急転直下(7)
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優秀な部下たちのおかげで順調である。シェリーの父、ハノーヴァ公爵もなかなか良い。礼儀を忘れず、卑屈でもなく、冷静で賢い。リトが好む人材である。
リトがようやく、ほっと一息コーヒーを飲んでいるときだった。ぴっかぴかの顔をしたエドガーが帰ってきたのは。手には紙が一枚、不思議そうな顔をしているシェリーが後ろに一人。
リトはめざとく、二人の左薬指に嵌まった指輪を見つけた。内心、頭を抱える。
(おま……お前っ……! 混乱に乗じてマジでやりやがったな!)
エドガーは得意げな視線を返してきた。シェリーはこいつの正体を知ったほうがいい。
今この場にいるのはリトと軍の隊長格が二名、文官が三名だ。公爵がいないことは運がいいのか悪いのか。
「リト、証人になって受理してください」
すっと差し出してきたのは婚約誓約書。滅多に使わない……むしろ使ったことがあるのかすら不明の書式である。そんなものがどうしてスッと出てくるのか。二日前、エドガーが血迷ったようなことを言い始めたからだ。
『俺ね、シェリーさんを絶対エルランには帰したくないんですよ。もう結婚しようと思って』
『ハァ?』
『流石に今すぐ結婚は断られますかねー……。婚約だったらイケるか? ほら、帰国要請を断る方法の一つとして……アリだな、イケるな』
『お前……何言ってんの?』
ちょうど、リトとエドガー二人しかいないタイミングだった。
『え? だから、シェリーさんを合法的に囲い込む方法ですよ。名案だと思いませんか』
『…………』
至極真面目な顔して言うエドガーにリトは絶句した。エドガーは血迷ってなどいなかった。本気である。今、目の前でそういった資料をバラバラとめくって探している。
『婚約を法的に証明するものってないですかね。婚約なんてわざわざ契約しませんしね……あ、婚約宣誓書っていうやつが一応ありますね。ふぅーん……誰が作っておいたのかは不明ですが気が利いてる。これを使います』
『これを使います、ってお前さぁ……』
『シェリーさんは忠義に厚い人です。俺のことも、好意的には思ってくれている。そして今、そこに利が絡む。うまいこと騙くらかせますよ』
エドガーは美しい笑みをたたえた。非常に悪い顔である。リトはドン引いた。
『騙くらかすって……それでいいのか、エドガー』
『長年両想いの幼馴染み同士で結婚したリトにはわからないでしょうね。シェリーさんね、モテるんですよ。そりゃあ美しくて強くて心根が素直で人間族ですからね? こうなることはわかってたけど、俺もハマるなんて思ってもなかった。悠長にやってらんねーの。手に入れることが先決。とりあえず囲って婚約者だと錯覚させて、外堀埋めて退路をなくしていく方針でいくから協力よろしく』
本気だ。話している途中から声もどんどん低くなり乱暴な言葉遣いに変わっていく。エドガーの本性である。普段は丁寧に喋っているのは、印象が良く見えて仕事がしやすいからだ。
『ハマるって……本気で好きってこと?』
何を言っても無駄だろうから、リトはそれだけ聞いてみた。
エドガーは一瞬動きを止め、ふっと息を吐いた。
『そういうのは本人に言います』
ああそうですか。
――と、そんなことがあったので、婚約宣誓書が実用されようとしている。
シェリーをうまく騙くらかせたエドガーは、それはもう爽やかな笑顔を振りまき、肌は艶々していた。
「軍隊長、それ何ですか?」
一番隊隊長が質問してしまう。その質問を待ってましたと振り向いたエドガーが堂々と宣う。
「俺とシェリーさんの、婚約宣誓書です」
この場にいる一同の時が一瞬止まり、次いで「ハァッ!?」という声が重なった。シェリーは少々不安げに視線を落とした。全部アイツが悪いので、どうかそんな顔をしないでとリトは願う。
「えっ、なんっ……どういうことです?」
「エルラン行けばきっと帰国要請が出るので、それを断る口実に」
「はぁ……口実、に……」
一番隊隊長はもの凄くもの言いたげな様子でエドガーを見るも、本人は何処吹く風である。
「シェリーさんはそれでいいんですか? 大丈夫ですか?」
一番隊隊長は矛先を変え、シェリーのほうを向いた。シェリーはぱっと顔を上げ、申し訳なさそうに返事をする。
「色々とお手数おかけして申し訳ないと思っております。エドガー様の経歴に影を落とさないか心配ですが、前持って対処いただけるのは有り難いです」
「そうですか……」
シェリーは本当にそう思っているのだろうな、と感じられた誠実な声だった。だからこそ一番隊隊長は口を噤んだのだろう。
ここにいるシェリー以外の皆が思っている。エドガーは経歴に影などつかせるつもりは毛頭無い。この婚約を本物にする気だと。
シェリーのために皆が沈黙を選び、エドガーが笑みを深めたのを眺める。悪い奴め……。
「それで、リト。お願いします」
エドガーに急かされる。婚約誓約書には優美なエドガーのサインと、流麗なシェリーのサインがある。
(あーあ、書いちゃってるよ……)
リトは憐れみの視線をシェリーに送った。可哀相に。
証人の欄にサインをしながら、リトはもう一つ訊ねてみた。
「なぁ、その指輪どうした?」
「揃いの指輪があるほうが信憑性が増すでしょう? オリハルコン製です」
エドガーの得意げな顔を胡乱げに見つめる。なんですぐ揃いの指輪をぴったりサイズで用意できるんだよ。怖いわ。いけしゃあしゃあとよくもまぁ。
文官二人も心底恐ろしそうなものを見る目でエドガーを眺めていた。
「はい、サインしたぞ。……これにて、エドガーとシェリーの婚約が相成った。おめでとう」
「ありがとうございます」
お手数おかけします、とシェリーは深々と礼をする。
(迷惑をかけるのはこっちなんだよな……ごめんな、シェリー殿……エドガーをよろしく頼む……)
エドガーが目を細める。心底嬉しいのを押し殺しているのだろう。リトからすると不気味にしか思えない。
こいつ、本気で恋をするとこんな感じなのか。




