面影相似
「――バーン嬢は、ヴェンディス伯爵令息の婚約者だったのですか?」
「はい。幼いころからのお付き合いで、いずれご結婚なさるものと聞いておりました」
「お二人は、親しくしておられたのでしょうか?」
「ええ。少なくとも、形だけのご婚約ではなかったと思います。バーン家の資金繰りが苦しくなってからは、お屋敷を訪ねてくださる方はめっきり減りましたが、ヴィンセント様だけは変わらずいらしていました」
ベッシーは懐かしむように目を細めた。
「一度、お嬢様が気をつかって、しばらくお越しにならなくても構わないとおっしゃったことがございました。しかしヴェンディス様は、『僕はバーン家ではなく、君に会いにきているんだ』と」
それほど親しい婚約者を亡くしたのなら、ヴェンディス令息がメルモット嬢を恨んでいた可能性はある。
これで容疑者までバーン嬢と繋がった。
「では、パリュールに刻まれていた、この言葉については?」
わたしは書き写してきた漢詩を、ベッシーの前へ差し出した。
「ファルコナー家に伝わる言葉です。バーン嬢とファルコナー家には、どのような関係が?」
「……そのことについて、わたくしから申しあげられることはございません」
「そうですか……わかりました。では、これ以上はお尋ねいたしません」
否定をされなかったことで、かえって疑惑は深まる。
だが、それだけでは証明にならない。
「お話しいただき、ありがとうございました」
「……もし本当に、誰かがヘレンお嬢様の死を理由に、マリー様を殺したのでしたら」
ベッシーが、不安そうにこちらを見る。
「どうか真実を突き止めてください。お嬢様の死を、人を殺すための理由にされたままにはしたくありません」
「どのような結論になるかは、まだお約束できません」
安易に頷けば、彼女を安心させられたかもしれない。
けれど、まだ証明には届いていない。不確実な約束はできなかった。
「ただ、バーン嬢の死が昨日の事件に関わっているなら、曖昧なまま終わらせるつもりはありません。なにが起きたのか、最後まで確かめます」
その答えで十分だったらしい。
ベッシーは深く頭を下げると、静かに部屋を出ていった。
わたしも少し遅れて廊下へ出る。
扉の外で待っていたフォーマンとフレデリックが、こちらを振り返った。
「――ですから、少しお待ちください!」
すぐ近くから、鋭い声が飛んできた。
ほぼ同時にフレデリックが前へ出て、わたしを背後へかばう。
「なにごとでしょう」
フォーマンが声のしたほうへ目を向けた。
合同控え室の前に、何人もの侍女が集まっている。その中心にいるのはレストレード警部だった。
「……危険はなさそうね」
フレデリックの肩越しに覗きこむ。
どうやら、レストレード警部とメルモット家の使用人たちが揉めているらしい。
「ようやく眠ったところなんです。昨日は明け方まで、ずっと警察の方に聴取されていたんですから」
「今朝から交代で休ませてもらっているんです。それなのに、まだ付き合わせるんですか?」
「事情はわかっている。だが、こちらも急ぎなんだ」
レストレード警部が困ったように眉間を押さえる。
「五分でいい。ダイトンを起こしてくれ」
「五分で済んだためしがないでしょう!」
なかなか手厳しい。
いったい何事だろうと様子をうかがっていると、近くの仮眠室の扉が開いた。
「……どうしたんですか?」
眠たげな声とともに、淡い色の部屋着をまとった少女が姿を現した。
その姿が、ふと救護室で見たファルコナー嬢と重なった。
けれど、顔を上げたのはエライザ・ダイトンだった。
メイド帽もエプロンもなく、髪もゆるくまとめられている。そのせいだろうか、昨夜とはずいぶん印象が違って見えた。
「エライザ、起きなくてよかったのに」
「これだけ騒いでいたら、眠れません」
同僚へ苦笑してから、エライザはレストレード警部を見た。
「警部、わたしになにか?」
「ああ。悪いが、確認してもらいたいものがある」
レストレード警部が手にしていた包みを開く。
中から出てきたのは、一着のメイド服だった。
「これに見覚えは?」
「……うちの制服、ですよね」
「内側を見てくれ」
警部が襟ぐりを返す。
「あなたの名前が刺繍してある」
「……わたしの名前が?」
「ああ。E・ダイトン、と。殺人現場のクローゼットに残されていたものだ」
周囲がざわめいた。
どうやら、あのメイド服の違和感に警察もようやく気づいたらしい。
エライザは警部の手もとを覗きこむと、首を振った。
「でもこれ、わたしのじゃありません」
きっぱりとした返事だった。
「本当に?」
「はい。王宮へ持ってきた制服は全部あります。昨日、警察の方にも調べられました」
「君が申告したぶんは、な」
エライザの眉が寄る。
「どういう意味ですか?」
「最初から一着少なく申告していたなら、同じことだ」
「そんなことしてません!」
眠気はすっかり吹き飛んだらしい。
エライザが声をあげると、周囲の侍女たちからも一斉に抗議が飛んだ。
「エライザの荷物なら、わたしたちも一緒に片づけました!」
「余分な制服なんてありませんでしたよ!」
「私だって好きで疑っているわけじゃない」
レストレード警部が声を張った。
「だが、殺人現場に彼女の名前入りの服が残されていたんだ。見なかったことにはできん」
その言葉には、さすがに誰も返せなかった。
エライザはもう一度メイド服を見つめ、困惑したように首を振った。
「……わかりません。でも、わたしが今回持ってきたものじゃありません」
「なら、その話をもう少し詳しく聞かせてくれ」
「ここでは駄目なんですか?」
「ほかの者がいると聞きにくい。別室で話そう」
周囲の侍女たちがまた不満そうな顔をする。けれど、今度はエライザ自身がそれを制した。
「大丈夫です。行ってきます」
「でも、エライザ――」
「すぐ戻りますから」
そう言ってから、自分の姿を見下ろす。
「……着替える時間くらいはいただけますよね?」
「もちろんだ」
そうしてエライザが仮眠室へ戻ったところを見届け、その場を離れようとした時だった。
「――ジャクリーンお姉様!」
廊下の向こうから、聞き覚えのある声が飛んでくる。
足早に近づいてきたのはヒルダ・アデアだった。その少し後ろを、兄のロナルドが静かについてくる。
「ヒルダ」
「よかった……! 昨日からずっと心配していたんですよ。ライヘンバッハ公爵家まで疑われているって聞いて」
「ありがとう。でも、わたしは大丈夫よ」
「兄様もずっと気にしていたんです。――ね、兄様?」
急に話を振られたロナルドが、わずかに目を見開いた。
「……ああ」
それだけだった。
ヒルダが呆れたように兄を見あげる。
アデア兄妹とは、幼いころから親しくしている。二人の父であるメイヌース伯爵は、セバスチャンの古い知り合いだ。その縁で、メイヌース伯爵家とは今でも付き合いが続いていた。
ヒルダは昔からこうして親しげに話しかけてくれるが、ロナルドはあまりわたしと話したがらない。
『霧ロマ』では、彼は黒幕の正体に気づいたため、口封じに消されてしまう人物だった。今世ではなるべく交流するようにしているけれど、やはりわたしのことをあまりよく思っていないのかもしれない。
「ところでヒルダ。その髪、素敵ね」
今日は灰褐色の髪をふんわりと結いあげ、柔らかなウェーブの間に細い編みこみを重ねている。
「気づいてくださったんですか?」
ヒルダはぱっと顔を輝かせた。
「本当は、もう少しボリュームを出したかったんです。でも、わたしの髪色に合う付け毛なんて滅多になくて。毎回苦労するんですよ」
「そのままでもじゅうぶん似合っているわ」
「うふふ、ありがとうございます。お姉様こそ、素敵なお髪ですわ。さすがはフォーマン、よい仕事をするわね」
「お褒めいただき光栄です。……しかし、今は」
「あ、ごめんなさい。ベンジャミナよね」
今のわたしは髪を高い位置でまとめ、細い編みこみを巻きつけている。顔まわりには、少しだけ後れ毛を残していた。
「高くまとめたほうが、お顔立ちがよく映えますもの。ね、その兄様もそう思いますでしょう?」
またしても唐突に振られたロナルドは、じっとこちらを見つめた後、どこかぎこちない動きでうなずいた。
「………………似合っている」
「……まあ、及第点ですわね」
ヒルダがため息をつく。
妹に呆れられたのが悲しかったのか、ロナルドはどこか肩を落としているように見えた。
「そういえば昨日は、兄様のせいでせっかくの髪が崩れるくらい笑わされましたの」
「僕のせいじゃない」
「兄様以外の誰のせいだというんです?」
ヒルダがじろりとにらむと、ロナルドは不服そうに眉を寄せた。視線だけで言い合いを続けている。
「なにがあったの?」
「昨日、年少組でシャレードをしていたでしょう? 兄様の班のお題が『ハムレット』だったんです」
献上式に出られない十七歳以下の子女には、そのあいだ別の会場に交流会が用意されていた。
シャレードとは、お題の単語をいくつかの音節に分け、それぞれを短い芝居で表したあと、最後に単語全体を演じる遊びのことだ。観客はそれを見てお題を当てる。簡単に言うと、ジェスチャーゲームのようなものだ。
「それで、第一幕の『ハム』のお題では骨つきのハムを使って演じたんです。次の『レット』はよかったんですけど、最後の『ハムレット』で……」
そこで言葉を切ったヒルダの顔を見て、なんとなく嫌な予感がした。
「肝心の髑髏が、どこにも見つからなくなってしまったんです」
ヒルダは思い出しただけでおかしいのか、口もとを押さえた。
「兄様ったら、んふ、最初の幕で使った骨つきハムを持ってきて、っふふ、そのままヨリックの髑髏の代わりにしたんです……っ」
「……そのまま演じたの?」
「最後まで大真面目に!」
ロナルドがわずかに眉を寄せる。
「代わりになるものが必要だった」
「だからって、骨つきハムを掲げて悲劇の王子を演じます? それもすっごく真剣な顔で!」
「あそこでハムレットが笑ったらおかしい」
「兄様が笑うかどうかの話ではありませんわ。ヨリックが哀れ加工肉になった、って会場は大爆笑でしたのよ!」
それは確かに、あの場にいたなら忘れそうにない。
フォーマンが腕を組み、うんうんとうなずく。
「お互い、生真面目人間に苦労させられますねぇ。うちのフレデリック先輩も、この間――」
「フォーマン」
「なんですか。まだなにも言ってませんよ」
「その顔でろくな話だったためしがない」
フォーマンは抗議の声をすっかり無視して、続きを語り始めた。
「庭師のところの坊やに決闘を申しこまれましてね。木の枝を渡された先輩、きちんと一礼してから相手をしてあげたんですよ」
「それのどこがおかしい」
「終わったあと、『筋がいい。あと十年したらまたこい』と真顔で言ったところです」
ヒルダが吹き出した。
「まあ!」
「……子ども相手でも、礼を欠くわけにはいかんだろう」
ロナルドが小さく頷いた。
「わかる」
「兄様まで!」
ヒルダはついに声をあげて笑った。わたしもつられて口もとが緩む。
ひとしきり笑い転げた彼女がようやく落ち着いたころ、わたしは聞きたかったことを切り出した。
「そういえば、ファルコナー嬢も年少組にいたのよね。昨日のようすはどうだった?」
「ファルコナー嬢ですか? うーん……どうだったかしら」
ヒルダは記憶をたどるように首を傾げた。
「あ、最後のほうなら覚えています。『蝶』のお題で、ファルコナー嬢が蝶の役をなさっていましたもの」
「蝶?」
「ええ。ほら、素敵なドレスだったでしょう? あれ、マンタリーニ夫人の仕立てなんですって。それに、あの見事なカトレアモチーフのジュエリーといったら! あの場でもひときわ目を引きましたし、一度見たらそうそう忘れません。背中に羽までつけて、よくお似合いでした」
「……羽というより、布を針金で広げただけだった」
ロナルドがぼそりと口を挟む。
「兄様、そういう夢のない補足はいりません」
ふと振り向くと、着替えをすませたエライザがレストレード警部に連れられて去っていくところだった。
ああしてメイド服に戻ると、先ほどファルコナー嬢と見間違えたことのほうが、かえって不思議に思えるくらいだった。
「……ファルコナー嬢、大丈夫かしら」
ぽつりとつぶやくヒルダの声に、意識を引き戻される。
「気を病んでいないといいけれど」
「どうして?」
「だって彼女、メルモット嬢と親しくしていらしたんだもの」
思わずヒルダを見る。
「ファルコナー嬢が?」
「ええ。去年あたりから、しょっちゅうお二人で一緒にいらっしゃいましたわ」
ヒルダはなんでもないことのように続けた。
「まるで姉妹みたいでしたよ」




