愉快な再会
リメジー男爵の控え室につくと、フォーマンが扉を叩いた。
少しして、中から年嵩の女中が現れる。
ふっくらとした体つきで、白髪を両側で縦巻きにした女性だった。地味なドレスの上には白いエプロン。どこか庶民的な雰囲気の女性で、瞳に優しそうな光が宿っていた。
「ライヘンバッハ公爵令嬢がお見えです。リメジー男爵にお取次ぎをお願いできますか」
「はいはい、承りました。旦那様なら奥におりますので、すぐお声をかけてまいります。少々お待ちくださいませね」
女中は頭を下げると、部屋の中へ戻っていった。
ほどなくして奥から聞き慣れた声がして、女中が再び姿を現す。
「旦那様がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」
案内されて居間へ通されると、ルパンがソファに腰かけていた。わたしたちを見るなり立ちあがり、恭しく胸に手をあてる。
「ようこそ、お嬢様方。お待ちしておりました」
「あら、ずいぶんと丁重なお出迎えね」
「たまには怪盗紳士らしいところも見せておかないとな」
ニカッとした笑い方は、いつもよりどこか少年じみている。なにか良いことでもあったのだろうか?
「よう、フォーマン。おまえも元気そうじゃないか」
「ええ。お久しぶりです」
ルパンは満足そうにうなずくと、フォーマンを上から下まで眺めた。
「それにしても、ずいぶん立派になったもんだな」
「……前に会った時から、そこまで変わっていないと思いますけど」
「そうだったか?」
ルパンはおかしそうに笑った。
「ところで、頼んでいた件はどうなったかしら」
「ああ、東側クローク六十二番だろ? ちゃんと中身まで確かめてきた」
「さすが、仕事が早いわね」
「頼まれたからにはな」
妙に素直な答えが返ってきた。普段ならば、もっと調子のよい軽口が返ってきそうなものなのに。
本当になにかあったのだろうか?
「それで、なにが預けられていたの?」
「まあ、その前にお茶でも飲まないか? せっかくきたんだ」
「お気遣いなく。話さえ聞ければ結構よ」
「まあ、そう言うな。レディ相手にお茶も出さないなんて失礼だと、うちの女中に叱られてね」
カチャ、と軽い音とともに、ティーセットが置かれる。
先ほどの女中が慣れた手つきで紅茶を注いでいた。
「そりゃ当たり前ですよ。昨晩、ご令嬢をお迎えしておきながら、お茶の一杯もお出ししなかったって聞いて、あたしゃ仰天しました。坊やをそんなふうに躾けた覚えはありませんからねえ」
「勘弁してくれ、ヴィクトワール。坊やはないだろう」
「あたしにとっちゃ、いつまでも可愛いルーピン坊やですよ」
ずいぶんと気安い間柄の女中らしい。
いったいどんな関係だと目で尋ねると、ルパンはやれやれと肩をすくめた。
「俺の乳母でね。昔から頭があがらないんだ」
「坊ちゃんのお母さんからも、この子をよろしくと頼まれましたからねぇ。あたしの目が黒いうちは、無礼な真似は許しませんよ」
ルパンは苦笑すると、ティーカップに口をつけた。
せっかく出されたものをそのままにするのも悪いので、わたしもカップを持ちあげる。鼻を近づけると、甘い花の香りがふわりと立ちのぼった。
「いい香りね。花香がきれいに出ているわ」
「まあまあ、さすが公爵令嬢様。ちゃんとわかってくださるんですねえ。ほら坊ちゃん、聞きましたか? お茶を出してもらったら、こうやって一言くらい褒めるもんですよ」
「……うまい」
「坊ちゃん、もう少しなにかないんですか?」
華やかな香りの中に、かすかな燻香が混じっている。水色は琥珀がかった赤。
これだけ上等なものなら、もっと講釈を垂れそうなものなのに。
「ルパン、このお茶の銘柄は?」
「ああ……ダージリンだったか?」
「……キームンでしょう?」
背後で小さく吹き出す音がする。
なるほど、そういうことか。
「淑女を騙すのは、紳士ではなく悪い男のやることじゃなくて?」
「なんのことだ?」
「口調は真似できても、知識までは共有できなかったようね」
ルパンが黙りこみ、女中はとうとう耐えきれなくなったように肩を揺らした。
「気づくのが早いな、嬢ちゃん」
女中の口から、聞き慣れたルパンの声がした。
彼女は頬に指をかけ、肌に張りついていた薄い皮膜を剥がしていく。白髪のカツラを外して、丸めていた背を伸ばせば、そこから現れたのはよく知る男の顔だった。
「女性にも化けられるのね」
「ああ。どうだ、見事なものだろう?」
「そうね。彼がボロを出すまで気がつかなかったわ」
「そいつはよかった」
満足そうに笑うルパンの横で、もうひとりのルパンがガシガシと頭を掻く。
「親分、もういいだろ? いい加減、顔が痒ぃよ」
さっきまでとはまるで違う、低く太い声だ。
フォーマンが目を見開く。
「その声……」
「おう、久しぶりじゃねぇか」
顎に手をかけて変装用の薄膜を剥がすと、精悍な顔つきの男が現れた。
背は高めで肩幅があり、がっしりとした体つき。日に焼けた肌に短く刈りこまれた髪、節の太い大きな手。黙っていれば従僕で通るが、口を開くと現場叩きあげの土木人夫にしか見えない。
「……マルコ兄ちゃん!?」
「でかくなったな、お前さん。元気そうじゃねぇか」
マルコと呼ばれた彼はガハハと大きく笑うと、立ちあがってフォーマンの肩をバンッと叩いた。
……ああ、思い出した。十年前、あの孤児院でルパンと一緒に動いていた年長組のひとりだ。
「痛いって! っていうか、なんでマルコ兄ちゃんがここに?」
「今は親分のとこで従僕やってんだよ」
「でも、昨夜は見かけなかったけれど」
思わず疑問を口にすると、ルパンが呆れたように肩をすくめた。
「おいおい。ライヘンバッハ公爵家と違って、うちはしがない男爵家だぜ? 従者控え室までひと部屋もらえるわけないだろ。こいつには朝まで合同控え室で待機してもらってたのさ」
「いくら親分相手でも、さすがに不眠不休は勘弁してほしいですぜ」
そうぼやくと、マルコはこちらに向き直った。
急に背筋をのばし、どこかぎこちなく一礼する。
「久しぶりだな、公爵令嬢サマ。お変わりはねぇですか?」
「ええ、おかげさまで。あなたも元気そうね」
「そりゃあもう」
得意げに胸を張るマルコの横で、フォーマンがなんとも言えない顔をした。
「兄ちゃん、それで男爵家の従僕やれてるの?」
「おうよ。口を開くとヴィクトワールの婆さんに叱り飛ばされるから、普段はなるべく口をつぐんでんだ」
「……それ、やれてるって言わないよ」
「給金は出てるぞ」
フォーマンは呆れたように額を押さえた。
けれど、先ほどの応対を思い返すかぎり、礼儀作法がまるで身についていないわけでもなさそうだ。
「やればできるんじゃないかしら。わたしたちを出迎えてくれた時は、なかなか堂に入っていたわよ」
「いやあ、あれは親分の真似ですからねぇ。決まってることをそのままやりゃあいいだけなんで」
「なら、真似をすればいいじゃない」
わたしが提案すると、マルコはきょとんとした。
「あなた、口調や仕草は完璧だったわ。普段から他人をよく見ているのね」
「お、おう。それほどでもねぇです」
「なら、誰か理想的な従僕の方を見つけて、その人の真似をすればいいんじゃない?」
マルコはしばらくポカンとしていたが、やがてポンと手を打った。
「なるほど、その手があったか! ……あ、いや、ありましたか!」
「……しゃべりにくいなら、普通にして構わないわよ」
「い、いや、お嬢さんは俺らの恩人なんで。礼儀くらい尽くさせてほしいっつーか……」
「そう?」
ルパンが愉快そうに笑い出す。
「いやあ、ありがとうな嬢ちゃん。マルコのやつ、なら口をきかなきゃいいってさっさと割り切って、なかなか従僕らしくならなくてな」
「余計なこと言わなきゃ問題ねぇだろ」
「ほらな?」
「マルコ兄ちゃん、僕が教えようか……?」
「いや、弟分に教わるのはプライドがだなぁ」
「元々、あってないようなプライドだろうが」
やいやいと、にわかに部屋が騒がしくなる。
そういえば、十年前もこんな調子だった気がする。変わらぬ彼らに影響されたか、フォーマンもすっかり昔に戻ったような顔つきになっていた。
「盛りあがっているところ悪いけれど、積もる話は後にしてちょうだい」
パンと手を叩いて声をかけると、三人はピタリと静かになった。
「六十二番の中身について、聞かせてもらえる?」
「ああ、そうだったな」
ルパンはマルコと入れ替わるように、ソファに腰をおろした。
「六十二番に預けられていたのは、旅行用の茶器ケースだった。小ぶりな革張りのやつだ」
「茶器ケース……?」
「ああ。中にはティーポットがひとつ入ってた。白地に藍色の花模様が入ったやつだ」
「……青花磁器ね」
昨日の朝、我が家の控え室へ桂花茶を運んできた侍女も、同じ種類の茶器を使っていた。直接確かめていないので同一のものと断言はできないが、可能性は高い。
「妙なのは、その構造だな。蓋を取ったら、中が左右に分かれてた。仕切りの両側に、それぞれ別の口まである」
「つまり、二室式だったということ?」
「そうだ。それから、取っ手のところに穴がふたつ空いていた」
中が左右に仕切られ、空気穴がふたつあるティーポット。
昨朝、わたしの目の前で毒見をした臨時侍女。
……なるほど、繋がってきた。
「まだクロークに残っているのね?」
「ああ。元通りに戻したし、まだ引き取り手も現れていない」
「なら、あとは警察の仕事ね」
ルパンたちとの別れぎわ、フォーマンに声をかけた。
「積もる話もあるだろうし、もう少し旧交を温めてきても構わないわよ」
「そういうわけにはまいりませんよ。それに、帰ってきた時にお嬢様ひとりだったら、フレデリック先輩から叱られてしまいますからね」
「……確かにそうね」
「フレデリックってぇと、あん時のおっかねぇ兄ちゃんか?」
マルコはガシガシと頭をかき、顔をしかめた。
「ええ、そうよ」
「あったま固そうだもんなぁ、あの兄ちゃん!」
「あら、そんな彼と互角にやり合ってたのは、どこのどなただったかしら」
武器の扱いに心理的抵抗がなく、身体能力も高い。いざとなるとためらいなく荒事に手を出せる実働屋。
それが、彼に対する印象だった。
「手段を選ばなけりゃ、いくらでも勝ち目はあらぁな。けど、あの兄ちゃんはお綺麗なルールを守りながら、なお強かった。あの人が手段を選ばず戦ったら、ちぃとばかし分が悪ぃですぜ」
「先輩がそんなことするとは思えないから、考えるだけ無駄だよ」
「ははっ、違ぇねぇや。やらねぇことはできねぇのと同じだからな」
さすがあの環境下で育ってきただけあって、考え方もシビアだ。
「では、そろそろお暇するわね」
「……嬢ちゃん」
ルパンが引きとめる。
「パリュールの持ち主はわかったか?」
「ええ。あなた、最初から知っていたのね」
「まあな。バーン男爵夫妻から相談されていた。……俺との約束は覚えているか?」
「もちろんよ。あのパリュールは、元の持ち主に返す。必ずね」
「頼んだ」
彼がなぜ自分で盗み出さず、わたしに頼んだのか。それも、ベッシーからの証言で察しがついた。
確かにこれは、わたしのほうが適任だろう。
「……ああ、そうだ。パリュールといえば」
最後にひとつ確認する。
ルパンはにやりと笑ってうなずいた。
「ああ。同じ職人の手による、一対のパリュールで間違いない」
「ありがとう。それがわかって確信が持てたわ」
そうして彼らに別れを告げ、フォーマンとともに自分たちの控え室へ戻る。
扉の前でフレデリックが待機していた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。居間で待っていてよかったのに」
「そういうわけにはまいりません」
ついマルコが「あったま固そうだもんなぁ、あの兄ちゃん!」と評していたのを思い出してしまい、口角が緩みそうになるのを咳払いひとつで耐えた。
主人が我慢しているというのに、背後からフォーマンの吹き出す声が聞こえる。
「……なんだ」
「いえ別に」
「ところで、頼んでいた本は見つかった?」
二人が揉めそうな気配がしたので、すぐさま話題を変えた。
「こちらです」
深緑の革表紙に、金の箔押しで『ミステリカ諸侯家沿革史』と記された本だった。
フレデリックは軽々と片手で持ちあげているが、分厚いそれは見るからに重そうだった。
「ありがとう。ずいぶんな分量ね」
「主要な諸侯家について、創設から現在までの沿革がまとめられているそうです」
「探すのが大変そうだわ」
「巻末に家名索引があります」
なるほど、それならば話は早い。
居間のソファに腰をおろし、さっそく巻末を開く。ファルコナーの名前を探すと、該当する頁がいくつか見つかった。
「どれから見ます?」
「まずは古い時代からね。父の話では、大華国との交流が始まって間もないころだったそうだから」
頁をめくり、若い番号から順に見ていく。
見出しのところに、ファルコナー侯爵家の紋章が添えられていた。
青地に、翼を広げた銀の隼。その胸には赤い心臓、周囲には三つの銀星。
ファルコナー家の控え室で見た紋章と同じものだ。
そのまま家史を遡っていく。
初代当主による白隼の献上。大華国への使節派遣。ランドルフとケイレブ――すでに知っている名前がいくつか目に入った。
そのまま年代を追って読み進めていくと、ある記述のところで指が止まった。
「これだわ。――ローランドとオットーの継嗣争い」
第五代ファルコナー侯爵のもとに生まれた双生の男児。
ふたりについて記された頁の末尾には、こうあった。
――以後、同家において、双生児の第二子は家譜に記さず。




