急転直下(6)
会議から三日後、フレッドはハノーヴァ公爵を連れてきた。転移魔法陣を駆使して公爵領まで行き、説明と説得するのに一日。二日目、公爵を連れて同じ道程で国境まで移動して魔ノ森に踏み入り、迎えに行ったエドガーが転移魔法を行使し王宮までひとっ飛び。
出迎えに待っていたシェリーを見つけると、公爵は思わずといった様子で目を涙でいっぱいに潤ませた。
「シェッ……シェリー……! 元気そうだな……!」
父は単身でやって来た。シェリーの兄は同伴すると言っていたらしいが、何かあったときにはお前がハノーヴァ公爵になるのだぞ、と置いてきたようだ。
「お父様もお元気そうで何よりです。またお会いできて良かった」
「まっ……また会えて良かったとか言うなよぉぉぉ」
今生の別れのつもりだったのか、と泣きながら抱きしめられる。シェリーは父の背中を優しくさすりながら、エドガーをはじめとする皆の生ぬるい視線に耐えた。
(こんなに泣くような人だったかな。……私がそうさせたのか)
「ごめんなさい。こんなに早く会えるとは思っていなかったので。来てくれてありがとう、お父様」
「フレッドも自国に旅立ったと思っていたのに、まさか国内で密偵みたいなことしているとは……。お前たちは本当もう……」
それについてはすみませんと二人同時に謝罪した。
「相談してくれとは思ったが、自分たち二人で動いたほうが良いと判断したのだろう? よくやった。誇りに思う」
父は抱擁をやめ、シェリーの頭に手を置いた。昔から父は褒めるときにそうする。
そうしてエドガーに向き直ったときは、父親でなく公爵の顔に変わっていた。
「我が国の者が無礼を働こうとしているご様子。詳しく話をお聞かせください」
そのまま一行はリトのいる会議室へ向かい、長い話し合いが始まった。公爵は終始冷静で、エルラン国に肩入れもせず、誠実な政治家として議論を交わしていた。
シェリーの誇りである。
その翌日、自治集落が襲撃された。大半の男たちが魔の森奥へ狩りに行く――その隙を狙っての襲撃だった。これは作戦であり、誘い出されたのは襲撃者たちのほうである。
結果は一網打尽であった。襲撃者は傭兵崩れが六名、国境近くに待機させていた馬車と仲間が四名である。全員拘束して輸送され、王城の地下牢に収監された段階でシェリーは報告を受けた。
「なんとあっさり……」
シェリーのこの二年間の懸念が、あっさりと解決した。これで終わりではないが、第一は誘拐されて酷い目に遭う人が出ないか心配だったのだ。
「来るとわかっていたので。何の被害も出なかったのはシェリーさんのおかげです。ありがとうございます」
「いえ、そんな……皆さんが信じてくれたからこそです」
「……少しは心配が晴れましたか?」
今はエドガーと執務室で二人きりである。
ここ数日、襲撃者を捕縛したあとの計画と準備に忙しかった。普段の業務も短時間だけしておきましょう、と連れ出されたのはこの話をするためだったのだ。
「気付いていらしたのですね」
「それは勿論。少々、肩身が狭くもあったでしょう。シェリーさんを責める人は誰もいませんし、むしろ有り難いと思っていますが、シェリーさん自身の気持ちは別でしょうし」
「はい、そうです……」
祖国の者が、と申し訳なく思う気持ち、うまく計画を潰せるか不安な気持ち、そして恥ずかしい思い……。
ユートリアに来てから一番、心細い日々だった。
「いつもの場所だったら、少しはシェリーさんの気が休まるかなと。ここには俺しかいませんし」
「そのとおりですね。こんなときに休んでいいのか罪悪感はありますが、ほっとしています」
それはエドガーがシェリーを思いやってくれているからこそでもある。
これから襲撃者たちに情報を吐かせ、彼らに変身して敵地に乗り込む予定である。出発は明日、襲撃後の帰路で魔獣に追われたことにして、仲間の半分がやられ、時間もかかったという設定でいく。誘拐された少女の役はマデラがやるそうだ。行き先が商人でもダズワード伯爵でも構わない。彼らの本拠地で証拠を集め、できることなら捕縛、あまりに多勢に無勢であれば速やかに撤退、という計画である。
今ごろ、やけに堅牢な地下牢で、自白魔法や何やらが展開されているのだろう。
「シェリーさん。念のため婚約者となりませんか」
シェリーはきょとんとした。突然何を言われているのかわからない。
空耳だろうかとエドガーを真っ直ぐ見た。エドガーは真剣な眼差しだった。
「俺と婚約者にならないか、と言いました」
「えっ……」と喉から小さく声が出て、シェリーの顔が燃えるように熱くなった。
「計画が思い通りに進めば、シェリーさんは先陣を切ってエルラン国に行きますよね。きっとそのとき、あなたは国に帰って来いと言われる。でも俺は帰ってほしくない。シェリーさんも、ユートリアにいたいと言ってくれた。そうですよね?」
「は、はい」
エドガーは一歩ずつシェリーに近づいている。
「明確に断れる理由があったほうがいい。例えば、婚約や結婚。それも国の有力者と――例えば俺とか」
「それは……そうかも、ですね」
「でしょう? 俺はシェリーさんが婚約者だから国に帰したくないと言えるし、シェリーさんもそう。名案だと思いませんか?」
エドガーが両手でシェリーの手を掬い上げて包んだ。嫌だったらすぐ振りほどけるような、そっと優しい力である。エドガーの表情はどこまでも真摯で、けれども冷たい灰色の瞳の奥に熱を感じ、シェリーは囚われたようにぼうっとした。頭がくらくらする。のぼせているのかもしれない。
「名案かも、しれません……」
「大丈夫、フリでいいですから。ユートリアの皆には帰国拒絶対策だと言っておきますし、公爵殿にもきちんと説明しますので」
「あっ……はい……」
フリでいいと言われて、心臓がヒュッと氷漬けにされたような痛みを覚えた。それを悟られないよう、シェリーは視線をそっと落とす。
エドガーはシェリーの気もしらないで、シェリーの左の薬指をぐにぐにと触り始めた。口元がほのかに笑んでいる。
「婚約を提案しようと思って、これも用意したんです。それっぽいものがあるほうが信憑性は増すでしょう?」
エドガーが胸ポケットから出したのは指輪だった。黄色みのある銀色のシンプルなもので、すっとシェリーの指に嵌める。そのあと自分の左薬指にも同じ指輪を嵌めた。
「ぴ、ぴったり……」
「オリハルコンです。魔法の触媒としても使えますよ」
「お、お揃いですか」
「婚約者というのはそういうものでは?」
「そうですね、その通りです」
有無を言わせない圧のようなものも感じる。
「ユートリアでは、これだけで婚約が成り立つのでしょうか」
「本人たち次第ですね。しかし騙す相手はエルラン国ですから誓約書も作りましょうか」
フリなのに誓約書を作って大丈夫なのだろうかと思ったが、エドガーに見つめられたら頷いてしまった。エドガーは目を細め、優しく慈愛たっぷりの微笑みを浮かべる。愛しくてたまらないと勘違いしてしまいそうな笑みでもあり、愚かだなぁと可愛がられているようにも見えた。
自分らしくない、と思いながらもシェリーは何も言えなかった。
(この人相手なら騙されても仕方ない……敵わない)
白旗宣言である。




