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モリアーティ公爵令嬢の終局的推理  作者: 国枝桜子
第二章 婚約破棄殺人事件

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エリオット氏事件の顛末

 あの夜会から一週間ほど経ったころ、ヒルダがロナルドとともに、再びモリアーティ邸を訪ねてきた。


「聞いてください、ジャクリーンお姉さま! エディス姉さまとエリオット様の婚約が解消されたんです!」


 挨拶もそこそこに、ヒルダは憤慨したようにいった。


「そう、正式にきまったのね」

「ええ。それでエリオット様ったら、婚約を破棄したばかりだというのに、もうスティーヴンソン嬢との出会いがいかに運命的だったか、あちこちでお話しになっているんですって!」

「運命的?」


 なんだそれは。


「エリオット様はスティーヴンソン嬢と、御料林局のお仕事で知り合ったそうですの。しかも、その日のお宿が同じところで、それで運命的だって一気に燃えあがったんですって! でも、そのお宿だって、エディス姉さまが紹介して差しあげたものなのに!」

「宿まで紹介していたの?」

「ええ。白鹿亭(ホワイト・ハート)というお宿で、ご主人とお付き合いのある方から紹介していただかないと泊まれないんですって。姉さまはたまたまご主人とお知り合いだったそうですの」


 ヒルダはまだ腹の虫が治まらないらしい。


「伯父さまったら、あんな大勢の前で娘に恥をかかせるなんて許せないって、婚姻約束違反で訴えるとまで言い出したそうですわ。それはもう、大変な騒ぎだったとか!」

「ウッドリー卿なら、そうお考えになるでしょうね」

「ですがエリオット様は少しも悪びれず『訴訟になれば婚約中のお手紙も証拠として法廷に出すことになる、新聞にも載るかもしれない』などとおっしゃったそうですの!」


 なるほど、ずいぶんと嫌なところを突いてくる。

 上流階級では、婚約破棄で訴訟まで起こす人間は少ない。裁判になれば、付き合っていたころのことをあれこれ聞かれ、婚約中の手紙まで証拠として持ち出されるからだ。まして、その内容が新聞に載れば、今度は賠償金目当てだと面白おかしく書き立てられかねない。

 家の評判や今後の縁談を考えれば、賠償金をもらっても割に合わないのだ。


「まるで脅しではありませんか! しかも、訴えたところで、たいした賠償金もいただけないんですって!」

「婚礼の準備も、まだほとんど進んでいなかったものね」

「そうなんです! 婚約したばかりで、式のお支度にもろくにお金を使っていなかったでしょう? 今の法律では、実際に損したぶんしか払っていただけないんですって。……もう! シェイマス様が新しい法律なんてお作りになるから!」


 ヒルダはとうとう、こちらにまで恨めしそうな目を向けてきた。


「以前の法律には、いろいろと問題があったのよ。失恋の悲しみにいくら払わせるか、陪審員の心象次第で大きく変わってしまうのだから」

「でも、あんな方がろくに罰も受けずに済んでしまうなんて!」


 たしかに、ヒルダの言い分もわかる。

 だが旧法では、美人ならば多額の賠償金が認められる一方で、不美人は婚期を逃した挙句に捨てられても、ろくな賠償金が認められないことさえあったという。

 それに、婚約者の浪費癖や借金が明らかになっても、莫大な賠償を恐れて婚約を解消できなくなったり、逆に高額な請求をちらつかせて金を脅し取ろうとしたりする者もいた。


 そこで父たちは、婚礼の準備費用や、仕事を辞めて失った収入など、実際の損失に限って賠償を認めた。結婚する気のない者を賠償金で縛りつけても、誰も幸せにはなるまい。

 だからといって、あんなやり方で婚約を破棄していいわけではないが。


「それで、結局どうなったの?」

「それがエディス姉さまは、もうこれ以上、エリオット様とは関わりたくないそうで……訴訟は取りやめることになりそうです」


 先ほどまでの勢いが嘘のように、ヒルダの声が沈んだ。


「姉さまは、もう済んだことだから気にしないで、とおっしゃるんです。わたくしのほうが腹を立てていたら、かえって慰められてしまいました」

「そう……。それなら、ウッドリー嬢のお気持ちを尊重するしかないわね」


 いつまでも争い続けるより、さっさと縁を切るほうを選ぶ人間もいる。まして相手が脅しをかけているのなら、泥沼になることは目に見えている。

 婚約期間の短さを考えれば、ウッドリー嬢の判断は賢明と言えるだろう。


「でも、伯父さまがなかなか折れてくれなくて、お父様とロバート兄さまが何度も説得してくださったんです。姉さまご本人が望んでいないのに、裁判にしても仕方がないって」

「……結局、兄上が一番働いていたな」


 ロナルドがぽつりと言った。


「本当ですわ。面倒事を増やしたくないとおっしゃっていたのに、結局いちばん走り回っていらっしゃるんですもの」


 ヒルダはようやく少し口元を緩め、それから自分に言い聞かせるように続けた。


「……でも、あんな方と結婚せずに済んだことだけは、よかったのかもしれません。エディス姉さまも、これからは以前のように穏やかに過ごしてくださるといいのですけれど」

「そうね。まずは、ゆっくり休んでいただくのがいいでしょう」


 それにしても、エリオット令息は意外と計算高い人間らしい。夜会ではあれほど感情的に振るまっていたのに、その裏では婚約を破棄した後のことまで抜かりなく考えていたとは。

 こうなったことを、肝心の相手はどう思っているのだろう。

 あの夜会での振るまいからして、この顛末を手放しで喜ぶような人間には見えなかったが。


「スティーヴンソン嬢については、なにか聞いている?」

「いえ……。あの方、滅多に王都には顔をお出しにならないでしょう? わたくしも今回の騒動で初めて見かけたくらいですし。周りにもお付き合いのある方がいらっしゃらなくて、詳しいことは存じませんの」

「そうよね、わたしもよ」


 スティーヴンソン家といえば、オースティン州のケリンチ領に本拠を置く、由緒ある男爵家だ。

 昔は、国王から議会に出席するよう召集令状を受け、それに応じることで男爵と認められる者もいた。スティーヴンソン家の爵位もそうして生まれたもので、通常の爵位授与状とは違い、継承者を男子に限る決まりがない。そのため、一人娘のアン嬢にも爵位を継ぐ権利がある。

 知っていることといったら、そのくらいだろうか。


「先ほど、おふたりは御料林局の仕事でお知り合いになったと言っていたけれど、どういうことかしら」

「なんでも、ケリンチ領と御料林の境目にある古い樫の木が倒れて、どちらの土地のものかわからなくなってしまったんですって。それで、そこの担当者だったエリオット様が検分に出向いたとか」

「土砂で境界標が動いた」


 ロナルドが短く補った。

 なるほど、境界標の位置が変わってしまっては、その木が王室とスティーヴンソン領のどちらに属するか、確かめ直さねばならない。


「そうでした。それで、スティーヴンソン嬢も領地の相続人として立ち会われたとか」

「そうして、その日の宿で再会したのね。偶然にしてはできすぎた話だわ」

「だから運命なのだそうです。くだらない!」


 苛立ちが再燃したのか、ヒルダは眉間にシワを寄せた。


「その運命の裏にウッドリー嬢の貢献があるのだから、皮肉な話ね」

「伯母さまも、そんな宿を紹介しなければって愚痴をこぼされていました。滅多に王都から出ないくせに、いつの間に宿の主人と知り合ったんだか、って……エディス姉さまのせいじゃないのに!」

「ウッドリー夫人も、さぞや口惜しいのでしょうね」


 本気で娘を責めているわけではなく、悔しさのやり場がないのだろう。


「ところで、そのウッドリー嬢ご自身はどうなさっているの?」

「それが、婚約が解消されて吹っ切れたのか、かえって以前よりお元気そうなんですの。やっぱり、あの方が姉さまの運気を奪っていたんですわ!」

「それならよかった。嫌な相手と縁続きにならなくて、かえって幸いだったのかもね」


 関係が切れたことで、嫉妬からも解放されたのだろう。

 この先の人生で、長く心乱されるより、穏やかでいられる相手を見つけてほしい。


「でも、なんだかわたくしのほうが嫌になってきてしまいましたわ。王都にいると、どこへ行ってもあの方の噂ばかりなんですもの」


 ヒルダはうんざりとしたようにため息をついた。


「それなら、少し王都を離れてみたらどう? 秋のうちに、どこかへ小旅行とか」

「まあ、素敵! せっかくですから、ジャクリーンお姉さまもご一緒にいかがですか? ね、兄さま?」

「ヒルダ、あまりジャクリーンを困らせるようなことは……」

「でも、お姉さまがいらしてくださったほうが、兄さまも嬉しいでしょう?」

「それは……まあ……」


 聞かれて、ロナルドはモゴモゴと口ごもってしまう。

 変に気をつかってもらわずとも、嫌なら嫌でいいんだが……。


「ほら、兄さまもこうおっしゃってます!」

「そうね。日程があえば、ご一緒しようかしら」

「でしたら、どちらへ参りましょう! せっかくですから、海が見えるところがいいですわね」


 すっかり機嫌をなおしたヒルダは、もう旅先のことを考えはじめているらしい。


「海なら、サンディトンはどうかしら。海辺の保養地として有名でしょう」

「いいですわね! あら、そういえば……サンディトンって、オースティン州でしたわよね? ケリンチ領にも近かったはずですわ」

「ああ、そういえばそうね。じゃあ、別のところにしましょうか?」

「うーん、そうですわねぇ……。でも、先ほどの白鹿亭というお宿も、ケリンチにあるそうなんですの。紹介がなければ泊まれないなんて、いったいどんなところなのかしら」


 紹介制の私的な宿というのは、誰でも利用できる普通のホテルとは違う。

 主人が客を選ぶからには、それだけの評判を保っているのだろう。


「まさか、その宿に泊まるつもりか?」


 ロナルドが胡乱(うろん)げな目つきを向ける。


「だって、兄さまだって気になりません? エリオット様があれほど運命だなんだと騒ぎ立てたお宿ですのよ」

「……宿は関係ないだろう」

「でも、エディス姉さまがわざわざ紹介するほどだもの。きっと素晴らしいお宿なのでしょうね。わたくしたちが泊まって、あの方よりずっと楽しく過ごして差しあげるのも悪くありませんわ!」


 なるほど、そういう考え方もあるのか。

 もっともエリオット令息が知ったところで、とても悔しがるとは思えないが。


「ただ、紹介していただくには、ウッドリー嬢にお願いすることになるのでしょう? あまり気の進まない話かもしれないわね」

「あ……そうでしたわ」


 ヒルダの表情が曇った。


「せっかくお元気になられたのに、嫌なことを思い出させてしまうかもしれませんものね」

「無理にお願いすることはないわ。別のお宿でも、じゅうぶん楽しめるでしょうし」

「では一度だけ、それとなくお尋ねしてみます。もし姉さまが気乗りしないようなら、今回は諦めますわ」

「それなら、先に宿が空いているか確かめてみましょうか。満室ならば、わざわざ頼んでも仕方がないもの」

「たしかに、そうですわね。候補の日をいくつか挙げて、問い合わせてみたほうがいいかもしれません」


 こうして、思いがけず秋の小旅行の話がまとまった。

 久しぶりに王都を離れて過ごすのは、わたしにとっても悪くない気分転換になりそうだった。


 その日のうちに、わたしは白鹿亭の主人宛てに問い合わせの手紙を書いた。

 希望する日程と人数を伝え、客室に空きがあるかを尋ねる。紹介については、ウッドリー嬢を通じてお願いできる見込みだが、まだご本人の了承を得ていないことも添えておいた。


 それから数日後、白鹿亭からの返書が届いた。

 そこには整った筆跡で、問い合わせた日程にはまだ客室の余裕があると書かれていた。


 だが、続く一文は、わたしの手を止めるのにじゅうぶんだった。


『なお、お申し出のございましたウッドリー嬢につきましては、大変恐縮ながら、そのような方は存じあげません』


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― 新着の感想 ―
うお! なんか聞き覚えあるなケリンチ…と思ったら、サンディトンにオースティンと来て、『説得』かー!となりました。 ジェイン・オースティン好きすぎて、以前、ようわからん中編書いていたりです… ジェイン…
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