔法陣を装飾品に仕込んでいたのだ。
嵐が去った応接間は、ポカーン………………と静寂に包まれた。
シェリーの父がガクリと膝を床に落とし、茫然自失に天を仰ぐ。
ダグラス宰相と陛下、王妃は唖然として何も喋らず、ルークは蒼白な顔をしている。長年の計画が、荒波に呑まれるが如く消え去ったのだから当然だ。
アーサーは一人、怒りに震えていた。
シェリーに過失はないし、婚約破棄の原因はアーサーだが、彼女を相手にするといつも思い通りにことが進まない。それが長年の鬱憤なのである。
「だっ、か、ら……そういうところだシェリー・ハノーヴァ!」
アーサーの叫びが響いたことなど、シェリーは知る由もない。
◯
転移魔法を使ったシェリーは王都の外れにある仮宿に着いた。五階建て集合住宅の二階で、三ヶ月前から借りている。狭い部屋はがらんとしており、テーブルはおろか食器の一つもない。長期旅行にでも行くような大きな鞄と、旅装一式、そして愛用のレイピアだけがあった。
「うん。用意しておいてよかった」
そろそろ婚約破棄されるだろうと読んでいたシェリーは、いつでも出奔できるように準備していたのである。もちろん、出奔するなど言えば周囲に止められるだろうとわかっていたので、公爵邸に戻らずとも出立できるよう避難場所をつくっておいたのだ。
淡水色のドレスを脱ぎ、体を締め付けるコルセットもぽいぽいと外していく。白いシャツと黒のベスト、すらりと長い脚に似合う黒いズボンに、藍色のジャケットを着て、灰色のマントを羽織った。ヒールの靴は脱いで揃え、茶色の革靴に履き替える。
装飾品も全て外し、ハンカチの上に綺麗に並べた。左耳に着けている、半月の形をした紫色のピアスだけは残す。どんな時も外さなかったこれはシェリーが魔法石で手作りしたものである。
シニヨンに結い上げた髪を解き、手ぐしで梳いた。
「……邪魔だな」
シェリーを髪を一つにまとめて後ろに引っ張ると、指に風の魔法を纏わせてざっくり切った。鎖骨にかかるくらいの長さになったそれを、後ろで一つに結ぶ。深緑色のキャスケット帽をかぶると、特徴的な色のシェリーの髪はきれいに隠れた。
「うん。頭が軽い」
シェリーは鞄の中から一通の魔法封筒を取り出し、魔力を込めた。貴族の封蝋印に似た用途の、シェリーの魔力印もしっかり残す。魔力印は一人として同じものがないと言われており、証明にも使えるのだ。
魔法封筒は象牙色のハヤブサに姿を変え、窓から飛び出していった。
宛先は隣国、魔ノ国と呼ばれているユートリア国のサタノディア魔王様である。
「読んでくださったらいいけどなぁ」
手紙は”万が一読んでくださったらラッキー”くらいのもので、王城に着く前に国境付近で破棄されるかもしれないとは思っている。
シェリーは続けてもう二通、魔法封筒に魔力を込めた。シェリーの出奔計画を知る公爵家のメイドと友人に、出立を知らせるためである。メイドはこの部屋を引き払ってもらうのと、置いていくドレスを回収してくれる予定である。手紙には、仕事の手当として彼女にこっそり贈っている金貨についても記している。
「お行き。今まで内緒で話し相手になってくれてありがとう、と伝えて」
目が覚めるような青い鳥に変化した封筒は、小さく頷いて空に飛んでいった。
シェリーはレイピアを腰に差し、ずっしり重い鞄を軽々持つ。顔を隠したその風体はお忍び中の騎士のようだ。
「本格的に捜索される前にさっさと関所を出てしまわないと」
部屋を出たシェリーは王都から出る西の関所に向かい、寄り合い馬車に乗り込んだ。荷台に座るタイプのもので、乗客はほかに七名ほど。ちらりと不躾な視線で見られるが、シェリーが愛想よくお辞儀をすると会釈が返ってきて、それからは興味を持たれずに済んだ。
快適とは程遠く、ガタガタガタンと揺られる馬車の中、シェリーの気分はかつてなく爽快で、自由だった。
初めて、自分がやりたいように勝手をしている。
シェリーの目指す場所は西。
ユートリア国に出奔し、実力主義の魔王軍で自分の力を試すのだ。




