毒入りコサージュ事件
犯行現場の近くから走り去った男がいる。
そんな目撃証言まで出たのだから、事件はほどなく収束するものと思っていた。
――今、この瞬間までは。
「ライヘンバッハ公爵シェイマス・モリアーティ閣下。ファルコナー侯爵殺害未遂の容疑がかかっております。我々と同行していただきたい!」
日付が変わる、少し前。
控え室のドアが乱暴に開け放たれ、数人の警官が雪崩れこんできた。
そろそろ休もうと夜着に着替えていたわたしは、あまりに唐突な乱入に絶句する。
一方、名指しされた当人である父は、眉ひとつ動かさなかった。
「私の知らぬうちに、警察では名乗らず同行を求めるのが作法になったらしい」
男はぐっと言葉に詰まり、ばつが悪そうに居住まいを正した。
「……失礼しました。本庁犯罪捜査部所属、レストレード警部です」
……待てよ、レストレード?
その名前には聞き覚えがある。
「容疑の根拠を伺おう」
「先ほど、ファルコナー侯爵の胸章から、毒を塗った針が見つかりました。あれを管理し、参列者へ手渡していたのは閣下です」
「それだけか」
淡々と返され、レストレードの頬がわずかに引きつる。
「それだけ、ですと? 凶器へ直接細工できる立場にいた人物が判明したのです。事情を伺うには十分でしょう」
「お待ちください」
あまりの飛躍に、わたしは思わず口を挟んだ。
「あのコサージュは王宮側が用意したものです。父は当日にそれを受け取り、配っただけにすぎません」
「ですが、王宮側は無作為に箱へ詰めていた。どのコサージュを誰に渡すか決められたのは、閣下だけです」
「では、ファルコナー侯爵個人を狙った犯行だという根拠は?」
「それを今から調べるのです。そも、メルモット子爵令嬢が毒殺され、その夜にファルコナー侯爵令嬢まで毒針に刺された。無関係とは考えにくいでしょう」
「ファルコナー侯爵令嬢?」
しまった、とレストレードの顔が歪む。
「毒針に刺されたのは、アリシア嬢のほうだったのですか?」
「それは……ですが、針が仕込まれていたのは侯爵のコサージュです! ご令嬢はそれを外そうとして、誤って刺されたにすぎない。本来の標的は侯爵だったと考えるのが自然でしょう」
「では、犯行現場から走り去った男はどうしたのです? もう捕まったのですか?」
問いつめると、レストレードは渋い顔をした。
「すでに身柄は確保しています。ですが、当日の足取りを追ってみても、コサージュへ細工する機会がない。十一時半ごろから一時間ほどだけ所在がつかめませんが、その間にファルコナー侯爵が大広間にいたのは、何人もの参列者が見ています。しかも、その時にはもうコサージュを受け取ったあとで、容疑者が近づいた形跡もない」
レストレードは苦々しげに続けた。
「皮肉にも、我々が調べたことで、彼のアリバイが証明されてしまったわけです」
「では、メルモット嬢の殺害については?」
レストレードは口をつぐみ、警戒するようにこちらを見返した。
「捜査中の情報について、これ以上お話しすることはできません」
「つまり、容疑はまだ晴れていない?」
「閣下への疑いとは別の話です」
「では、ふたつの事件が同一犯とする根拠は?」
「それも現在、調査中です。しかし、どちらにしても閣下が最重要容疑者であることには変わりありません」
……そのとおりだ。
配布する立場であった以上、真実はどうあれ、父はコサージュに毒針を仕込めてしまう。
さらに、これがきっかけとなり、ワインに毒を混ぜた容疑もかけられるだろう。
ライヘンバッハ・リザーヴはモリアーティ家が用意したものだ。筋書きなら、いくらでも書けてしまう。
「ジャクリーン」
父に名を呼ばれ、口を閉じる。
これ以上はよせ、という意味だ。
「これは逮捕か?」
「いえ。現時点では、任意の同行をお願いしております」
「ならば応じよう」
「――お父様」
「人が殺された以上、警察には確認すべきことがある。拒む理由はない」
父はそう言って立ち上がると、クローゼットからコートを取り出して羽織った。
「参りましょう、閣下」
レストレードに促され、父は警官たちとともに部屋を出ていく。
警察に協力するという父の判断は正しい。
問題は、それを率いているのがレストレードだということだ。
ジョージ・レストレード。
乙女ゲーム『霧都事件ロマネスク』において、見当違いの容疑者を追い回しては事件をこじらせていた、筋金入りのポンコツ警部である。
彼に任せていては、事件が迷宮入りしかねない。
とはいえ、ここにはホームズもいる。
彼に任せておけば心配ない――と言いたいところだが、そうもいかない事情があった。
エルロック・ホームズは、シャーロック・ホームズではない。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれない。けれど、これはかなり重大な問題だ。
エルロックの推理は、主人公の選択肢に左右される。
『霧ロマ』は、ミステリー要素を売りにした乙女ゲームである。
そんなゲームで、主人公がなにもせずとも事件を解決してしまう名探偵がいたら、どうなるか?
そう、つまらないのである。
だから主人公は、エルロックが見つけられない証拠を見つけ出す。
気づかない真実に気づく。
その結果、エルロックの好感度が上がり、
『よくやった』
『きみは、いつか私を超える捜査官になるかもしれない』
といったボイス付きスチルが解放されるのだ。
裏を返せば、主人公の介入がないと、エルロックでは事件を解決できない可能性がある。
もちろん、ゲーム本編より前には、彼だけで解決した事件が山ほどあるらしい。
だが、今はちょうどゲーム本編と同じ時間軸。この法則が当てはまらないという保証はない。
ジェーンがいるから大丈夫だろうと思いたいところだが、先ほど取り調べられた時のやり取りを見るに、あまり期待はできそうにない。
そもそも、新人警官の彼女に、過度な期待は酷というものだ。
……であればもう、やることはひとつしかない。
「フォーマン」
「――はい」
従者控え室をノックし、待機していた専属侍女ならぬ従者を呼びつける。
「これから少し、無茶をするわ」
「かしこまりました」
「……止めないの?」
「お嬢様の無茶は、たいてい理にかなっておりますので」
「褒めているのかしら」
「もちろんです」
迷いなく言い切られてしまった。
この従者は、たまに忠誠心が強すぎるきらいがある。
「問題は、セバスチャンとフレデリックね。見つかったらさすがに止められるわ」
「では、見つからなければよろしいかと」
「ずいぶん悪い従者ね」
「お嬢様ほどではございません」
「……越後屋?」
「エチゴヤとは……?」
「なんでもないわ。気にしないで」
反射的に前世の知識が飛び出てしまった。
小さく咳払いをして、本題に戻る。
「フォーマン」
「はい」
「わたしに、変装を施してちょうだい」
いつまでも手をこまねいているつもりはない。
さあ、反撃開始だ。




