ティーポット騒動
レストレード警部の顔から怪訝そうな色が消え、代わりにはっきりとした驚きが浮かんだ。
「待ってください。メルモット嬢が、侍女に化けていたと?」
「ええ、その可能性が高いと見ています」
「ううむ。となると……」
「――ちょっと待ってくれ」
それまで黙って聞いていたヴェンディス令息が、そこで口を挟んだ。
「先ほどから、ずいぶん話が進んでいるようですが、今のところモリアーティ嬢の証言に頼っている部分が多すぎませんか」
「どういう意味です?」
「香りが違ったというのも、朝に怪しい侍女を見たというのも、メルモット嬢だったのではないかというのも、ほとんど彼女の話だけでしょう」
令息は卓上のティーポットへ目を向ける。
「そのポットに仕掛けがあることはわかりました。ですが、それが本当に謎の侍女が持っていたものだという証拠は?」
「それは――」
「警察は私には、裏づけがなければ証明にはならないと言っていましたよね。なら、彼女にもそう言うべきだ。極端な話、そのティーポットだってモリアーティ家が用意して、あとからクロークへ預けたものかもしれない」
レストレード警部が顔をしかめた。
「ヴェンディス殿」
「別に、そうだと言っているわけではありません。ただ、可能性だけで人を疑うのなら、彼女も同じように扱うべきではないか、と言っているんです」
自分に向けられた警察の理屈を、そのままこちらへ返してきたわけだ。
皮肉交じりではあるが、たしかに筋は通っている。
「もちろん、これだけで結論を出すつもりはありません。裏づけが足りないとお考えになるのももっともですが、まだお話ししていないこともございます。判断なさるのは、最後まで聞いてからでも遅くはないでしょう」
「時間の無駄にならなければいいですがね」
「少なくとも、あのまま痴情のもつれを疑われ続けるよりは、よほど建設的かと存じます」
「……それは確かに」
薄い笑いのなかに、かすかな苦笑が混じった。
「さて、話を戻しましょう。……ダイトンさん、先ほどホームズ警部補に聞かれていましたね。二年ほど前、一度メルモット家を辞めようとしたとき、制服は返却した、と」
「……はい」
「どなたに返しましたか?」
「え? それはもちろん、お嬢様です。わたしは専属侍女ですから」
「そして、辞職の話が流れたあと、新しい制服が支給された。つまり、メルモット嬢の手もとには、あなたの古い制服が残っていたということになる」
そこまで言うと、エライザの顔色が変わった。どうやら、こちらの言いたいことに気づいたらしい。
「まさか……」
「ええ。メルモット嬢は、そのときの制服を着ることで、臨時侍女に化けたのではないでしょうか。ダイトンさんはメルモット嬢と顔立ちや背格好が似ているとお聞きしました。ならば、あなたの制服を彼女が着ることは不可能ではないはずです」
エライザはまだ信じきれないようすで、しばらく言葉を失っていた。
ううむ、と警部が難しい顔をして腕を組む。
「しかし、それもまた証拠がない」
「そうですね。なので、まだ続けます。……さて、それでは彼女はなぜそんなことをしたのか。おそらく本来の目的は、わたくしになんらかの薬を盛ることだったのではないでしょうか。その際、自分たちの犯行だとバレないように、協力者と入れ替わった。一方はメルモット嬢として盟杯に参加し、アリバイを作る。そしてそのあいだに、メルモット嬢はわたくしに薬を盛る計画だった」
「ち、ちょっと待ってください。それではなぜ亡くなったのがあなたではなく……失礼、気を悪くせんでくださいよ。なぜ、メルモット嬢が亡くなったのでしょう」
「ティーポットの中身が入れ替わっていたとしたら?」
そう、ここがこのトリックの肝だった。
騙そうとする相手に怪しまれず薬を盛るには、ふたつの液体の見た目は同じでなくてはならない。そうなればメルモット嬢自身にも中身を見分けることができず、どちらが安全であるかは、あらかじめ決めておいた位置だけが頼りになる。
「つまり、彼女が安全だと思っていたほうの茶にこそ、毒が混入していたのです」
「誤って毒のほうを飲んでしまったと? ずいぶんと間抜けな話ですな」
「知らぬ間にすり替えられていたとしたら?」
「なんですと?」
「盟杯でメルモット嬢のふりをしていた協力者――その人物が仕掛けた罠だったとしたら、どうでしょう」
レストレード警部は眉を寄せたまま、しばらく黙りこんだ。
やがて、ジェーンが遠慮がちに口を開く。
「ですが、ひとつ気になることがあります。メルモット嬢の胃からは、赤ワインと毒物しか検出されていなかったはずです」
「そうだ。私もそこを聞こうと思っていた」
レストレード警部もすぐに続いた。
「胃から出たのは赤ワインと毒物だ。しかしあなたの話では、彼女は毒入りの茶を飲んだことになる。話が合わないじゃありませんか」
「胃の中で混ざったとき、お茶は検出されますか?」
「……どういうことです?」
「赤ワインは色も香りも強い液体です。ふたつが混じりあったとき、赤ワインは解剖でもわかるでしょう。しかし、お茶のように薄い色の液体がわかるでしょうか」
前世のように科学技術が進んだ世界ならまだしも、この国の司法解剖でそこまで判別できるとは思えない。
メグレ警視に視線を向けると、彼は首を横に振った。
「難しいでしょうな」
「つまり、胃に茶が存在しなかったのではなく、存在するかどうか判断できなかったということですね」
「そういうことになります」
「――ですが、そうなると今度は赤ワインがおかしい」
ホームズが口を開いた。
「本物のメルモット嬢が盟杯に出席していなかったのなら、彼女はいつ赤ワインを飲んだのでしょう」
「そうですね。会場で赤ワインが出るのは盟杯だけですし、ライヘンバッハ・リザーヴ以外の赤ワインは持ちこみ禁止です」
レストレード警部は眉間のしわを深くした。
「なら、やっぱり話が元に戻るじゃありませんか。メルモット嬢は盟杯でワインを飲んだ。それなら、盟杯にいたのは本人でしょう」
「あら、警部は先ほどご自身でおっしゃっていたではありませんか。隠して持ちこんだのではないか、と」
「なんですと?」
警部が素っ頓狂な声をあげる。
「バカな。それは先ほど、あなたがご自分で否定なさったではありませんか」
「わたくしはダイトンさんが持ちこんだ可能性を否定しただけです。一度警察から疑われ、徹底的に持ち物を調べられた彼女には、犯行が難しいのではないか、と」
「では、誰がどう持ちこんだというのです?」
「一見して赤ワインだとわからない容器に入っていたのでしょうね」
「……モリアーティ嬢。それじゃあ机上の空論です」
今の話だけを聞けば、そう感じるのも無理はない。肝心の容器がなければ、都合のいい仮説にしか聞こえないだろう。
「まあお聞きください。……わたくしは先ほどから、ずっと気になっていたのです。貴族であれば誰もがするであろうことを、していない人物がいる。しかも、昨日は献上式です。我が国の伝統を考えると、そうしないことはおかしい」
「よくわかりませんな。もっとハッキリとおっしゃっていただきたい」
「では、はっきりと申しあげましょう」
わたしは立ちあがり、その人物の前に歩を進めた。
「赤ワインを密かに持ちこみ、メルモット嬢のふりをして盟杯に参加し、本物の彼女に毒を盛った人物。……それは、あなたですね」
部屋の空気が、今度こそ凍りついた。




