奇妙な紹介状
「ええっ! 白鹿亭のご主人が、エディス姉さまをご存じなかったんですか?」
受話器の向こうから響いたヒルダの声に、思わず耳を遠ざけた。
「ええ。空室を問い合わせたら、そういう返事が届いたの」
「そんな……。でも、エディス姉さまは、たしかにご自分が紹介して差しあげたとおっしゃっていましたわ」
「宿の主人と知り合いだという話も、ウッドリー嬢ご本人から聞いたのね?」
「ええ、間違いありませんわ。だから伯母さまも、いつの間にそんなお知り合いができたのか、不思議がっていらしたんですもの」
となると、ヒルダが聞き間違えた可能性は低そうだ。
「宿のご主人が勘違いなさっているのでしょうか?」
「そうかもしれないわね。でも、紹介者とのお付き合いを大切にしているお宿でしょう? その相手の名前を間違えるというのは、なんだか妙だと思わない?」
「たしかに、そうですわね……。あら? それなら、エリオット様はどうやってお泊まりになったのかしら」
そう、そこが最大の疑問点だ。
もしもウッドリー嬢が紹介者足りえないのなら、エリオット令息は白鹿亭に泊まれない。
しかし、現に彼は宿に泊まり、そこでスティーヴンソン嬢と出会っている。
どうやら、ヒルダもこの食い違いが気になりはじめたらしい。
「わたくし、姉さまに直接尋ねてみます」
「実は、そのことでお願いがあるの」
「なんでしょう?」
「宿からこんな返事が届いたことは伏せたまま、予定どおり紹介を頼んでみてくれないかしら」
「えっ? でも、ご主人がご存じないのでは、紹介は難しいのでは?」
「目的は紹介じゃないわ。ウッドリー嬢がなんとお答えになるか、それを確かめたいの」
「ああ、そういうことですのね」
ヒルダは納得しかけたようだったが、すぐに声を曇らせた。
「でもそれって、エディス姉さまを試すようで……」
「ひょっとしたら、ただの不幸な行き違いかもしれない。でも、このことがきっかけで、ふたりの仲がこじれた可能性もあると思うの。きちんと調べることで、なにかウッドリー嬢への慰めになるかもしれないわ」
しばらく受話器の向こうが静かになったが、やがて先ほどまでとは違う、はっきりとした響きの声が返ってきた。
「……わかりましたわ。そもそも、ジャクリーンお姉さまにご相談したのは、わたくしのほうですもの。こうなったら、とことん調べてみましょう!」
そして二日後、ヒルダから再び電話があった。
「すみません、やはり紹介はお断りされてしまいました」
「そう……。なんとおっしゃっていた?」
「あの宿のことはもう考えたくないの、って」
「それなら仕方がないわね。ありがとう、ヒルダ」
「でも、これはなんの根拠もないことなのですが……なんだか、傷心しているようすじゃなかったんです。どちらかというと、なにか隠しごとをされているような……。ごめんなさい、こんなことを言って」
「あら、身近な人間の直感って、案外バカにならないものよ」
とはいえ、これでは無駄に謎が増えただけだ。
「あの、お姉さま、ご相談があるのですが……今度の旅行、ケリンチにも寄ってみていいでしょうか?」
「そうね。せっかくだから調べてみる? 白鹿亭」
「さすがはお姉さま、話が早いですわ!」
とはいえ、紹介制を守るほど慎重な主人が、顧客の情報を、見ず知らずの人間に教えてくれるとは思えない。
……さて、どうするか。
◇◇◇
数日後、わたしたちは予定どおりオースティン州のサンディトンへ出発した。
秋の海辺は思いのほか過ごしやすく、初日は海を見渡せるテラスを散策した。途中で立ち寄った帽子店では、いつまでも試着をやめないヒルダをロナルドが無理やり連れだすはめになった。
わたしもわたしで、貸本屋で見つけた珍しい数学書に夢中になってしまい、ヒルダに拗ねられてしまうなどした。
翌日は砂浜へ出かけたのだが、貝殻拾いを始めたヒルダがなかなか戻ってこない。そこでロナルドに呼びにいってもらったところ、今度はふたりとも帰ってこなくなった。
仕方なく様子を見にいくと、兄妹そろってどちらがきれいな貝殻を見つけられるか競っているではないか。
……どうやら、頼む相手を間違えたらしい。
そして滞在三日目、わたしたちはケリンチへ向かうことにした。
白鹿亭は、町の中心から少し離れた通りにあった。石造りの落ちついた雰囲気の建物で、入り口には白い牡鹿の像が立っている。
そのすぐ近くでは、先に到着していたヒルダとロナルド、それから護衛につかせたフレデリックが待っていた。
「……まあ、あなたは!」
こちらに気づいたヒルダが、ぎょっとしたように目を見開く。
その視線は、わたしの隣にいる人物に釘づけになっていた。
「エリオット様! ここで会ったが百年目ですわ! エディス姉さまにあんな仕打ちをしておいて、よくも……!」
「ヒルダ、よせ」
妹の前に出たロナルドが、静かに制した。
「でも、兄さま!」
「……ここで騒ぐな」
「ヒルダ、落ちついて。わたしよ」
小声で呼びかけると、ヒルダは初めてこちらに気がついたようだった。
「……えっ? あなたは……」
「ふふ、ジャクリーンよ」
「ジャクリーンお姉さま!?」
ヒルダは目を丸くして、わたしの顔と服装を交互に見つめた。
「まあ! どうして殿方のお姿に!?」
「フォーマンに変装してもらったの」
「……ということは、こちらのエリオット様は……」
ヒルダが恐る恐る隣の紳士を見やる。
「お褒めにあずかり光栄でございます、お嬢様」
フォーマンがエリオット令息そのものの優雅な仕草で帽子を取ると、ヒルダは思いきり吹き出した。
「まあ、フォーマン! すっかり騙されてしまいましたわ! あの気取ったご様子まで、本当にそっくりですこと!」
「……見事だな。僕も本物かと思った」
ロナルドも感心したように頷いた。
当然だ。わたしの専属従者は、あの怪盗紳士アルセーヌ・ルーピンから直々に変装術を授けられているのだから。
「ですが、そうして変装しているということは、まさか……」
「ええ。これで探ってくるわ」
わたしとて、無駄に男装しているわけではない。
エリオット令息の友人という体で同行するのだ。
「じゃあ、行ってくるわ。ヒルダたちは、どこかでお茶でも飲んで待っていてくれる?」
「ええ、もちろんですわ! どうぞお気をつけて」
「フレデリック、彼らをお願いね」
「承知いたしました。この命に代えてもお守りいたします」
……いや、そこまでの覚悟は求めていないのだが。
白鹿亭の扉をくぐると、こぢんまりとしながらも温かな雰囲気の内装に迎えられた。
調度品には品があり、床や家具もよく磨かれている。
ほどなくして初老の主人が姿を現した。
「おや、エリオット様! これはまた、ようこそお越しくださいました」
主人はフォーマンを見るなり、嬉しそうに顔をほころばせた。
どうやらうまく騙せているらしい。
「その節はたいへんお世話になりました」
「いえいえ。こちらこそ、またお越しいただけて光栄でございます」
「いえ、実は昼過ぎにはこちらを立たなくてはいけないのですよ。今回は別件でね」
「別件、でございますか?」
主人がふしぎそうな顔をする。
「実は先日、エディスとの婚約を解消しまして。こちらの宿も彼女に紹介してもらったのですが、その縁が切れた今、またここに泊まれるのかと思いましてね」
「……エディス様、とおっしゃいますと?」
「以前の婚約者ですよ。エディス・ウッドリーです」
主人は怪訝そうな顔をした。
「恐れ入りますが、エリオット様を当館にご紹介くださったのは、アン・スティーヴンソン様でございます」
「……ああ、アンが」
フォーマンは一瞬だけ目を細め、それから嬉しそうに微笑んだ。
「なるほど、そういうことでしたか。いや、エディスからこちらを薦められたものですから、てっきり彼女が手配してくれたのだと思っていましたよ」
「さようでございましたか。ですが、当館ではスティーヴンソン様からお手紙を頂戴しておりまして」
「それなら安心しました。アンとは今も親しくしていますから、紹介の件で困ることはなさそうだ」
想定外のことを言われても動揺しないのはさすがといったところか。
本物のエリオット令息らしく、満足げな顔をしている。
「それにしても一本取られましたね。あの日は仕事で慌ただしかったものですから、宿のことまで気が回りませんでした。まさか、アンがそこまで気を利かせてくれていたとは」
「ええ。お越しになる数日前には、きちんとお手紙を頂戴しておりましたよ」
「なんと、それほど早く予約してくれていたのですか?」
フォーマンが感心したそぶりを見せると、主人は「少々お待ちくださいませ」と言い残し、帳場の奥から一通の封書を取り出した。
「こちらでございます。ご宿泊の三日前に届いたお手紙でございますね」
「……なるほど、ずいぶんと前から気にかけてくれていたんですね。改めてお礼を伝えなければ」
ふたりが和やかに会話する一方で、わたしはひとり考えこんでいた。
……三日前?
エリオット令息とスティーヴンソン嬢が初めて出会ったのは、御料林の検分の日だと聞いている。
だが、それより三日前に宿を紹介していたのだとしたら、計算が合わないではないか。
わたしは当初、ウッドリー嬢は白鹿亭を手配したつもりでも、実際には紹介が成立していなかったのではないかと考えていた。
だとすれば、エリオット令息は現地で宿泊を断られ、困ったことになっただろう。プライドの高い彼のことだ、それで婚約者の不手際に不満を抱いたとしてもおかしくない。
そこへ偶然居合わせたスティーヴンソン嬢が助け舟を出し、自分の紹介で泊めてもらえるようにしたのだとすれば?
エリオット令息はウッドリー嬢への評価を下げ、反対にスティーヴンソン嬢へ好感を抱いたのかもしれない。そう考えれば、彼が語っていた『運命的な出会い』にも、一応の説明がつく。
だが、彼女があらかじめ宿を手配していたのなら、その仮説は成り立たなくなる。
こうして新たな謎を抱えて、わたしたちは宿を後にした。




