大はずれ推理事件
小客間はたちまち緊張に包まれた。
レストレード警部が一同を見回し、眉を寄せる。
「……ライヘンバッハ公爵の姿が見えないようだが」
「枢密院の会議中だ。終わり次第、こちらへこられるそうだ」
メグレ警視の返答に、レストレードは露骨に顔をしかめた。
「しかし警視、容疑者をそのまま会議に出したんですか?」
「逮捕状も出てないんだ。そこまで行動は縛れんよ」
「――加えて、枢密会議室は王宮内にある」
バンクロフト総監が静かに続けた。
「帰宅を許したわけでも、監視の外へ置いたわけでもない。現状では、それ以上の制限は必要ないと判断した」
「……承知しました」
レストレード警部はまだなにか言いたげだったが、気を取り直したように咳払いをひとつした。
「では、先に始めます。これから、これまでの捜査でわかったことと、現時点で我々が考えている事件の筋道を順に確認します。違うところがあれば、その場で言ってください」
「その前に、ひとつよろしいですか」
黒衣の青年が口を挟んだ。
「なんです、ヴェンディス殿」
「肝心のメルモット夫妻がいらっしゃらないようですが」
「ああ……」
レストレード警部がわずかに言葉を濁す。
「メルモット夫妻には、今回はご遠慮いただいた。被害者のご遺族に、これ以上の心理的な負担をかけるわけにもいかんからな」
「それだけですか?」
「……あの夫妻がいると、少々話が進まんというか」
苦々しい口調からして、それが本音なのだろう。
確かに、そう判断するのも無理はない。今朝も詰所のところで警察につめ寄っていたし、あの調子で容疑者たちと顔を合わせれば、話がまともに進まなくなるのが目に見えている。
「とにかく、あの夫妻については、また改めて話を聞く。今はこの面子で進めるつもりだ」
警部は無理やり話を切りあげ、手もとの書類を開いた。
「まず、メルモット嬢が発見された控え室についてです。窓は割られ、部屋も荒らされ、装飾品まで持ち去られていた。見たところは強盗ですが、外から押し入った跡がない。警察では、あとから強盗に見せかけたんじゃないかと見ています」
やはり、警察も本物の強盗とは考えていないらしい。
問題はその偽装を誰の仕業と見ているかだ。
「それから、現場のクローゼットからメイド服が一着見つかっています。それには『E・ダイトン』の刺繍がある」
「それについては、何度も申しあげました。わたしが持ちこんだ制服はすべて揃っています」
「申告した数は、だろう」
「嘘なんてついてません!」
「――ダイトンさん、落ち着いてください」
ジェーンが柔らかく声をかけた。
「大丈夫です。まだ仮説の段階ですから」
「……でも」
「疑われたら腹が立ちますよね。わかります。でも、あなたがここで話してくれたことは、必ず調べます。証拠なしに結論を出すことはありません」
エライザは納得していないようすだったが、ひとまず口をつぐんだ。
「次に、ヴェンディス殿。あなたの所持品からは、メルモット子爵家控え室の合鍵と、毒物の入った目薬瓶が見つかっています」
「またその話ですか。どちらも私の物ではないと、何度申しあげればよろしいのでしょう」
「それを裏づけるものがありませんからね」
「私が否定しても証明にならず、警察が疑えば証拠になる。ずいぶん都合のいい話だ」
「もし本当に、我々が疑っただけで証拠になるなら、あなたは今ごろとっくに独房でしょうな」
なかなか言うじゃないか。
外れ推理ばかりの頼りない印象だったが、こうしてやり取りを見ていると、現場を叩きあげてきた警部らしい粘り強さも感じられる。
「控え室付近から走り去る若い男を見たという証言もある。顔までははっきり確認されていないが、体格や服装はあなたと矛盾しない」
「それは結構。いよいよ私でなくてもよさそうだ」
「ヴィンセントくん」
ファルコナー侯爵がやんわりと嗜める。
「気持ちはわかるが、ここで必要以上に相手を煽っても、君のためにならないよ」
「……そうですね」
ヴェンディス令息はそれ以上言い返さなかった。
「話を戻しましょう。ダイトンの名が入った制服が現場に残っており、ヴェンディス殿の荷物から合鍵と毒物が見つかった。このことから、私はふたりになんらかの関係があったのではないかと睨んでいます」
「……どういう意味です?」
「つまり、あなた方は恋人同士だったんじゃないか」
一瞬、室内が静まり返った。
「……はい?」
エライザが目を丸くする。
ヴェンディス令息も数秒ほど黙った後、乾いた声で言った。
「それは初耳ですね。どうやら私には知らないうちに恋人ができていたらしい」
「二年ほど前、彼女はメルモット子爵家の侍女を辞めようとしていたそうじゃないか。その裏に、ヴェンディス殿との関係があったんじゃないのか」
「違います!」
エライザはほとんど叫ぶように言った。
「わたしはこの方と、ろくにお話ししたことだってありません!」
「ダイトンさん、落ち着いて。きちんとお調べしますから」
椅子から腰を浮かせる彼女の肩に、ジェーンがそっと手を添えた。
「ふたりに関係があるという証拠が出なければ、今の話はあくまで仮定のままです。ですから、安心なさってください」
「安心……できるのでしょうか。あんなふうに決めつけて……」
「大丈夫です。警部がどうお考えでも、証拠なしにあなたを犯人にはできません。そこはきちんと確かめます」
「……はい」
エライザは渋々といったようすで腰をおろした。
それにしても、ずいぶん思いきった仮説だ。現場に残された制服と、ヴェンディス令息の荷物から見つかった品。ふたりを結びつけるものは、今のところそれぞれの証拠品しかない。
「私の考えでは、ダイトンが内部から手を貸し、ヴェンディス殿が外から動いた。ダイトンならメルモット嬢に毒を盛る機会もあっただろうし、その後の工作も合鍵を持つヴェンディス殿なら可能だ。邪魔な令嬢がいなくなれば、ふたりは晴れて一緒になれる」
「むちゃくちゃです……!」
「警部、そのふたりの関係はまだ裏が取れていないんだったな」
それまで黙っていたメグレ警視がようやく口を挟んだ。
「……ええ、まだ仮説です。だからこそ本人たちに聞いているのです」
上司に釘を刺されたレストレード警部は、そこでようやく勢いを弱めた。
しかしエライザは、すっかり不信感を抱いてしまったらしい。
「ずいぶん都合よく話を作るのですね。ですがそもそも、わたしが犯人なら、どうしてわざわざ自分の名前が入った制服を現場に残すんです?」
「わざわざ残したとは言ってない。持ち出すつもりが、なにかあって回収できなかった可能性もあるだろう」
「なにかって?」
「誰かがきたのかもしれんし、時間がなくなったのかもしれん。犯人が予定どおりに動けたとは限らない」
ヴェンディス令息が乾いた笑いをもらした。
「バカバカしい。その理屈なら、彼女は今着ている制服とは別に、わざわざもう一着持ちこんだことになる。一体なんのために?」
「例えば、君を使用人に見せかけるために用意したのかもしれない。昨日から今日にかけて、王宮は臨時の使用人であふれ返っている。制服さえ着ていれば、少なくとも遠目には紛れこめる」
「……私が、侍女の服を?」
「用が済んで着替えたあと、回収する暇がなくなったと考えれば、現場に残っていたことも説明できる」
「ダイトン嬢と私を見比べて、それでも同じ制服が着られるとお思いで? 背丈も肩幅もまるで違いますよ。あの制服を着たところで、使用人に紛れる前に目立つだけでしょう」
「多少合わなくても、遠目ならわからん」
「多少で済む差でしょうかね」
ヴェンディス令息は、もはや反論するのも馬鹿らしいとでも言いたげだった。
しかし、警部もいったん立てた筋を簡単に手放すつもりはないらしい。先ほどからの応酬を聞いているかぎり、制服が現場に残っていた理由については、無理やりにでも理屈をつけたいようだ。
「ダイトン嬢、ひとついいですか」
それまで黙っていたホームズが口を開いた。
「二年ほど前、一度メルモット家を辞めようとしたそうですね」
「はい……」
「そのとき、制服はどうしました?」
「お返ししました。結局そのあと残ることになったので、新しいものを支給していただきましたけど」
「では、いま持っている制服の中に、それ以前のものは一着もない?」
「ありません」
ホームズはそれだけ確認すると、また口を閉ざした。
どうやら、いまはこれ以上この話を広げるつもりはないらしい。
しかし、彼らのこの態度で少しわかってきた。
先ほどからレストレード警部がかなり強引な仮説を口にしても、必要以上に止めようとしない。それどころか、各人の反応を観察しているようにも見える。
おそらく、これ自体が大がかりな聴取なのだろう。仮説をぶつけたとき、誰がどんな反応を返すのか、それも含めて見ているに違いない。
「とにかく、ふたりにはメルモット嬢を殺害する機会があったのです」
「でしたら、ひとついいでしょうか」
ヴェンディス令息がこちらを見た。
「状況だけで人を疑うなら、モリアーティ嬢はどうなんです。盟杯でメルモット嬢にワインを手渡したのは彼女でしょう。酒もモリアーティ家が献上したものだった。機会があったというだけなら、彼女にも同じことが言えるのでは?」
「その点も調べています」
答えたのはメグレ警視だった。
「ただし、モリアーティ嬢はグラスそのものには一切触れていない。参加者が差し出したグラスにワインを注いだだけです。今のところ、それ以上に関与を示すものも出ていません」
「つまり、完全に疑いが晴れたわけでもないと?」
「グラスに触れず毒を盛る手段が見つかれば、あるいは疑うに足るかもしれませんが」
「なるほど。警察も、誰彼かまわず決めつけているわけではないらしい」
ヴェンディス令息は薄く笑った。
嫌味なのか感心しているのか、いまひとつ判然としない。
「それではもうひとつ。メルモット嬢の事件とは別に考えなければならないのが、ファルコナー侯爵のコサージュの件です。これは王宮側が用意したものですが、箱づめされた段階では、どれが誰へ渡るか決まっていなかった。そこから各人に配る際、誰にどのコサージュを渡すか決めた人物がいます」
嫌な予感がした。
「ライヘンバッハ公爵です。彼なら、ファルコナー侯爵へ渡るコサージュを選ぶことができた。さらに、両人が政治上たびたび対立してきたことも確認しています」
「……警察がそうお考えになることはわかります」
ファルコナー侯爵はなんとも言えない顔をして言った。
「ただ、ライヘンバッハ公爵がこれほど回りくどいことをするとは、どうにも思えないのですよ」
「ですが、警察としては機会のあった人物を容疑から外すわけにはいきません」
「そうですか……」
ファルコナー侯爵は、それ以上の否定をしなかった。
警察の立場は理解できる。これだけ条件がそろっていれば、疑うなというほうが無理な話だ。
どうやら父への嫌疑を晴らすには、真犯人がどうやって事件を起こしたのか、ここで暴くしかないようだ。
「レストレード警部」
声をかけると、室内の視線がいっせいにこちらへ集まった。
どこか質量を感じるそれらを振り払い、わたしは宣言する。
「ここはひとつ、わたくしの仮説を聞いていただけませんか」




