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モリアーティ公爵令嬢の終局的推理  作者: 国枝桜子
第一章 王宮毒殺事件

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愉快な再会

 リメジー男爵の控え室につくと、フォーマンが扉を叩いた。

 少しして、中から年嵩の女中が現れる。

 ふっくらとした体つきで、白髪を両側で縦巻きにした女性だった。地味なドレスの上には白いエプロン。どこか庶民的な雰囲気の女性で、瞳に優しそうな光が宿っていた。


「ライヘンバッハ公爵令嬢がお見えです。リメジー男爵にお取次ぎをお願いできますか」

「はいはい、承りました。旦那様なら奥におりますので、すぐお声をかけてまいります。少々お待ちくださいませね」


 女中は頭を下げると、部屋の中へ戻っていった。

 ほどなくして奥から聞き慣れた声がして、女中が再び姿を現す。


「旦那様がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」


 案内されて居間へ通されると、ルパンがソファに腰かけていた。わたしたちを見るなり立ちあがり、恭(うやうや)しく胸に手をあてる。


「ようこそ、お嬢様方。お待ちしておりました」

「あら、ずいぶんと丁重なお出迎えね」

「たまには怪盗紳士らしいところも見せておかないとな」


 ニカッとした笑い方は、いつもよりどこか少年じみている。なにか良いことでもあったのだろうか?


「よう、フォーマン。おまえも元気そうじゃないか」

「ええ。お久しぶりです」


 ルパンは満足そうにうなずくと、フォーマンを上から下まで眺めた。


「それにしても、ずいぶん立派になったもんだな」

「……前に会った時から、そこまで変わっていないと思いますけど」

「そうだったか?」


 ルパンはおかしそうに笑った。


「ところで、頼んでいた件はどうなったかしら」

「ああ、東側クローク六十二番だろ? ちゃんと中身まで確かめてきた」

「さすが、仕事が早いわね」

「頼まれたからにはな」


 妙に素直な答えが返ってきた。普段ならば、もっと調子のよい軽口が返ってきそうなものなのに。

 本当になにかあったのだろうか?


「それで、なにが預けられていたの?」

「まあ、その前にお茶でも飲まないか? せっかくきたんだ」

「お気遣いなく。話さえ聞ければ結構よ」

「まあ、そう言うな。レディ相手にお茶も出さないなんて失礼だと、うちの女中に叱られてね」


 カチャ、と軽い音とともに、ティーセットが置かれる。

 先ほどの女中が慣れた手つきで紅茶を注いでいた。


「そりゃ当たり前ですよ。昨晩、ご令嬢をお迎えしておきながら、お茶の一杯もお出ししなかったって聞いて、あたしゃ仰天しました。坊やをそんなふうに躾けた覚えはありませんからねえ」

「勘弁してくれ、ヴィクトワール。坊やはないだろう」

「あたしにとっちゃ、いつまでも可愛いルーピン坊やですよ」


 ずいぶんと気安い間柄の女中らしい。

 いったいどんな関係だと目で尋ねると、ルパンはやれやれと肩をすくめた。


「俺の乳母でね。昔から頭があがらないんだ」

「坊ちゃんのお母さんからも、この子をよろしくと頼まれましたからねぇ。あたしの目が黒いうちは、無礼な真似は許しませんよ」


 ルパンは苦笑すると、ティーカップに口をつけた。

 せっかく出されたものをそのままにするのも悪いので、わたしもカップを持ちあげる。鼻を近づけると、甘い花の香りがふわりと立ちのぼった。


「いい香りね。花香がきれいに出ているわ」

「まあまあ、さすが公爵令嬢様。ちゃんとわかってくださるんですねえ。ほら坊ちゃん、聞きましたか? お茶を出してもらったら、こうやって一言くらい褒めるもんですよ」

「……うまい」

「坊ちゃん、もう少しなにかないんですか?」


 華やかな香りの中に、かすかな燻香(くんこう)が混じっている。水色(すいしょく)は琥珀がかった赤。

 これだけ上等なものなら、もっと講釈を垂れそうなものなのに。


「ルパン、このお茶の銘柄は?」

「ああ……ダージリンだったか?」

「……キームンでしょう?」


 背後で小さく吹き出す音がする。

 なるほど、そういうことか。


「淑女を騙すのは、紳士ではなく悪い男のやることじゃなくて?」

「なんのことだ?」

「口調は真似できても、知識までは共有できなかったようね」


 ルパンが黙りこみ、女中はとうとう耐えきれなくなったように肩を揺らした。


「気づくのが早いな、嬢ちゃん」


 女中の口から、聞き慣れたルパンの声がした。

 彼女は頬に指をかけ、肌に張りついていた薄い皮膜を剥がしていく。白髪のカツラを外して、丸めていた背を伸ばせば、そこから現れたのはよく知る男の顔だった。


「女性にも化けられるのね」

「ああ。どうだ、見事なものだろう?」

「そうね。彼がボロを出すまで気がつかなかったわ」

「そいつはよかった」


 満足そうに笑うルパンの横で、もうひとりのルパンがガシガシと頭を掻く。


「親分、もういいだろ? いい加減、顔が痒(かい)ぃよ」


 さっきまでとはまるで違う、低く太い声だ。

 フォーマンが目を見開く。


「その声……」

「おう、久しぶりじゃねぇか」


 顎に手をかけて変装用の薄膜を剥がすと、精悍な顔つきの男が現れた。

 背は高めで肩幅があり、がっしりとした体つき。日に焼けた肌に短く刈りこまれた髪、節の太い大きな手。黙っていれば従僕で通るが、口を開くと現場叩きあげの土木人夫にしか見えない。


「……マルコ兄ちゃん!?」

「でかくなったな、お前さん。元気そうじゃねぇか」


 マルコと呼ばれた彼はガハハと大きく笑うと、立ちあがってフォーマンの肩をバンッと叩いた。

 ……ああ、思い出した。十年前、あの孤児院でルパンと一緒に動いていた年長組のひとりだ。


「痛いって! っていうか、なんでマルコ兄ちゃんがここに?」

「今は親分のとこで従僕やってんだよ」

「でも、昨夜は見かけなかったけれど」


 思わず疑問を口にすると、ルパンが呆れたように肩をすくめた。


「おいおい。ライヘンバッハ公爵家と違って、うちはしがない男爵家だぜ? 従者控え室までひと部屋もらえるわけないだろ。こいつには朝まで合同控え室で待機してもらってたのさ」

「いくら親分相手でも、さすがに不眠不休は勘弁してほしいですぜ」


 そうぼやくと、マルコはこちらに向き直った。

 急に背筋をのばし、どこかぎこちなく一礼する。


「久しぶりだな、公爵令嬢サマ。お変わりはねぇですか?」

「ええ、おかげさまで。あなたも元気そうね」

「そりゃあもう」


 得意げに胸を張るマルコの横で、フォーマンがなんとも言えない顔をした。


「兄ちゃん、それで男爵家の従僕やれてるの?」

「おうよ。口を開くとヴィクトワールの婆さんに叱り飛ばされるから、普段はなるべく口をつぐんでんだ」

「……それ、やれてるって言わないよ」

「給金は出てるぞ」


 フォーマンは呆れたように額を押さえた。

 けれど、先ほどの応対を思い返すかぎり、礼儀作法がまるで身についていないわけでもなさそうだ。


「やればできるんじゃないかしら。わたしたちを出迎えてくれた時は、なかなか堂に入っていたわよ」

「いやあ、あれは親分の真似ですからねぇ。決まってることをそのままやりゃあいいだけなんで」

「なら、真似をすればいいじゃない」


 わたしが提案すると、マルコはきょとんとした。


「あなた、口調や仕草は完璧だったわ。普段から他人をよく見ているのね」

「お、おう。それほどでもねぇです」

「なら、誰か理想的な従僕の方を見つけて、その人の真似をすればいいんじゃない?」


 マルコはしばらくポカンとしていたが、やがてポンと手を打った。


「なるほど、その手があったか! ……あ、いや、ありましたか!」

「……しゃべりにくいなら、普通にして構わないわよ」

「い、いや、お嬢さんは俺らの恩人なんで。礼儀くらい尽くさせてほしいっつーか……」

「そう?」


 ルパンが愉快そうに笑い出す。


「いやあ、ありがとうな嬢ちゃん。マルコのやつ、なら口をきかなきゃいいってさっさと割り切って、なかなか従僕らしくならなくてな」

「余計なこと言わなきゃ問題ねぇだろ」

「ほらな?」

「マルコ兄ちゃん、僕が教えようか……?」

「いや、弟分に教わるのはプライドがだなぁ」

「元々、あってないようなプライドだろうが」


 やいやいと、にわかに部屋が騒がしくなる。

 そういえば、十年前もこんな調子だった気がする。変わらぬ彼らに影響されたか、フォーマンもすっかり昔に戻ったような顔つきになっていた。


「盛りあがっているところ悪いけれど、積もる話は後にしてちょうだい」


 パンと手を叩いて声をかけると、三人はピタリと静かになった。


「六十二番の中身について、聞かせてもらえる?」

「ああ、そうだったな」


 ルパンはマルコと入れ替わるように、ソファに腰をおろした。


「六十二番に預けられていたのは、旅行用の茶器ケースだった。小ぶりな革張りのやつだ」

「茶器ケース……?」

「ああ。中にはティーポットがひとつ入ってた。白地に藍色の花模様が入ったやつだ」

「……青花磁器ね」


 昨日の朝、我が家の控え室へ桂花茶を運んできた侍女も、同じ種類の茶器を使っていた。直接確かめていないので同一のものと断言はできないが、可能性は高い。


「妙なのは、その構造だな。蓋を取ったら、中が左右に分かれてた。仕切りの両側に、それぞれ別の口まである」

「つまり、二室式だったということ?」

「そうだ。それから、取っ手のところに穴がふたつ空いていた」


 中が左右に仕切られ、空気穴がふたつあるティーポット。

 昨朝、わたしの目の前で毒見をした臨時侍女。

 ……なるほど、繋がってきた。


「まだクロークに残っているのね?」

「ああ。元通りに戻したし、まだ引き取り手も現れていない」

「なら、あとは警察の仕事ね」




 ルパンたちとの別れぎわ、フォーマンに声をかけた。


「積もる話もあるだろうし、もう少し旧交を温めてきても構わないわよ」

「そういうわけにはまいりませんよ。それに、帰ってきた時にお嬢様ひとりだったら、フレデリック先輩から叱られてしまいますからね」

「……確かにそうね」

「フレデリックってぇと、あん時のおっかねぇ兄ちゃんか?」


 マルコはガシガシと頭をかき、顔をしかめた。


「ええ、そうよ」

「あったま固そうだもんなぁ、あの兄ちゃん!」

「あら、そんな彼と互角にやり合ってたのは、どこのどなただったかしら」


 武器の扱いに心理的抵抗がなく、身体能力も高い。いざとなるとためらいなく荒事に手を出せる実働屋。

 それが、彼(マルコ)に対する印象だった。


「手段を選ばなけりゃ、いくらでも勝ち目はあらぁな。けど、あの兄ちゃんはお綺麗なルールを守りながら、なお強かった。あの人が手段を選ばず戦ったら、ちぃとばかし分が悪ぃですぜ」

「先輩がそんなことするとは思えないから、考えるだけ無駄だよ」

「ははっ、違ぇねぇや。やらねぇことはできねぇのと同じだからな」


 さすがあの環境下で育ってきただけあって、考え方もシビアだ。


「では、そろそろお暇するわね」

「……嬢ちゃん」


 ルパンが引きとめる。


「パリュールの持ち主はわかったか?」

「ええ。あなた、最初から知っていたのね」

「まあな。バーン男爵夫妻から相談されていた。……俺との約束は覚えているか?」

「もちろんよ。あのパリュールは、元の持ち主に返す。必ずね」

「頼んだ」


 彼がなぜ自分で盗み出さず、わたしに頼んだのか。それも、ベッシーからの証言で察しがついた。

 確かにこれは、わたしのほうが適任だろう。


「……ああ、そうだ。パリュールといえば」


 最後にひとつ確認する。

 ルパンはにやりと笑ってうなずいた。


「ああ。同じ職人の手による、一対のパリュールで間違いない」

「ありがとう。それがわかって確信が持てたわ」


 そうして彼らに別れを告げ、フォーマンとともに自分たちの控え室へ戻る。

 扉の前でフレデリックが待機していた。


「おかえりなさいませ」

「ただいま。居間で待っていてよかったのに」

「そういうわけにはまいりません」


 ついマルコが「あったま固そうだもんなぁ、あの兄ちゃん!」と評していたのを思い出してしまい、口角が緩みそうになるのを咳払いひとつで耐えた。

 主人が我慢しているというのに、背後からフォーマンの吹き出す声が聞こえる。


「……なんだ」

「いえ別に」

「ところで、頼んでいた本は見つかった?」


 二人が揉めそうな気配がしたので、すぐさま話題を変えた。


「こちらです」


 深緑の革表紙に、金の箔押しで『ミステリカ諸侯家沿革史』と記された本だった。

 フレデリックは軽々と片手で持ちあげているが、分厚いそれは見るからに重そうだった。


「ありがとう。ずいぶんな分量ね」

「主要な諸侯家について、創設から現在までの沿革がまとめられているそうです」

「探すのが大変そうだわ」

「巻末に家名索引があります」


 なるほど、それならば話は早い。

 居間のソファに腰をおろし、さっそく巻末を開く。ファルコナーの名前を探すと、該当する頁がいくつか見つかった。


「どれから見ます?」

「まずは古い時代からね。父の話では、大華国との交流が始まって間もないころだったそうだから」


 頁をめくり、若い番号から順に見ていく。

 見出しのところに、ファルコナー侯爵家の紋章が添えられていた。

 青地に、翼を広げた銀の隼。その胸には赤い心臓(ハート)、周囲には三つの銀星。

 ファルコナー家の控え室で見た紋章と同じものだ。


 そのまま家史を遡(さかのぼ)っていく。

 初代当主による白隼の献上。大華国への使節派遣。ランドルフとケイレブ――すでに知っている名前がいくつか目に入った。

 そのまま年代を追って読み進めていくと、ある記述のところで指が止まった。


「これだわ。――ローランドとオットーの継嗣(けいし)争い」


 第五代ファルコナー侯爵のもとに生まれた双生の男児。

 ふたりについて記された頁の末尾には、こうあった。


 ――以後、同家において、双生児の第二子は家譜(かふ)に記さず。


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