夜は嫌疑の目を持つ
客室階の配膳室は、深夜だというのに人が絶えない。
空の盆が戻ってくるそばから、湯や夜食を載せた盆が次々と運び出されていく。
あちこちで指示が飛び交い、食器の触れ合う音や忙しない足音が混じり合う。まるで戦場のようなありさまだった。
わたしは空になった湯差しを戻すと、すれ違う侍女に道を譲った。
「ありがとう。熱いから気をつけて」
声をかけてきた侍女の盆に、ティーポットが載っていた。
白磁でできた丸い胴に、細く伸びた注ぎ口。金の縁取りと、同じ色の王宮紋章。
……妙だな。
なにか違和感を覚えて、あたりを見渡す。
奥の棚にも、同じものがずらりと並んでいた。
「客室にお出しするポットは、全部その型なんですか?」
茶葉を量っていた侍女が、匙を動かしながら答えた。
「そうだよ。貴族も使用人も、みんな同じ。献上式で数が多いからね」
「茶葉も?」
「朝からこのブレンド。夜は少し薄く淹れるけどね」
開いた茶缶から漂うのは、濃く渋い紅茶の香りだった。
――やはり、朝見たものとは違う。
思い出したのは、我が家の奉献を控えた午前中のことだった。
献上式は一日がかりの行事だ。献上をおこなう家や遠方から訪れた者には、王宮内に個室が与えられる。各家は自分たちの番が近づくと、そこで最後の支度を整えるのが慣わしだった。
わたしも式次第を眺めながら、口上を諳んじていた。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
ドアがノックされ、侍女が茶を運んでくる。ふわりと甘い香気が鼻をくすぐり、思わず顔を上げた。
温かみのある濃茶の髪をきっちりとシニヨンにまとめ、分厚いレンズの眼鏡をかけた侍女だった。
黒いメイド服に白いエプロンというシンプルな装いから見るに、この時期に臨時で雇われた者だろう。
腰の細い留め具から、小さな覚書と鉛筆、それから丸い鏡の頭が少しだけ覗いた長方形のケースが下がっていた。
「珍しい香りね」
「桂花茶です」
侍女はそう告げて、白地に藍の文様が入ったティーポットを卓に置いた。
青花磁器は、ここ数年でずいぶん見かけるようになった。
前世でいう中国にあたる大華国の磁器が、近年この国でも大流行しているのだ。いわゆるチャイナマニアならぬ、タイカマニアというやつである。
そこへ八洲帝国の美術を愛好するヤシミスムまで加わり、今や社交界はちょっとした東方趣味の熱狂に沸いている。その流行は貴族だけにとどまらず、裕福な中産階級にまで広がっていた。
「ありがとう。そこに置いておいて」
「冷めないうちのほうが、香りをお楽しみいただけますが……」
「今はいいわ」
茶を味わう気分ではなかった。それより、この後の流れを頭に入れておきたい。
侍女は困ったように眉を下げ、手つかずのカップへ視線を落とした。
「では、先にお毒見いたします」
「そこまでしなくても――」
止めるより早く、侍女は別のカップへ茶を注ぎ、その場で飲んでみせた。
「これで、ご安心いただけたでしょうか」
別に、珍しい茶を警戒していたわけではないのだけれど。
毒見までされては、断るのも大人気ない。仕方なくカップを手に取ったが、侍女はじっとこちらの手元を見つめてくる。
……そんなに見られていたら、気味が悪くて飲めたものではない。口をつけるふりだけして、唇を湿らせるに留めた。
「……香りのいいお茶ね」
「ありがとうございます」
嘘ではない。桂花茶からは濃い花の香りに混じって、桃や蜂蜜を思わせる甘い香気が漂っていた。
侍女はほっとしたように笑うと、ポットを片手に部屋を出ていった。
ところが、それからしばらくして、別の侍女がお茶を運んできた。
「お茶なら、先ほどもいただいたけれど」
そう伝えると、侍女は不思議そうな顔をして、すっかり冷めた茶の入ったカップを回収していった。
今になって思えば、あのときのティーポットは青花磁器だったのに、カップは王宮の白磁だった。そのちぐはぐさも、妙といえば妙だった。
「――あんた、大丈夫かい?」
ハッと顔を上げると、配膳室の侍女が心配そうにこちらを覗いていた。
……いけない、集中しなくては。
「朝、桂花茶はお出ししましたか?」
「桂花茶?」
侍女の匙が止まった。
「どこかの控え室に」
「出してないよ。昨日は朝から、その棚の茶葉だけ」
「青花磁器のポットを見かけた気がするのですが」
「ゲストの私物じゃないかい? そういう流行り物は用意してないね。献上式は伝統行事だから」
「持ち込みのお茶を、こちらで淹れることは?」
「頼まれればね。でも、茶器は王宮のものを使うよ。紛失したら面倒だから」
「……そうですか」
あの茶もティーポットも、王宮側が用意したものではないということだ。
ならば、あれを運んできた侍女は何者だったのか。
少なくとも、飲まなかった判断は正しかったかもしれない。
「――西客殿に行ける人!」
そのとき、部屋の奥から声が飛んだ。
年嵩の侍女が、盆を三つ載せた配膳車のそばでこちらを見回している。
「二十八号室へお湯、三十一号室に夜食。それと、西の合同控え室にもお茶と夜食をお願い」
「行きます」
間を置かずに手を挙げた。
西の控え室と言えば、各家が連れてきた女性使用人の合同控え室だ。これを逃す手はない。
「三つとも同じ廊下ですよね」
「そうだよ。順に回ってくれると助かる」
配膳車を引き寄せる。これなら、誰にも怪しまれずに中へ入れそうだ。
わたしは配膳室を抜けると、西客殿に続く廊下へ向かった。
他の二部屋を手早くすませ、目的の控え室へ急ぐ。
扉脇には制服警官がひとり立ち、少し先の廊下を王宮警備員が巡回していた。
……思ったより警戒が厳しい。
できるだけ慎重に動いたほうがよさそうだ。
「配膳室からです」
カートを示しながら告げると、警官は中を覗きこんでから扉を開けてくれた。
「奥の机に置いてくれ。通路は塞がないように」
促されるまま、室内に入る。
扉をくぐったとたん、雰囲気が一変したのがわかった。
どこか空気がピリピリしていて、重く息苦しい。
各家の侍女たちが集団で固まり、お互いに視線で牽制しあっているようだ。
部屋の中央にある長机には、裁縫箱がずらりと並んでいた。年嵩の王宮女官がひとつずつ中身を改め、その傍らで女性警官が話を聞いている。
見覚えのある顔に、配膳車を押す手に思わず力が入った。
――ジェーン・ワトスン。
よりによって、彼女がいるとは。
夕べ、ジャクリーン・モリアーティとして顔を合わせた相手だ。変装を見破られては困る。
とはいえ、ここで踵を返すほうがよほど目立つ。下手に動くより、しばらく給仕に徹して話を拾うほうがいいだろう。
わたしは何食わぬ顔で、指定された机にカートを寄せた。
「お茶をお持ちいたしました。夜からなにも召し上がっていない方もいるとお聞きしたので、よろしければ夜食もどうぞ」
「助かります。まだ、しばらくかかりそうですから」
女官はそう言って、侍女たちに視線をやった。
ちょうど次の聴取に移るところらしい。いいタイミングだ。
わたしはできるだけ恭しく見える速度で、ゆっくりとカップを配り始めた。
「では次の方、どうぞ」
ジェーンの声に、若い侍女が席を立つ。明るい栗色の髪を控えめにまとめた、やさしい顔立ちの娘だ。
深緑のリボンに、金蜂をかたどった家章留め。――メルモット子爵家の紋章だ。
「マリー・メルモット令嬢付きの侍女、エライザ・ダイトンさんで間違いありませんか?」
「はい」
カップへ茶を注ぎながら、さり気なく耳を澄ませる。
「昼にもお話を聞いたのに、何度もすみません」
ジェーンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「今夜、ファルコナー侯爵のコサージュから、毒の塗られた細い針が見つかったんです」
「毒の針……ですか?」
エライザの顔がサッと青ざめる。
無理もない。昼間、自分の主人が毒によって殺害されているのだから。
「それで、盟杯で配られたコサージュを改めて確認しているんですが……メルモット嬢のものだけ、まだ見つかっていなくて」
「お嬢様の……?」
どうやら、警察もようやくその事実に気がついたらしい。
「盟杯のあと、メルモット嬢には一度もお会いしていないのですよね?」
「はい。夜会前のお召し替えに呼ばれるはずでしたが、その前にあんなことが起きて……」
「なら、コサージュをどうされたかも?」
「存じません。わたしがお嬢様を最後にお見かけしたのは、盟杯へ向かわれる前でしたので」
ジェーンはうなずき、手元の紙をめくった。
「昼の聴取では、お支度の途中で下がるように言われたとお話しされていましたね」
「はい」
「なにか理由が?」
「お化粧の仕上げはご自分でなさるとおっしゃって……呼ぶまで決して近づかないように、と」
「ふだんから、ご自分で?」
「いいえ、今回だけです。そのために、何日も前から練習なさっていました」
「練習?」
ええ、とエライザはうつむきがちに答えた。
「若いご令嬢の間で流行っている、東方風のお化粧がしたいから、と。わたしの顔を使って何度も練習なさって、当日はひとりでもできるようにしておいででした」
「あなたの顔で?」
「はい。お嬢様と背丈や顔立ちが似ておりますので、ちょうどいいと……」
言われてみれば彼女は小顔で首が長く、肩幅も狭い。背丈も百六十センチ前後といったところか。
確かに、記憶の中のメルモット嬢によく似ている気がした。
「下がられた後は、ずっとこの部屋に?」
「はい」
「その後、呼ばれることは?」
「一度もありませんでした」
エライザは膝の上で、ぎゅっと指を握りしめた。
「もし、あのとき戻っていれば……お嬢様は……」
「そんな、あなたのせいじゃありません」
ジェーンが思わずといったふうに身を乗りだす。
「戻るなって命じられていたんでしょう? だったら、あなたにはどうしようも――」
そこまで言って、ハッと口をつぐんだ。
「……ごめんなさい。でも、もう少しだけ聞かせてください」
「はい……大丈夫です」
エライザが小さくうなずく。
そういえば、ゲームのジェーンもこうだった。目の前で誰かが傷ついていると、どうにも放っておけないらしい。
それからいくつか質問が続き、ほどなくエライザへの聴取は終わった。
彼女が席へ戻るころには、こちらも半数ほど茶を配り終えていた。
次に呼ばれたのは小柄な侍女だった。
亜麻色のくせ髪はきちんとまとめられているものの、ところどころ後れ毛がふわりと跳ねている。物静かそうな、感じのよい顔立ちだ。
胸もとの青いリボンには、白隼をかたどった銀の家章留めが光っている。
――ファルコナー侯爵家の侍女ね。
「テレーズ・ファルナさんですね?」
「はい……」
「ファルコナー嬢の手に針が刺さったとき、あなたも同じお部屋に?」
「はい、あの……もう夜も遅かったので、お休みのお支度に呼ばれておりました」
「そのときのようすを、詳しく教えていただけますか」
「ええと……アリシア様が、旦那様の上着を片づけていらして……」
テレーズは記憶を辿るように、ゆっくりと言葉を継いだ。
「それから?」
「コサージュを外そうとなさったとき、急に手を押さえられたんです」
テレーズが、自分の右手をそっとさすった。
「それで、針が?」
「はい。よく見たら……花の真ん中から、細い針が突き出ていました」
「控え室へは、ほかに誰かきましたか?」
「いえ……少なくとも、わたしがいた間は誰も……」
ジェーンは紙に書き終えると、長机に並ぶ裁縫箱へ視線を移した。
「こちらの裁縫箱が、ファルナさんのものですね?」
「はい」
「式のあいだ、どこに置いていましたか?」
「この部屋です。繕いものを頼まれたときだけ持って出て……それ以外は、自分の席に置いていました」
「鍵はかからないんですね」
「はい。蓋を閉じるだけです」
夜食を配り終えるころ、次の侍女が呼ばれた。
すらりと背が高く、濃い赤褐色の髪をきっちりまとめている。切れ長の目に、はっきりとした顔立ち。
黒絹のリボンに、銀地に三本の黒い槌をあしらった家章留めは、ヴェンディス伯爵家の証だ。
「グレイス・ドンデルさん?」
「はい」
「こちらが、あなたの裁縫箱ですね?」
「そうです」
「これを置いたまま席を離れたことは?」
「ございます。伯爵ご夫妻やヴィンセント様に呼ばれて、何度か」
「そのあいだ、誰かに預けました?」
「いいえ。蓋を閉じて、椅子の下に置いてありました」
グレイスは、長机に並んだほかの裁縫箱を見やった。
「……全員に同じことを聞いているんですよね?」
「はい」
「若様の荷物をあれだけ調べたうえ、今度は使用人の裁縫道具ですか」
硬い声で、ジェーンを睨むように見すえる。
「若様も、わたくしたちも犯人ではありません」
「疑っているわけじゃ――」
言いかけて、ジェーンは思い直したように口を閉じた。
「ごめんなさい、今のは違いますね。合鍵も毒物も見つかっている以上、疑いがあるのは事実です」
「やはり若様を逮捕するおつもりなのですね」
「いいえ、まだ犯人だと決まったわけではありません。だから、ほかの可能性も調べているんです」
こういうとき、変に取り繕わないのもジェーンらしい。ゲームでも、自分の間違いは素直に認める娘だった。
グレイスは納得したようすではなかったが、それ以上は言い返さなかった。
「では次、ベッシー・リーさん」
空いたカップにお茶のおかわりを注いで回り、どうにか時間を引き延ばしているうちに、呼ばれた侍女が席を立った。
細身で年嵩の女性。白いものが混じった黒髪をきちんとまとめ、暗色の瞳には落ち着いた光がある。
深紅のリボンに、銀の掌をかたどった家章留め。――バーン男爵家の侍女か。
彼女もひと通り同じような質問をされたが、答えは他家の侍女とほとんど変わらない。
……こんなところか。
空になったカップや皿を集めていると、侍女たちのささやき声がよく聞こえた。
「あなたのせいじゃないわ」
メルモット家の侍女たちが、涙を流すエライザに寄りそっている。
「お嬢様は何日も前から、当日はご自分で仕上げると決めていらしたでしょう。戻るなと命じられたのなら、あなたにはどうしようもなかったわ」
「でも……」
「二年くらい前、あなたが急にお暇をいただきたいって言い出したときだって、お嬢様、ずいぶん引きとめていらしたじゃない」
「そうそう。制服まで返して、本当に辞めるつもりだったのにね」
「そしたらお嬢様、新しい制服を押しつけてまで、『あなたまでいなくならないで』って泣きついていらしたじゃない」
「それだけ信頼されていたのよ、お嬢様に。だから、あなたが悪いなんてことあるはずないわ」
エライザは唇を噛み、目元を押さえた。
「……ありがとう」
「それに、ずいぶん練習なさっていたもの」
別の侍女も口を添える。
「鏡越しなら、一瞬お嬢様かと思ったくらいよ。あれだけできれば、ご自分でもできると思われたのでしょう」
エライザはしばらくうつむいていたが、やがて小さく頷いた。
彼女を慰めていた侍女のひとりが、ふとジェーンに声をかけた。
「あの、ひとつよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「お嬢様のパリュールは、まだ見つからないのでしょうか」
一瞬、ジェーンが言葉につまる。
「はい……まだ、捜査中です」
「ヴェンディス伯爵令息は連行されたのでしょう? それなのに、まだ見つからないのですか?」
「――若様が盗んだと決まったわけではありません!」
離れた席から、鋭い声が飛んだ。
グレイスが立ち上がりかけている。
「いい加減にしてください。これだけ探して見つからないってことは、若様が無実だってことよ。それを盗人のように――」
「あ、あの、待ってください」
ジェーンが慌ててふたりの間に割りこむ。
「真相を明らかにするために、こちらでも引き続き捜査しています。ですから、その……もう少しだけ待ってください!」
「え、ええ。頼みましたよ。パリュールは……あの金木犀のパリュールは、お嬢様の大切な宝物なのですから!」
ガシャン、と物が落ちる音がした。
振り向くと、バーン男爵家の侍女――たしかベッシーと言ったか――が、長机にぶつかって裁縫箱のひとつを落としたようだった。
「ちょっと、気をつけてよ!」
よろけた拍子にぶつかられたらしいグレイスが、苛立ちまじりに叫ぶ。
「も、申し訳ありません」
「こんなに狭いんだから、少しは周りを見てよね。……ったく」
文句を言いつつ散らばった裁縫道具を拾い出したグレイスは、しばらくして顔色を変えた。
「あ、あれ? ねえ、ちょっと! ――針が一本足りないじゃない!」
室内は、一気に緊迫感に包まれた。




