私が殺した令嬢
これまで蚊帳の外にいたバーン男爵夫妻へ一気に視線が集まったせいか、彼らは緊張で身をこわばらせた。
「……なにを根拠に、そんなことを?」
「そうですわ。勝手に娘を巻きこむのはおやめください」
ファルコナー夫妻が静かに問い返す。その隣に座る彼らの娘は、うつむいたまま黙っていた。
わたしは彼らをあえて無視し、バーン夫妻へ向き直った。
「バーン男爵。メルモット嬢は、あなた方のご令嬢と親しくなさっていたそうですね」
男爵はしばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「……ええ、それは事実です」
「おふたりは同じ学校に通っていて、ずいぶん親しかったとか。ですが事故の少し前、金木犀のパリュールをめぐって仲違いしていた」
「娘から、そう聞いておりました」
「その後、バーン嬢はメルモット嬢との仲をずっと気になさっていた。事故の日にも、仲直りのためにメルモット邸を訪ねていますね」
「はい」
「しかし、会うことは叶わなかった」
視界の端で、エライザが硬い表情でうつむいたのが見えた。
「その帰り道、彼女はメルモット・パーク駅で事故に遭った。当時の調査では、強風にあおられて足を滑らせ、線路へ転倒したことによる事故とされています。しかし、それだけでは説明がつかない」
「……どういうことでしょうか」
「彼らが、なぜメルモット嬢を殺してまで復讐しようとしたのか、です」
ただ親しかった令嬢が事故で亡くなっただけで、ここまで周到な計画を立てるとは思えない。そこにはなにか、深い恨みがあったはずだ。
「わたくしは今回、ヘレン・バーン嬢について少しばかり調べさせていただきました」
「……どこまでご存知なのでしょうか」
「ほとんど、とだけ申しあげておきます」
この場で暴き立てるつもりはない。それがベッシー・リーとの約束だからだ。
ただし、釘は刺させてもらう。
「ランドルフとケイレブ。それに、ローランドとオットー。ファルコナー侯爵家には、興味深い兄弟の逸話が多いですね。――『ミステリカ諸侯家沿革史』は、なかなか興味深い本でした」
侯爵の表情が変わり、夫人も顔をこわばらせる。
だが、それ以上は言わないでおく。必要なのは、こちらがどれだけ知っているのか、彼らに悟らせることだけだ。
「他家のプライベートな事情ですから、わたくしの口からずけずけとお話しするつもりはございません。ただ、事件を考えるうえで必要なことだけ申しあげます。ファルコナー嬢にとって、ヘレン・バーン嬢はとても大切な方だった。そして――ヘレン嬢は、ヴェンディス令息の婚約者でした」
「婚約者ですと!?」
今度ばかりはレストレード警部も驚きを隠せないようだった。
メルモット嬢の死が、まさか二年半前に亡くなったバーン家の令嬢と関係するとは思うまい。一見して無関係なふたつの事件を結びつけるのは、さすがの警察でも難しかったことだろう。
わたしとて、パリュールの地金に彫られた文字から辿らなければ不可能だったはずだ。
「ヴェンディス殿、それは本当ですか?」
「……ええ、ヘレンとは婚約していました。ですが、それがなんだと言うのです?」
「それが今回の動機となるならば、大いに関係があります。あなたもまた、ヘレン嬢の死を理由にメルモット嬢を恨んでいた。違いますかな?」
令息は答えず、すさまじい目でこちらを睨んだ。秘密を暴き立てたわたしを恨んでいるに違いない。
だが、ヘレン・バーン嬢について調べれば、遅かれ早かれバレることだ。それがこの場になったとて、大した違いはあるまい。
「彼らがバーン嬢を通じて繋がった仲ならば、お互いにかばい合うのも不思議ではありません。言わば、同じ動機を抱える同志ですからね。そう考えると、第二の事件の見え方も変わってきます。……警部、毒針事件について確認させてください。あのコサージュから見つかった針は、普通の縫い針だったそうですね?」
「ええ。念入りに調べましたが、妙な仕掛けは見つかりませんでした。だから侍女たちの裁縫道具まで調べさせたのですが……それがなにか?」
「おかしいとは思いませんか? ただの縫い針に毒液を付着させて刺しただけで、あれほど広範囲に炎症を引き起こすのは難しいはずです」
レストレード警部が眉を寄せた。
救護室で見た右手は刺された箇所だけでなく、手のひら全体が赤くなっていた。あれはそれなりの量でなければ説明がつかない。
「……たしかに妙ですな。あれだけの症状にしちゃ、どうにも釣り合わん」
「中空の針なら話は別ですがね」
ホームズが口を挟んだ。
「内部に薬液を仕込み、刺した際に注入したのなら説明もつきますが――あの針はそうではなかった」
「となると、炎症の原因は別にあるということですか?」
「ええ。わたくしは、そう考えています」
その糸口となるのが、盟杯で配られたコサージュの行方だ。
「メルモット嬢のご遺体には、コサージュがありませんでしたね。本物の彼女は盟杯に参加していなかったのですから、それも当然です。しかし逆に、ファルコナー嬢の手もとにはコサージュが残った」
「そうなるでしょうな」
「ファルコナー嬢はおそらく、ヴェンディス令息が連行されたと聞き、現場を偽装したのが彼だと悟ったのでしょう。その目的が自分をかばうためのものだったことも。そこで、今度は自分が彼を助けようと一計を案じた」
わたしはファルコナー嬢に向き直った。
侍女の話によると、彼女には空白の時間がひとつある。
「あなたは昨日の二十一時ごろ、十分ほどひとりで控え室を出ていたそうですね」
「……少し気分が悪くて、外の空気を吸いに出ただけです」
「では、そのときに冬の女神像はご覧になりましたか? あそこに飾られているクリスマスローズの一部が傷ついていたのです」
「いえ……近づいてません。わたしは、そんな……」
「ヘレボルスの汁なら、あの右手の炎症も説明できます」
「――しかし、彼女はめまいや吐き気も訴えていました。口にすればそれらの症状も引き起こせるでしょうが……少々リスクが高すぎるのでは?」
メグレ警視が口を挟んだ。
ファルコナー嬢はすっかり青ざめ、もはや救護室で横になっていたときのほうが、よほど血色がよく見える。
「口にしたとは申しておりません。宮廷侍医によると、彼女は症状のわりに脈拍が安定していたそうですね?」
「やれやれ、もうあなたがなにを知っていても驚きませんよ。……そうです、そこは医師も気にしていました」
「では、皮膚の炎症だけが本物で、吐き気やめまいは演技だったとしたら、どうでしょう」
「……娘が、わざと自分で傷つけたとおっしゃるの?」
ファルコナー夫人が信じられないといった顔でこちらを見た。
「ヘレボルスの汁をつけ、その上から手袋をするのです。液が乾くことを防げますし、皮膚と密着することで炎症を促せます。それを待つ間、メルモット嬢として受け取ったコサージュに縫い針を仕込み、隙をみて侯爵のコートについていたものと交換する。あとは症状がじゅうぶんに出てきたタイミングを見計らって針に刺された演技をし、手袋を外す。そうすれば、ファルコナー侯爵を狙って仕込まれた毒針に運悪く刺されたように見せかけられます」
「なるほど。同じ王宮で、同じ日に、同じような毒を使った事件が起こったら、当然まずは関連を疑うでしょうな。そうして、ヴェンディス殿の逮捕は保留となった。とっさに考えたにしては、よくできた偽装と言える。まんまと騙されましたよ」
警官たちの視線が集まり、ファルコナー嬢は怯えたように縮こまった。
「これで、解は一意に定まりました。――反例があるなら提示してください」
彼女はなにも答えなかった。
これまで以上に深くうつむき、膝の上で組まれた指先だけがかすかに震えている。
「アリシア、こちらを見なさい」
侯爵が声をかける。
長い沈黙のあと、ようやく彼女は顔をあげた。すっかり血の気が失せた表情からは、もはや言い逃れをする気力すら感じられなかった。
「いま、モリアーティ嬢がおっしゃったことは本当なのか」
「…………」
「違うのなら、そう言いなさい」
「そうよ。違うのでしょう、アリシア。なにか事情があるのなら、ちゃんとお話ししなさい。お父さまもわたくしも、きちんと聞きますから」
ファルコナー嬢の唇が何度か戦慄いた。
だが、言葉は出てこない。
「……アリシア」
「ごめん、なさい」
蚊の鳴くような声だった。
夫人の顔がこわばる。
「なにを……謝っているの?」
「お父さま、お母さま……ごめんなさい」
とうとう耐えきれなくなったように、涙が頬を伝った。
「マリーを殺したのは、……わたくしです」
絞りだすような懺悔だった。
ファルコナー夫人は息を呑み、侯爵はうめくように息をつく。
疑いの段階なら、いくらでも否定できる。だが、本人の口から告げられてしまっては、もはやどうしようもないのだろう。
やがて侯爵がかすれた声で尋ねた。
「……ヘレンのためか」
ファルコナー嬢は目を伏せてうなずいた。
「忘れられなかったの」
「アリシア……」
「あの子は死んでしまったのに、マリーはなにもなかったみたいに生きていた。それが、どうしても許せなかった」
「でも、だからって……」
夫人の声が震える。
ファルコナー嬢は泣き腫らした目で母親を見つめ返した。
「お母さまは、忘れられたのですか?」
「……え?」
「わたくしは、忘れられませんでした。ヘレンが亡くなったあとも、誰にもなにも言えなかった。悲しいとも、悔しいとも。お墓参りにすら行けない。ずっと、なにもなかったことにしなくちゃいけなかった」
「それは……」
夫人は言いかけて、言葉を失った。侯爵も表情を凍りつかせていた。
娘の犯行そのものより、今の言葉のほうがよほど深く堪えたように見えた。
「……私たちは、あの子を生かすことばかり考えていた」
「あなた? なにを……」
「それで済んだつもりになっていたんだ。おまえにも、なにもなかったように生きろと強いて……」
「あなた……」
「すまない、アリシア。私たちが間違っていたのかもしれない」
「ウィリアム、そんなことをおっしゃらないで! あのときには、それしかなかったのですから」
夫人が侯爵の手を強く握った。
バーン夫妻もまた、ふたり寄りそったままなにも言わない。
わたしももう口を挟まなかった。ここから先は、他人が暴き立てることではない。
「そう、あれが一番よかったのです。この子たちのためにも、そのほうが……」
夫人の声が次第に弱くなる。
目の前には、その結果として深く傷つき、人を殺してしまった娘がいる。自分で口にした言葉が、今となってはどれだけ空しく響くのか、本人にもわかってしまったのだろう。
「こんなことになるために、あの子を手放したのではないわ……。あなたにもヘレンにも、幸せになってほしかった。ただ普通に……」
とうとう言葉が続かなくなり、夫人は両手で口もとを覆った。
侯爵が妻の肩を抱き寄せる。彼女はしばらくうつむいたまま動かなかったが、やがて震える息とともに告げた。
「ヘレンは……ヘレン・バーンは、わたくしが産んだ子です」
「それは……どういう意味です?」
レストレード警部の問いに、今度は侯爵が答えた。
「言葉どおりです。ヘレンはバーン夫妻の実子ではありません。私たち夫婦の娘です。アリシアとヘレンは、同じ日に生まれました」
侯爵は目を閉じて、とうとうその言葉を口にした。
「ふたりは双子です。ヘレンは――アリシアの双子の妹なのです」




