エピローグ
あれから、ファルコナー嬢と例の警官は、ブルワー教授のもとで療養を続けているらしい。
あの異常な暴れかたこそ収まったものの、状態は決してよくないと聞いた。虚ろな目をしたまま呼びかけにもほとんど反応せず、まともに受け答えができない状態が続いているという。
なにがふたりをあのようにしたのかも含め、今は厳重な監視のもとで回復を待つしかないそうだ。
そして、一連の事件の後始末は、案の定かなり面倒なことになった。
ファルコナー侯爵家の令嬢が、王宮の儀式を利用して子爵令嬢を殺害した――そんな話が世間に知れ渡れば、もはやファルコナー家だけの問題ではない。王家の威信にも関わるし、献上式そのものの安全性まで疑われかねない。
もちろん、だからといって警察が事件をなかったことにしたわけではない。
ファルコナー嬢の自白も、これまでに集められた証拠も、すべて正式な捜査記録として残された。ただ、それを公の裁判に持ちこむかどうかは警察だけで決められる問題ではないとして、王冠法務官や枢密院まで交えて協議することになったそうだ。
被害者の遺族であるメルモット家にも、当然ながら意向が確認された。
実はメルモット家は、困窮した貴族へ金を貸す代わりに、その名前を自分たちの鉄道事業へ利用していたらしい。
公開裁判を望むのであれば、王家として止めるつもりはない。ただし、その場合は犯行の動機まで明らかにする必要があるため、バーン家への融資や金木犀のパリュールだけでなく、そうした商売についても調査が及ぶことになる。
王家の意向をそう伝えた父に対し、メルモット夫妻は結局、事件をこれ以上公にしない道を選んだ。
娘の名前をこれ以上世間に晒したくない――というのが表向きの理由だったが、本音がそれだけではないことくらい、誰にでもわかるだろう。
そんなわけで事件の詳細は封印され、ファルコナー嬢に対する公開の訴追も、今のところは見送られている。
もっとも、無罪放免になったわけではない。そもそも今の状態では裁判どころではないので、引き続き王家の監督下で療養させたうえで、回復後の処遇を改めて決めるとのことだ。
世間に発表されたのは、ファルコナー侯爵令嬢が献上式の最中に体調を崩し、長期療養に入ったということだけだった。
ヴェンディス令息についても、事情は似たようなものだった。
王宮の鍵を壊し、職人を買収して合鍵を盗み出したうえ、毒物まで持ちこんでいる。さらに、発見した遺体にナイフを突き立て、強盗殺人に偽装までしたのだ。いくら殺人自体は未遂とはいえ、なんのお咎めもなしとはいかない。
とはいえ、彼を裁判にかければ、とうぜんファルコナー嬢の犯行までも明らかにしなくてはならない。
結局、こちらも公開の訴追は見送られ、王宮への出入りを禁じられたうえで、今後の官職への任用も認められないことになった。彼の身柄は父親であるヴェンディス伯爵に引き渡され、当面は領地で謹慎するとのことだ。
それから、ルパンに頼まれていた金木犀のパリュールにも決着がついた。
父がモリアーティ家の顧問弁護士を通じて手続きを進め、メルモット家もこれ以上権利を主張しないことで合意した。正式な譲渡手続きを経て、パリュールはようやくバーン家のもとへ戻ったのだ。
盗み出しただけでは、本当の意味で取り返したことにはならない。おそらくルパンは、あのパリュールにこれ以上の瑕疵を残したくなかったのだろう。
その一方でバーン夫妻は、娘の遺品をエライザに託した。満月と金木犀をあしらった、あの鏡の片割れを。
「責任をもって、お嬢様の棺にお入れいたします」
エライザはそう言って、それを受け取った。
これで、二年半ものあいだ離れ離れになっていた鏡は、ようやくひとつになるのだ。
わたしはというと、王太子殿下から正式な謝罪を受けた。
宮内長官府からの回状だけでは済ませず、事件がひとまず片づいたあと、王家は招待客を帰す前に全員をもう一度大会場へ集めたのだ。
壇上には女王陛下と王配殿下、それから捜査から外されて以来ほとんど姿を見せなかったクラウディオ殿下もいた。
皆が見守る中、殿下は壇上を降り、わたしの前まで進み出た。
「モリアーティ嬢。昨夜、私はじゅうぶんな証拠もないまま、あなたを犯人と決めつけるような発言をした」
いつもの快活さは鳴りをひそめ、ひどく真剣な顔をしている。
大会場には前日と同じ顔ぶれが揃っていた。あの場でわたしを疑い、あるいは遠巻きに様子を窺っていた者たちも、今は誰ひとり声を発さずこちらを見ている。
「人が亡くなったと知って、一刻も早く犯人を捕らえなければと焦っていた。だが、それはあなたを公衆の面前で糾弾してよい理由にはならない。王太子としても、一個人としても、軽率だったと思っている」
そこまで言うと、殿下は一度だけ息を整えた。
そして、王太子という立場にありながら、居並ぶ貴族たちの前で、わたしに向かって深く一礼した。
「あなたの名誉を傷つけたことを、ここに謝罪する。本当に申しわけなかった」
広い大会場が、しんと静まり返る。
「――お言葉、確かに承りました」
ここまでしていただいたのなら、わたしからこれ以上求めることはない。
これで一件落着――と言いたいところだが、もうひとつ問題が残っていた。王太子殿下の婚約者選びである。
ファルコナー嬢が長期療養に入ったことで、王太子殿下の婚約者候補からは外れることになった。
ならば残ったわたしとの婚約がそのまま進むのかと思いきや、父は今回の騒動を理由に辞退を申し出たらしい。公衆の面前で王太子から殺人犯扱いされた直後に、なにごともなかったように婚約を結ぶというのも、さすがに外聞が悪い。
ところが王家は、なぜか父の申し出を受け入れなかった。今の状況で婚約を成立させるのも、逆にわたしを候補から外すのも適切ではないとして、婚約者の選定そのものを当面保留にしたのだという。
つまり、わたしはいまだに王太子妃候補のまま。
事件はひとまず終わったというのに、こちらの問題は少しも終わっていなかった。
一方、警察からは思いがけない訪問があった。
メグレ警視とレストレード警部が、バンクロフト総監からの書状を携えて屋敷へやってきたのだ。
なぜか、その後ろにはホームズ警部補まで同行していた。
「今回の件では、まずお詫びを申しあげなければなりません」
応接室で向かいに座ると、メグレ警視が切り出した。
「捜査にご協力いただいたにもかかわらず、モリアーティ嬢には多大なご迷惑をおかけしました。捜査責任者として、お詫び申しあげます」
「私からも、謝らせていただきたい」
レストレード警部が続けた。
「自分の見立て違いでした。じゅうぶんな証拠も揃わんうちに、あなたに嫌疑を向けてしまった。……大変申しわけなかった」
「おふたりとも、職務でなさったことでしょう。もう気にしておりません」
そう答えると、警視がうなずいた。
「では、今度はお礼を申しあげます。モリアーティ嬢のご協力がなければ、我々は事件の全容を解明できなかったでしょう。警察として、深く感謝しております」
バンクロフト総監からの書状にも、わたしへの謝意が記されていた。
事件の捜査報告書には、真相の解明に貢献したことを正式に残すという。
「それにしても、あの推理には恐れ入りましたな」
レストレード警部の声には、率直な感嘆がこもっていた。
「あれほど入り組んだ事件を、ああも鮮やかにひっくり返されるとは」
「……恐縮です」
すると、それまで黙っていたホームズ警部補が口を開いた。
「私からも、ひとことよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「お見事でした、モリアーティ嬢」
そう言って、わずかに目を細める。
「人は同じものを見ていても、必ずしも同じことに気づくとは限りません。あなたは皆が見過ごしていた事実を拾いあげ、そこから見事に真相を導き出された。実に素晴らしい推理でした」
「ありがとうございます」
「あなたには、優れた観察眼と推理力がおありです。今後どこまでその才能を伸ばされるのか、私としても大いに興味があります」
「……それは、少々買いかぶりではありませんか?」
「いいえ。私はただ、見たままを申しあげているだけですよ」
ホームズは楽しげに微笑んだ。
まったく、なんの因果だろう。
本来なら黒幕であるわたしが、メインヒーローのホームズから才能を認められるとは。
……これが『霧ロマ』なら、今ごろボイス付きスチルが解放されている場面だな。
もっとも、あの事件にはまだひとつ、わからないことが残っている。
あとになって父から聞いたところによると、あのとき使われた毒物は、警察の鑑定でも正体を特定できなかったそうだ。
「植物由来らしいというところまではわかったそうだ。だが、警察が保有する標本にも記録にも該当するものがない」
「では、なんの毒なのかは……」
「今のところ不明だそうだ」
父の話によると、鑑定は今後も続けられるらしい。
それとは別に、わたしにはもうひとつ引っかかっているものがあった。
ファルコナー嬢が持っていた、あの薄い緑灰色の封筒だ。
中に入っていた犯罪計画書も含め、今の彼女から事情を聞くことはできない。
けれど、わたしはあれを知っている。
『霧ロマ』で、黒幕が実行役へ犯罪計画を渡すために使っていたものだ。
もちろん、今のわたしはそんなもの用意していないし、誰かに殺人の手順を教えたこともない。それなのに、あまりにもよく似たものが彼女の手にあった。
ただの偶然なのかもしれない。それでも、胸の奥に残った違和感だけは、どうしても消えてくれなかった。
そんな中、ブルワー教授がいつもの定期検診のため屋敷を訪れた。
脈や瞳孔をひととおり診たあと、教授はわたしの向かいに腰をおろす。
「眠りはどうです?」
「よく眠れています」
「よろしい。頭痛や吐き気は?」
「ありません」
ブルワー教授の診察は昔から細かい。体調だけでなく、こちらが気にも留めないようなことまで、毎回ひとつずつ確かめていく。
「最近、気づけば時間が経っていた、ということはありませんか?」
「いいえ」
「では、自分では覚えていないことを、あとから誰かに指摘されたことは?」
「それもありません」
「理由もなく、ひどく腹が立ったり、なにかをしたいという強い衝動に駆られたりしたことは?」
「ありません」
「普段のあなたなら選ばないようなことを、なぜか無性にしたくなることは?」
「いいえ」
こうしたことを聞かれるのも、これが初めてではない。
「昔の出来事について、ご自分の記憶と周囲の話が食い違ったことはありますか?」
「ありません」
「以前は知らなかったはずの場所や物を、なぜか知っているように感じたことは?」
「……いいえ」
一瞬、あの封筒のことが頭をよぎった。
けれど、それはこの人に説明できるようなことではない。
「では、お母上について、最近なにか思い出したことは?」
「……え?」
「あなたのお母様です」
「どなたのことですか? わたしは物心ついたころから、お父さまとふたりでしたが……」
教授はしばらくこちらを見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「そうでしたね。では、特に問題はなさそうです」
「今日はいつもより質問が多いのですね」
「最近いろいろありましたからね。念のためです」
普段どおりの、穏やかな声だった。
「もし今後、覚えのないことや、普段と違う気分の変化があれば、すぐ私へ知らせてください。……どんな些細なことでも」
「わかりました」
「よろしい」
そのあとは食事や睡眠についていくつか確認され、いつもどおり診察は終わった。
結局、今回の事件では、最後までわからないことがいくつか残った。とはいえ今ある材料だけでは、これ以上考えても答えは出そうにない。ひとまず、ここで区切りをつけるしかないだろう。
それでも、王宮毒殺事件そのものは幕をおろした。ゲームでは黒幕になるはずだったわたしが事件を解決し、王太子殿下から正式な謝罪まで受けたのだから、少なくとも当初恐れていた筋書きからは大きく外れたはずだ。
この先になにが待っているのかはわからないが、それでもひとつだけ確かなことがある。
わたしの名前はジャクリーン・モリアーティ。
――わたしは、この世界の悪役ではない。




