発揮せよ実力、そうこなくては新人イビリ(4)
エドガーが執務室に戻るとシェリーはおらず、机の上には中断したらしい書類が文鎮で押さえてあった。急用でもできたのだろうか。
窓を開けて換気をし、会議で使った資料やメモを机の上にべたんと置く。コーヒーで一息つきたい気分である。こういう時、最近はシェリーがいつも用意してくれていることを実感した。エドガーは何も言わないのに、『コーヒーが飲みたくなりました。エドガー様もいかがですか?』と、自分が飲むついでという体で提案してくれる。彼女が用意してくれるコーヒーは、何故かエドガーが淹れるものより数倍美味いので、そのまま甘えてしまっている。
悠々と一人きりで使っていた執務室にシェリーが増えても、煩わしいと思うことは全くなかった。むしろ、いない今の方が違和感を感じるようになっている。
たまにはホットでなくアイスコーヒーになってもいいだろう、とエドガーは二人分を用意することにした。コーヒーが冷めてしまったら氷を入れてしまえばいい。冷たいミルクを注いでも美味しいだろう。そうしよう。
ところが、コーヒーが冷めきっても、埃が入りそうなのでティーコゼーをかけて待っていても、シェリーは帰ってこなかった。もう終業時間三十分前である。
おかしい。
面倒なことに巻き込まれたのか。
エドガーは執務室を出た。
各隊長室、事務室を訪ね歩いたが、どこもシェリーは来ていないと言う。最後に立ち寄った一番隊でもそうだ。廊下に出て、次は訓練場に行こうとしたとき、ちょうど彼女と仲良くしているマデラを見かけた。呼び止めると向こうもはっとした顔をする。
「マデラ、シェリーさんを見かけませんでしたか」
「いつのことです? お昼は食堂で一緒に食べましたが、それ以降は会ってませんね」
「そうですか……」
ありがとう、と立ち去ろうとしたとき、マデラに引き止められる。
「軍隊長、シェリーさんのことでお話したいことがあるんですけど」
「急ぎですか?」
「違いますけど……軍隊長はたぶん、知りたいかなって思うことです。シェリーさんも自分からは話しそうにないし」
マデラの目からは『いいから聞いておけ』という圧力を感じる。
「そうですか。マデラがそう言うのなら聞いておいたほうがよさそうですね」
「明日にでも一番隊に来てくださいね」
わかりましたと頷いてマデラと別れ、明日のスケジュールを思い出しつつ、訓練所に着いた。この時間は事務処理を終えた自主訓練の者たちだけで、人数はまばらである。
「あっ、軍隊長。お疲れ様です!」
「お疲れ様。皆、シェリーさんを見ませんでした?」
エドガーが呼びかけると、自主訓練していた者たちは動きを止め、お互い顔を見合わせた。それぞれ首を振る。
「誰も見てないみたいです」
「そうですか。ありがとうございます」
「軍隊長! 自分も一緒に探しましょうか?」
「いえ、もう一つアテがありますので、大丈夫です」
申し出てくれた若手の部下には穏やかに言いつつも、エドガーはかなり嫌な予感がしていた。ポーカーフェイスはザワザワした焦りで今にも剥がれそうである。
エドガーは急いで執務室に戻り、大きなテーブルいっぱいに地図を広げた。範囲は周辺国含む一帯。引き出しの中に入れてあった乳白色の小石を片手に持ち、地図に手をかざす。
「――示せ、片割れの所在を」
すると、地図のある一点が白く光る。ユートリア国の周囲を囲う魔の森、その南東のポイントである。王城からは馬で駆けて一日かかる、そんな距離だ。
「シェリーさん、どうしてこんなところに」
シェリーの軍服のボタンには、エドガーが持っている小石と同じ欠片が使われており、何かあれば位置がわかるように魔法陣を封入している。
執務室にはシェリーのレイピアが置かれたままだ。
丸腰でいるかもしれない可能性に、ゾッとした。
「ここは多分、東南Bの拠点だな……?」
拠点の中で大人しくしてくれていたらいい。あの周辺は、現在繁殖期でいきり立っている暴れ一角猪の生息地だ。巨大にも関わらず素早く、かなり力強いうえ、皮膚は頑丈で倒しにくい。拠点のハウスには強い防護魔法をかけてあるので倒壊はないと思うが、何頭も引き寄せてしまったら怪しいぐらいだ。
――誰かが、シェリーをあそこに飛ばした。
ビキビキとこめかみの血管が震えている。気付けば、爪が食い込むほど握りしめた拳も震えていた。
棚から地図をごっそり抜いてテーブルにばさりと置き、そこから東南B拠点付近のものを探し出して、小さく折り畳んで上着のポケットに入れる。乳白色の小石は胸ポケットに入れ、帯剣すると部屋を出て一番隊へ向かう。背後でバササササー……と積まれた地図が崩れ落ちる音がした。
「ユーゴ隊長! シェリーさんが魔の森にいるので迎えに行きます。隊長はシェリーさんをあそこに飛ばした犯人を見つけておいてください」
一番隊隊長室に入るとエドガーは言いたいことだけ言った。業務終了間近だった隊長のユーゴは、「は」と間の抜けた顔をする。
報告中だったのか若手エースのサイモンもいたので、ちょうどいいと声をかけた。
「サイモン君は暇ですか? 一緒に来てください」
事態をよく飲み込めていないサイモンは、それでも素直なので「え、あ、はい」とエドガーのもとに来る。
「ちょっと待てエドガー殿、何があった」
「言ったとおりです。急いでるんですよ。東南B地点付近にいるようなので、転移ゲート使って行ってきます。ユーゴ隊長は皆が帰るまでに犯人見つけて吊しておいてください」
「え、お、おい」
時間が惜しいのでエドガーは走り出した。サイモンはちゃんと後ろをついてくる。
「エドガーさん! 念のため聞いておくんですけど、シェリーさんが自ら出て行ったという可能性は一つもないっすか?」
「ない。なにより、レイピアを置いていってる」
母国を出奔するときも、帯剣するのは目立つだろうに持ってきた愛剣だ。
そうでなくとも、毎日一緒に過ごしていたらわかる。シェリーは生き生きとしている。
「なるほど」
サイモンも納得したらしい。
二人は訓練場の側にある倉庫へ入り、『東南B』への転移ゲート部屋へ向かった。扉の鍵を回すと空回りする。
「鍵が開いてる……やはり、誰かが」
なんとか鍵開けはしたものの、閉じることはできなかったのだろう。
転移魔法陣は相応の魔力を流し込めば設定した先へ飛べる。倉庫にある魔法陣の行き先は全て魔の森だ。魔獣討伐のために使うのがほとんどで、シェリーにはまだ案内していない。防衛の観点から魔法陣は一方通行。帰りは転移魔法のできる者が先導し、王城近くの地点へ飛ぶ。
シェリーはおそらく転移魔法を扱う技量があるだろうが、ユートリア国内はできないようになっている。事前に認定が下りていないと転移魔法が発動できないよう、国内に魔法障壁を張っているからだ。
よって、シェリーが魔の森を抜けるには、自分の足で帰るしかない。装備も無く、あの地点から一人で森を抜けるなんて危険過ぎる。運良く真っ直ぐ外へ向かえば一時間くらいだが、地図もなく方角もわからない状況でできるわけがない。
頼むから拠点でじっとしていてほしい。
「サイモン君、起動しますよ」
はい、と頷いたサイモンを横目に確認し、エドガーは転移魔法陣を起動させた。
ふわっ、とした一瞬の浮遊感ののち、足裏がゴツンと木の床を踏む。
拠点のログハウスに着いたが、シェリーの姿が見当たらない。
「もう外に――」
そのとき、外の方からズシン……と大地を震わせる大きな音がした。




