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モリアーティ公爵令嬢の終局的推理  作者: 国枝桜子
第一章 王宮毒殺事件

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6/15

夜は嫌疑の目を持つ

 客室階の配膳室は、深夜だというのに人が絶えない。

 空の盆が戻ってくるそばから、湯や夜食を載せた盆が次々と運び出されていく。

 あちこちで指示が飛び交い、食器の触れ合う音や忙しない足音が混じり合う。まるで戦場のようなありさまだった。

 わたしは空になった湯差しを戻すと、すれ違う侍女に道を譲った。


「ありがとう。熱いから気をつけて」


 声をかけてきた侍女の盆に、ティーポットが載っていた。

 白磁でできた丸い胴に、細く伸びた注ぎ口。金の縁取りと、同じ色の王宮紋章。


 ……妙だな。

 なにか違和感を覚えて、あたりを見渡す。

 奥の棚にも、同じものがずらりと並んでいた。


「客室にお出しするポットは、全部その型なんですか?」


 茶葉を量っていた侍女が、匙を動かしながら答えた。


「そうだよ。貴族も使用人も、みんな同じ。献上式で数が多いからね」

「茶葉も?」

「朝からこのブレンド。夜は少し薄く淹れるけどね」


 開いた茶缶から漂うのは、濃く渋い紅茶の香りだった。


 ――やはり、朝見たものとは違う。


 思い出したのは、我が家の奉献を控えた午前中のことだった。

 献上式は一日がかりの行事だ。献上をおこなう家や遠方から訪れた者には、王宮内に個室が与えられる。各家は自分たちの番が近づくと、そこで最後の支度を整えるのが慣(なら)わしだった。

 わたしも式次第を眺めながら、口上を諳(そら)んじていた。


「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」


 ドアがノックされ、侍女が茶を運んでくる。ふわりと甘い香気が鼻をくすぐり、思わず顔を上げた。

 温かみのある濃茶の髪をきっちりとシニヨンにまとめ、分厚いレンズの眼鏡をかけた侍女だった。

 黒いメイド服に白いエプロンというシンプルな装いから見るに、この時期に臨時で雇われた者だろう。

 腰の細い留め具(チャトレーヌ)から、小さな覚書と鉛筆、それから丸い鏡の頭が少しだけ覗いた長方形のケースが下がっていた。


「珍しい香りね」

「桂花茶です」


 侍女はそう告げて、白地に藍の文様が入ったティーポットを卓に置いた。

 青花磁器は、ここ数年でずいぶん見かけるようになった。

 前世でいう中国にあたる大華国(たいかこく)の磁器が、近年この国でも大流行しているのだ。いわゆるチャイナマニアならぬ、タイカマニアというやつである。

 そこへ八洲帝国(やしまていこく)の美術を愛好するヤシミスムまで加わり、今や社交界はちょっとした東方趣味(オリエンタリズム)の熱狂に沸いている。その流行は貴族だけにとどまらず、裕福な中産階級にまで広がっていた。


「ありがとう。そこに置いておいて」

「冷めないうちのほうが、香りをお楽しみいただけますが……」

「今はいいわ」


 茶を味わう気分ではなかった。それより、この後の流れを頭に入れておきたい。

 侍女は困ったように眉を下げ、手つかずのカップへ視線を落とした。


「では、先にお毒見いたします」

「そこまでしなくても――」


 止めるより早く、侍女は別のカップへ茶を注ぎ、その場で飲んでみせた。


「これで、ご安心いただけたでしょうか」


 別に、珍しい茶を警戒していたわけではないのだけれど。

 毒見までされては、断るのも大人気(おとなげ)ない。仕方なくカップを手に取ったが、侍女はじっとこちらの手元を見つめてくる。


 ……そんなに見られていたら、気味が悪くて飲めたものではない。口をつけるふりだけして、唇を湿らせるに留めた。


「……香りのいいお茶ね」

「ありがとうございます」


 嘘ではない。桂花茶からは濃い花の香りに混じって、桃や蜂蜜を思わせる甘い香気が漂っていた。

 侍女はほっとしたように笑うと、ポットを片手に部屋を出ていった。


 ところが、それからしばらくして、別の侍女がお茶を運んできた。


「お茶なら、先ほどもいただいたけれど」


 そう伝えると、侍女は不思議そうな顔をして、すっかり冷めた茶の入ったカップを回収していった。

 今になって思えば、あのときのティーポットは青花磁器だったのに、カップは王宮の白磁だった。そのちぐはぐさも、妙といえば妙だった。


「――あんた、大丈夫かい?」


 ハッと顔を上げると、配膳室の侍女が心配そうにこちらを覗いていた。

 ……いけない、集中しなくては。


「朝、桂花茶はお出ししましたか?」

「桂花茶?」


 侍女の匙が止まった。


「どこかの控え室に」

「出してないよ。昨日は朝から、その棚の茶葉だけ」

「青花磁器のポットを見かけた気がするのですが」

「ゲストの私物じゃないかい? そういう流行り物は用意してないね。献上式は伝統行事だから」

「持ち込みのお茶を、こちらで淹れることは?」

「頼まれればね。でも、茶器は王宮のものを使うよ。紛失したら面倒だから」

「……そうですか」


 あの茶もティーポットも、王宮側が用意したものではないということだ。

 ならば、あれを運んできた侍女は何者だったのか。

 少なくとも、飲まなかった判断は正しかったかもしれない。


「――西客殿に行ける人!」


 そのとき、部屋の奥から声が飛んだ。

 年嵩の侍女が、盆を三つ載せた配膳車(カート)のそばでこちらを見回している。


「二十八号室へお湯、三十一号室に夜食。それと、西の合同控え室にもお茶と夜食をお願い」

「行きます」


 間を置かずに手を挙げた。

 西の控え室と言えば、各家が連れてきた女性使用人の合同控え室だ。これを逃す手はない。


「三つとも同じ廊下ですよね」

「そうだよ。順に回ってくれると助かる」


 配膳車を引き寄せる。これなら、誰にも怪しまれずに中へ入れそうだ。

 わたしは配膳室を抜けると、西客殿に続く廊下へ向かった。

 他の二部屋を手早くすませ、目的の控え室へ急ぐ。

 扉脇には制服警官がひとり立ち、少し先の廊下を王宮警備員が巡回していた。


 ……思ったより警戒が厳しい。

 できるだけ慎重に動いたほうがよさそうだ。


「配膳室からです」


 カートを示しながら告げると、警官は中を覗きこんでから扉を開けてくれた。


「奥の机に置いてくれ。通路は塞がないように」


 促されるまま、室内に入る。

 扉をくぐったとたん、雰囲気が一変したのがわかった。

 どこか空気がピリピリしていて、重く息苦しい。

 各家の侍女たちが集団で固まり、お互いに視線で牽制しあっているようだ。

 部屋の中央にある長机には、裁縫箱がずらりと並んでいた。年嵩の王宮女官がひとつずつ中身を改め、その傍らで女性警官が話を聞いている。

 見覚えのある顔に、配膳車を押す手に思わず力が入った。


 ――ジェーン・ワトスン。


 よりによって、彼女がいるとは。

 夕べ、ジャクリーン・モリアーティとして顔を合わせた相手だ。変装を見破られては困る。

 とはいえ、ここで踵(きびす)を返すほうがよほど目立つ。下手に動くより、しばらく給仕に徹して話を拾うほうがいいだろう。

 わたしは何食わぬ顔で、指定された机にカートを寄せた。


「お茶をお持ちいたしました。夜からなにも召し上がっていない方もいるとお聞きしたので、よろしければ夜食もどうぞ」

「助かります。まだ、しばらくかかりそうですから」


 女官はそう言って、侍女たちに視線をやった。

 ちょうど次の聴取に移るところらしい。いいタイミングだ。

 わたしはできるだけ恭(うやうや)しく見える速度で、ゆっくりとカップを配り始めた。


「では次の方、どうぞ」


 ジェーンの声に、若い侍女が席を立つ。明るい栗色の髪を控えめにまとめた、やさしい顔立ちの娘だ。

 深緑のリボンに、金蜂をかたどった家章留(かしょうど)め。――メルモット子爵家の紋章だ。


「マリー・メルモット令嬢付きの侍女、エライザ・ダイトンさんで間違いありませんか?」

「はい」


 カップへ茶を注ぎながら、さり気なく耳を澄ませる。


「昼にもお話を聞いたのに、何度もすみません」


 ジェーンは申し訳なさそうに眉を下げた。


「今夜、ファルコナー侯爵のコサージュから、毒の塗られた細い針が見つかったんです」

「毒の針……ですか?」


 エライザの顔がサッと青ざめる。

 無理もない。昼間、自分の主人が毒によって殺害されているのだから。


「それで、盟杯で配られたコサージュを改めて確認しているんですが……メルモット嬢のものだけ、まだ見つかっていなくて」

「お嬢様の……?」


 どうやら、警察もようやくその事実に気がついたらしい。


「盟杯のあと、メルモット嬢には一度もお会いしていないのですよね?」

「はい。夜会前のお召し替えに呼ばれるはずでしたが、その前にあんなことが起きて……」

「なら、コサージュをどうされたかも?」

「存じません。わたしがお嬢様を最後にお見かけしたのは、盟杯へ向かわれる前でしたので」


 ジェーンはうなずき、手元の紙をめくった。


「昼の聴取では、お支度の途中で下がるように言われたとお話しされていましたね」

「はい」

「なにか理由が?」

「お化粧の仕上げはご自分でなさるとおっしゃって……呼ぶまで決して近づかないように、と」

「ふだんから、ご自分で?」

「いいえ、今回だけです。そのために、何日も前から練習なさっていました」

「練習?」


 ええ、とエライザはうつむきがちに答えた。


「若いご令嬢の間で流行っている、東方風のお化粧がしたいから、と。わたしの顔を使って何度も練習なさって、当日はひとりでもできるようにしておいででした」

「あなたの顔で?」

「はい。お嬢様と背丈や顔立ちが似ておりますので、ちょうどいいと……」


 言われてみれば彼女は小顔で首が長く、肩幅も狭い。背丈も百六十センチ前後といったところか。

 確かに、記憶の中のメルモット嬢によく似ている気がした。


「下がられた後は、ずっとこの部屋に?」

「はい」

「その後、呼ばれることは?」

「一度もありませんでした」


 エライザは膝の上で、ぎゅっと指を握りしめた。


「もし、あのとき戻っていれば……お嬢様は……」

「そんな、あなたのせいじゃありません」


 ジェーンが思わずといったふうに身を乗りだす。


「戻るなって命じられていたんでしょう? だったら、あなたにはどうしようも――」


 そこまで言って、ハッと口をつぐんだ。


「……ごめんなさい。でも、もう少しだけ聞かせてください」

「はい……大丈夫です」


 エライザが小さくうなずく。

 そういえば、ゲームのジェーンもこうだった。目の前で誰かが傷ついていると、どうにも放っておけないらしい。


 それからいくつか質問が続き、ほどなくエライザへの聴取は終わった。

 彼女が席へ戻るころには、こちらも半数ほど茶を配り終えていた。


 次に呼ばれたのは小柄な侍女だった。

 亜麻色のくせ髪はきちんとまとめられているものの、ところどころ後れ毛がふわりと跳ねている。物静かそうな、感じのよい顔立ちだ。

 胸もとの青いリボンには、白隼をかたどった銀の家章留(かしょうど)めが光っている。

 ――ファルコナー侯爵家の侍女ね。


「テレーズ・ファルナさんですね?」

「はい……」

「ファルコナー嬢の手に針が刺さったとき、あなたも同じお部屋に?」

「はい、あの……もう夜も遅かったので、お休みのお支度に呼ばれておりました」

「そのときのようすを、詳しく教えていただけますか」

「ええと……アリシア様が、旦那様の上着を片づけていらして……」


 テレーズは記憶を辿るように、ゆっくりと言葉を継いだ。


「それから?」

「コサージュを外そうとなさったとき、急に手を押さえられたんです」


 テレーズが、自分の右手をそっとさすった。


「それで、針が?」

「はい。よく見たら……花の真ん中から、細い針が突き出ていました」

「控え室へは、ほかに誰かきましたか?」

「いえ……少なくとも、わたしがいた間は誰も……」


 ジェーンは紙に書き終えると、長机に並ぶ裁縫箱へ視線を移した。


「こちらの裁縫箱が、ファルナさんのものですね?」

「はい」

「式のあいだ、どこに置いていましたか?」

「この部屋です。繕いものを頼まれたときだけ持って出て……それ以外は、自分の席に置いていました」

「鍵はかからないんですね」

「はい。蓋を閉じるだけです」


 夜食を配り終えるころ、次の侍女が呼ばれた。

 すらりと背が高く、濃い赤褐色の髪をきっちりまとめている。切れ長の目に、はっきりとした顔立ち。

 黒絹のリボンに、銀地に三本の黒い槌(つち)をあしらった家章留(かしょうど)めは、ヴェンディス伯爵家の証だ。


「グレイス・ドンデルさん?」

「はい」

「こちらが、あなたの裁縫箱ですね?」

「そうです」

「これを置いたまま席を離れたことは?」

「ございます。伯爵ご夫妻やヴィンセント様に呼ばれて、何度か」

「そのあいだ、誰かに預けました?」

「いいえ。蓋を閉じて、椅子の下に置いてありました」


 グレイスは、長机に並んだほかの裁縫箱を見やった。


「……全員に同じことを聞いているんですよね?」

「はい」

「若様の荷物をあれだけ調べたうえ、今度は使用人の裁縫道具ですか」


 硬い声で、ジェーンを睨むように見すえる。


「若様も、わたくしたちも犯人ではありません」

「疑っているわけじゃ――」


 言いかけて、ジェーンは思い直したように口を閉じた。


「ごめんなさい、今のは違いますね。合鍵も毒物も見つかっている以上、疑いがあるのは事実です」

「やはり若様を逮捕するおつもりなのですね」

「いいえ、まだ犯人だと決まったわけではありません。だから、ほかの可能性も調べているんです」


 こういうとき、変に取り繕わないのもジェーンらしい。ゲームでも、自分の間違いは素直に認める娘だった。

 グレイスは納得したようすではなかったが、それ以上は言い返さなかった。


「では次、ベッシー・リーさん」


 空いたカップにお茶のおかわりを注いで回り、どうにか時間を引き延ばしているうちに、呼ばれた侍女が席を立った。


 細身で年嵩の女性。白いものが混じった黒髪をきちんとまとめ、暗色の瞳には落ち着いた光がある。

 深紅のリボンに、銀の掌をかたどった家章留(かしょうど)め。――バーン男爵家の侍女か。

 彼女もひと通り同じような質問をされたが、答えは他家の侍女とほとんど変わらない。


 ……こんなところか。

 空になったカップや皿を集めていると、侍女たちのささやき声がよく聞こえた。


「あなたのせいじゃないわ」


 メルモット家の侍女たちが、涙を流すエライザに寄りそっている。


「お嬢様は何日も前から、当日はご自分で仕上げると決めていらしたでしょう。戻るなと命じられたのなら、あなたにはどうしようもなかったわ」

「でも……」

「二年くらい前、あなたが急にお暇をいただきたいって言い出したときだって、お嬢様、ずいぶん引きとめていらしたじゃない」

「そうそう。制服まで返して、本当に辞めるつもりだったのにね」

「そしたらお嬢様、新しい制服を押しつけてまで、『あなたまでいなくならないで』って泣きついていらしたじゃない」

「それだけ信頼されていたのよ、お嬢様に。だから、あなたが悪いなんてことあるはずないわ」


 エライザは唇を噛み、目元を押さえた。


「……ありがとう」

「それに、ずいぶん練習なさっていたもの」


 別の侍女も口を添える。


「鏡越しなら、一瞬お嬢様かと思ったくらいよ。あれだけできれば、ご自分でもできると思われたのでしょう」


 エライザはしばらくうつむいていたが、やがて小さく頷いた。

 彼女を慰めていた侍女のひとりが、ふとジェーンに声をかけた。


「あの、ひとつよろしいでしょうか?」

「なんでしょう?」

「お嬢様のパリュールは、まだ見つからないのでしょうか」


 一瞬、ジェーンが言葉につまる。


「はい……まだ、捜査中です」

「ヴェンディス伯爵令息は連行されたのでしょう? それなのに、まだ見つからないのですか?」

「――若様が盗んだと決まったわけではありません!」


 離れた席から、鋭い声が飛んだ。

 グレイスが立ち上がりかけている。


「いい加減にしてください。これだけ探して見つからないってことは、若様が無実だってことよ。それを盗人のように――」

「あ、あの、待ってください」


 ジェーンが慌ててふたりの間に割りこむ。


「真相を明らかにするために、こちらでも引き続き捜査しています。ですから、その……もう少しだけ待ってください!」

「え、ええ。頼みましたよ。パリュールは……あの金木犀のパリュールは、お嬢様の大切な宝物なのですから!」


 ガシャン、と物が落ちる音がした。

 振り向くと、バーン男爵家の侍女――たしかベッシーと言ったか――が、長机にぶつかって裁縫箱のひとつを落としたようだった。


「ちょっと、気をつけてよ!」


 よろけた拍子にぶつかられたらしいグレイスが、苛立ちまじりに叫ぶ。


「も、申し訳ありません」

「こんなに狭いんだから、少しは周りを見てよね。……ったく」


 文句を言いつつ散らばった裁縫道具を拾い出したグレイスは、しばらくして顔色を変えた。


「あ、あれ? ねえ、ちょっと! ――針が一本足りないじゃない!」


 室内は、一気に緊迫感に包まれた。


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