お姫様と教育(3)
一週間後のダンスレッスン日、シェリーが午前の鍛錬を終えると、倉庫の前にはメイド姿のルルリがいた。バスケットを片手に、シェリーを見つけるとこちらに駆け寄ってくる。
「シェリー様、今日はお時間がありませんのでこのまま来てください」
「わかりました。例のアレですね。よろしくお願いいたします」
何だ何だとこちらを見てくる隊員たちに会釈して、シェリーたちは王宮の方面に向かった。
「行儀が悪いですが、時間節約のため食べながら歩いてください」と渡されたのはバスケットで、中にはサンドイッチがいくつか入っていた。お言葉に甘え、まず卵サンドをいただく。丁度良い塩加減、パンはふわふわで美味しい。
王宮に入り、まず通されたのは浴室だった。
「汚れを落とします。お手伝いしてもよろしいですか?」
王太子の婚約者時代、夜会の前は公爵家のメイドたちに磨き上げられ、ドレスアップしてもらっていたので、抵抗感は全くない。シェリーが躊躇いもなく服を脱ぎ、驚いたのはルルリのほうだった。
「流石、思い切りが良いですね……」
「お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします」
「メリル様からこのお話をいただいてから、私楽しみにしていたんです。シェリー様を好き勝手着飾れるんだって……! 今回は時間不十分なのが残念ですが、できるかぎりさせていただきます」
ルルリの瞳がぎらぎらと燃えている。
宣言通り、シェリーは普段と全く違う雰囲気の令嬢に変身した。
ルルリと共に舞踏室へ向かっていると、正面方向に一番隊所属のサイモンがいた。シェリーに気付き、非常にぼんやりした眼差しでこちらを眺めている。
「お疲れ様ですサイモンさん」
「……うぇっ!? シェリーさんですか!?」
サイモンはシェリーを上から下まで見て、また下から上まで見た。口を丸く開き、頬は薄ら赤く、目をぱちぱちと瞬かせている。
「どう見てもシェリーさんでした! うわぁ……お、お綺麗、ですね」
「ありがとうございます」
ドレスの格好に合わせ、シェリーは淑女の礼をした。今はルルリが素敵に化粧も施してくれているので、普段より綺麗になっているのは自負できる。シェリーの生来の凜々しさを活かしつつ、少し甘さも感じられるような可愛らしい雰囲気になっていた。髪も綺麗に纏め上げてくれている。ルルリの腕前が素晴らしい。
「ええと、い、今からどちらへ……?」
「メリル様とダンスを練習するのです。ご好意でドレスもお貸しくださって」
シェリーは白に近い水色のドレスを着ていた。気品あるレースやビーズの装飾が美しく、スカート部分は軽やかな生地が何層にも重なっており動くとひらひら揺れる。デコルテ部分は大きく開いており、普段は見せない鎖骨のあたりは露出している。
コルセットを締めるのは久しぶりで、少し苦しかった。軍服のほうが余程動きやすい。
「なるほど。あっ、エドガーさんはご存じですか?」
知っています、とシェリーが答えようとしたところ、ルルリが横から素早く口を挟んだ。
「シェリー様がドレスアップなさることは知らないはずです」
「わっ……かりましたぁ! 練習頑張ってくださいね~」
サイモンは急にニコニコして、足早に去って行った。んふ、とルルリも含み笑いを漏らしている。
まさか多忙のエドガーを呼んだりしないだろうか……いや、そんな暇はないか――とシェリーは思い直し、久しぶりに履く舞踏用のヒールをコツコツと鳴らしてルルリの後ろに続いた。
舞踏室にはまだ誰もいなかったので、シェリーは先にステップを踏んでみる。元婚約者のアーサーとは義務的に何度も踊ってきたが、始終しかめっ面をされていたなと思い出す。あれだけずっと顔を顰めるのもしんどいだろうに、意思表示に律儀だった。アーサーがシェリーと踊るのは一曲だけで、彼は今の婚約者であるマリアンヌ・グロスター公爵令嬢と何度も踊るっていた。それも笑顔で。
堂々とそういうことをしていたのだ。シェリーとアーサーが不仲なのは噂になっていたし、次期王太子妃はマリアンヌ嬢になるのでは、とも囁かれていた。何を言われてもシェリーは意に介さず、やるべきことをし、密かに出奔準備をしていたのである。
王太子妃教育としてやることが多すぎて、正直、アーサーとのことにかまけている時間がなかった。
(そういうところがまた、私のよくないところだったのだろうな)
アーサーがシェリーとの対話を拒絶した時点で、シェリーはアーサーのことを諦めたのだ。
(少しは追いすがるべきだったのかも……)
可愛げのない女。アーサーの言うとおりである。
しかし反省点はあるも、後悔はない。同じ状況になったら、シェリーはまた同じことをする。アーサーとの仲よりも、次期王太子妃としてやるべきことを優先する。
(結局、私とアーサーは相性が最悪だったということ……かな)
お互い、求めるものと求められるものが違った。それを認め合えなかったし、向き合おうともしなかった。シェリーも、おそらくアーサーも、後悔すらしていないのだ。どうしようもない。
ただ一つだけ。アーサーに言われた一言が、鋼の矢のように心に突き刺さっている。
『シェリー・ハノーヴァ、お前は――』
「シェリー!? あんた、本当にご令嬢だったのね。私よりお姫様みたいじゃない!」
「メリル様……」
沈んでいたシェリーの意識を、明るくて芯のある声が目映く照らした。ビジューが散りばめられた濃紺のドレスに身を包み、メリルが威勢よくシェリーに近づいてくる。
「へぇー、化粧すると可愛い感じになるんだ。日ごろから化粧しなさいよ。っていうかその胸ホンモノ? いつもはもっとぺったんこじゃない」
「ああ、普段は潰すような感じです。動きにくいので」
「えええええええ!? 胸を潰す!? 正気!?」
「でも揺れるほうがよくないのですよ。潰しても案外大丈夫です」
「そっ……そうなの? そうなのかしら?」
メリルはころころと表情が変わる。そんな彼女を見ているとシェリーは心が安らぐ気持ちになるのだ。裏表がなく真っ直ぐぶつかってくれるところが好きで、それはユートリアの国民性でもあるように感じている。
「この度はドレスをお貸しいただきありがとうございました。お化粧まですると、やはり気分が変わりますね」
「別に? シェリーがドレスで踊ってるところ見たかっただけだから。でもやっぱ、王子の婚約者っての本当だったのね。所作が違うもん。ふぅーん……」
ドレスを着ると、淑女としての所作に変わる。服装はシェリーの切り替えスイッチである。
「では、練習をしましょうか。と言っても、ドレスではいつものどおりにリードできないかもしれませんが」
「あ! それなら大丈夫よ! 練習相手にお父様呼んどいたから。もうすぐ来ると思うわ」
流石のシェリーも「えっ」と声を出した。ちょうどタイミングよく、足音が近づいてきて扉が開く。
「メリルー、約束通り来たけ……ど」
国王リトがひょっこり顔を出し、シェリーと目が合って固まった。「あ、え、シェリー殿?」と呟くのがかろうじて聞こえる。メリルはそんな父親の腕を引っ張ってシェリーの正面に立たせた。
「お父様! シェリーと踊ってるところ見せて! そのあと私と踊ってよ。二人のを見て勉強するから!」
確かに、手本を見る必要はあると思っていた。だがその手本がシェリーとリトとは考えてすらいなかった。お互い、困惑の眼差しを交わし合う。そんな二人の様子を見ていないメリルは無邪気に蓄音機の針を落とし、音楽が流れ始めた。
仕方ない、と先に諦めたのはリトだった。顔をふるりと振ってシェリーを真っ直ぐ見つめる。娘のお願いに付き合ってください、と仄かに微笑を浮かべた。
「シェリー殿。よければ一曲、踊っていただけませんか」
「はい、喜んで」
差し出された手にそっと手を重ね、シェリーはステップを踏んだ。メリルに見せる、お手本である。リトのダンスはリードがわかりやすく、正確にステップを踏んでくれる。ちらりとメリルを見ると、嬉しそうにしながらしっかり勉強しているようだった。
「メリルが迷惑をかけてない?」
囁き声が落ちてきた。メリルに聞かれないようにしているのだろう。
「いいえまったく。私もとても楽しい時間を過ごしています」
リトが満足げに笑う。優しい父親の顔だった。
「最初はあんな風で心配してたんだけど、こんなにすぐ懐くなんてね。何か魔法でも使ったのかと疑いたくなるくらい。あ、これは冗談だよ」
懐くという言い方は語弊があるが、リトの言いたいことはわかるのでシェリーは微笑み返した。
二人の間には穏やかな空気が流れ、メリルのお手本となるべく美しく正確にステップを踏み続ける。そのとき、コンコンコン、と扉がノックされた。ゆっくり扉が開き、入って来たのは軍服に身を包んだエドガーである。
シェリーとリトは、何故か動きを止めた。リトの手はシェリーの腰に、シェリーはリトの腕に手を添え、繋いだ手はそのままに、まるで凍り付いたようにエドガーと目を合わす。
「……おやおや。大変、楽しそうですね」
低く甘い声に、ぶわりと冷や汗が出た。




