お姫様と教育(1)
シェリーが魔の森に飛ばされて帰還してから二週間が経った。あの少年三人からはきちんと謝罪され、一度一人ずつ手合わせもした。そのあと何故か『姐さま』と呼ばれるようになり、指導を乞われることもある。マデラからはニヤニヤして「いいんじゃないですか。私もにも教えてくださいよ姐さま」など言われている。
訓練や仕事にも慣れてきて、必然的に一緒にいることの多いエドガーとの呼吸もわかってきた。以前は山のように机に積まれていた書類も今はなくなり、エドガーの眉間の皺もなくなった。
そんなときである。メリルという、ユートリア国王リトの娘がやって来たのは。
「誰よその人間の女は! エドガー様の側近だなんて、人間風情が思い上がるのもたいがいにして!」
苛烈な声とともに執務室に入ってきたのは、可憐で美しい姫君だった。透きとおるような白い肌に、光沢のある黒髪をツインテールに結い上げ、アーモンド型の大きな目は勝ち気そうで、深紅の瞳は宝石のように輝いて見える。
数秒彼女を見遣ったエドガーは、くるりとシェリーを振り向いた。
「彼女はリトの娘のメリルです。メリル、こちらは俺の有能な側近、シェリーさんです。口の利き方に気をつけなさい」
「初めましてメリル様。エドガー様の雑用係、シェリーと申します」
シェリーは雑用係だと言い直して、優雅に一礼した。メリルは苛立ったように顔を顰める。
「あっ……あんた、エドガー様の小姓部屋を使ってるそうじゃない! エドガー様は私と結婚するんだから、不愉快なのよ!」
シェリーは思わず「えっ」と声に出した。サッとエドガーと目を合わすと、彼はフッと微笑を浮かべた。面倒くさいときに使う笑みである。
「彼女が勝手に言ってるだけです。まだ子どもなんで」
「十八よ、子どもじゃないわ!」
「と言うことは私のたった一つ下……」
十九歳のシェリーも、エドガーにとっては子どものうちに入るのだろうか。
「シェリーさんは子どもじゃありませんよ。メリルが精神的に子どもなだけです。長寿種が多い魔族は精神的な成長もゆっくりなんで、仕方ないですよね。特にメリルは古代竜なのでかなり遅いのですよ」
シェリーの心の呟きが読まれていたらしい。エドガーは少し早口だった。
「なっ……なんっ……! エドガー様、その女にはどうしてそんなに優しいのよ。いつもと違う」
メリルのほうは驚愕している。とは言えエドガーはいつも通りなので、普段の彼女がエドガーにどのような態度を取られているのか幾分察した。
「はぁ。それでどうしたんですメリル。仕事の邪魔なんですけど」
「だってエドガー様が、その女を!」
「シェリーさん、ですよメリル。シェリーさんにマナー指導をお願いしたほうがいいのでは? いざ外交するとなってもこんな王女、外に出せませんよ」
「外交なんてしないでしょ」
静かに叱られたメリルはそっぽを向いた。魔ノ国と呼ばれているユートリア国は、商人の行き来はあるものの王族同士の外交をしていない。
「いや、今後はそうでもないですよ。魔の森に囲まれた魔ノ国、と不可侵だったのも最近はあやしくなってきましたし、リトは外交に乗り気です」
メリルがギョッとして振り向いた。寝耳に水だったのだろう。ユートリア国の大きな政策転換である。シェリーも平静を保ちながら、内心とても驚いている。
「き、聞いてない……」
「ではお父上に聞きに行かれては? あなたも無関係ではありませんからね」
メリルはわずかに躊躇ったのち、シェリーをひと睨みしてから駆け足で部屋を出て行った。嵐のようであった。
室内はしんと静まり、シェリーとエドガーはそっと目を合わす。すみません、と先に口を開いたのはエドガーだった。
「シェリーさんに対して失礼なことをぺらぺらと……。俺のことを結婚相手だとかなんとかも、小さいときから言い始めた妄言なんです。リトが言っても聞かないんですよね、流石竜族」
ああいった王族も珍しいことではない――が、ここユートリア国では王族の権力はあまりなく、共同体ようだとシェリーは感じている。
「お気になさらないでください。美しい王女様でしたね」
「見た目だけは整っているんですがね、中身が」
エドガーは残念そうに溜め息をついた。
ここでメリルの話は終わり、二人は黙々と書類仕事を片付けていった。
翌日、昼食を終えて執務室に入ると国王のリトが椅子に座っていた。シェリーは慌てて膝を着いて頭を下げる。
「わっ、シェリー殿。驚かせてゴメンね、そういう挨拶はこの国では本当やんなくていいからさ。立って立って」
リトと顔を合わせるのはシェリーが入国して以来だった。あの謁見のときと比べ、声がかなり柔らかい。シェリーが立ち上がると、リトは握手を求めてきた。執務机のほうにいるエドガーは少し不機嫌そうに見える。
「シェリー殿の噂は聞いてるよ。正直、こんなに仕事ができるとは思ってなかった。我が国に来てくれてありがとう」
「ありがとうございます。身に余る光栄に存じます」
シェリーがリトの指先にそっと触れると、力強く握りしめられた。
「そんなシェリー殿にしかできない仕事を頼みたい……我が娘メリルの、教育係を……頼む!」
一瞬、言われた意味がわからなかった。ぱちぱちと目を瞬かせてようやく理解し、エドガーに視線を移す。エドガーは不機嫌そうに頷いた。
「まさか俺が言った嫌みをそのまま採用するとは……すみませんシェリーさん」
「そう! メリルの教育については本当に頭を悩ませていて! そもそも外交に出せるようなマナー教育ができる人材もいない。しかし今の我が国には、エルラン国で王太子妃教育を受けていたシェリー殿がいるじゃないかと! かなり面倒で煩い娘だが、どうかよろしくお願いします!」
リトは必死の形相だった。元より王命を断る選択は存在しないが、ここまで熱望してくれるのは嬉しい。胸の内から炎が燃え始めるように、やる気がみなぎってくる。
「謹んでお受けいたします」
「そうか! ありがとう!」
リトに握られた手が上下にブンブンと振られた。
「日程を決めよう。必要な教材など、あったら言ってくれ。国内になくても、時間はかかるが商人に持ってきてもらうことはできると思う。あと場所は――ここの執務室から遠くないほうがいいよな、あんまりシェリー殿の時間を奪っても怒られそうだし」
エドガーが深く頷くのを見て、リトが苦笑いする。
「一日二時間までですよ。俺の側近なんですから」
「雑用係です」
シェリーはすぐ否定した。最近のエドガーはシェリーのことを側近だと吹聴している。
「仲良くやってんだな」と、リトは陽気に笑った。




