タイカ橙の謎
ヘレン・バーンは亡くなっていた。
衝撃の真実に、図書室には静寂よりなお重い沈黙が降りていた。
「……なぜ、亡くなったのでしょう」
フォーマンが静かに疑問を呈する。
「当時の新聞を見てみたら、なにかわかるかもしれないわね」
司書に頼んで、建国暦九五三年三月五日前後の製本新聞を出してもらう。
主要紙のバックナンバーのみだが、それでも貴重な資料だ。
手分けして読みあさると、やがてそれらしい記事がいくつも見つかった。
『建国暦九五三年三月六日
メルモット・パーク駅の惨事! バーン男爵令嬢、急行列車に斃れる
昨日午後四時ごろ、王都へ通じる本線のメルモット・パーク駅において、バーン男爵令嬢ヘレン嬢(十五)が通過中の急行列車に接触して死亡するという痛ましい事故があった。
バーン嬢は侍女一名をともない、帰邸のため王都方面行きの列車を待っていた。居合わせた乗客らによると、同嬢は急行列車が迫る中、突然自ら線路上へ降りたという。
機関士はただちに警笛を鳴らして制動したものの間に合わず、バーン嬢は列車と接触して死亡した。
同嬢がなぜ線路へ降りたのかは明らかになっていない。目撃者の中には、彼女が自ら列車へ身を投じたのではないかとする者もあり、事故と自殺の両面で捜査が進められている。
検死審問は近日中に開かれる見こみである』
『建国暦九五三年三月八日
バーン男爵令嬢の死! メルモット・パーク駅事故の検死審問
去る五日、メルモット・パーク駅で列車と接触して死亡したバーン男爵令嬢ヘレン嬢について、昨日午後に地区検死官による審問が開かれた。
陪審員は審問に先立って遺体を確認し、事故の起きたホームを検分した。
事故に居合わせた商人ジョージ・ホルトによれば、バーン嬢は自ら線路へ降りたように見え、足を踏み外したようすはなかったという。
また別の乗客エドワード・グレイも、事故の直前までバーン嬢のそばには誰もおらず、何者かに突き落とされたようには見えなかったと述べた。
次いで、バーン男爵家の侍女ベッシー・リーが証言に立った。事故当時ヘレン嬢に付きそっていたものの、駅員と話すため一時そばを離れていたという。
ほどなくヘレン嬢が急に線路へ降りるのを認めて呼び止めたが、その直後に列車が通過したため、なにが起きたのかはっきりと見届けられなかったとした。
列車の運行については駅員と機関士が証言した。
事故を起こした急行は、同駅を通過する定期列車で、当日も所定通りに運行されていた。機関士は線路上に人影を認めてただちに制動したものの、停止するだけの距離は残されていなかったという。
医師の所見では、左側頭部に重度の頭蓋骨骨折があり、それにともなう脳の損傷が死因とされた。死亡はほとんど即時であったという。
検死官は、バーン嬢が自ら線路へ降りた理由は明らかでなく、自死を意図していたとするには証拠が不十分であると述べた。
陪審は協議の末、事故死との評決を返した。鉄道会社およびその職員に責任を帰すべき事情はないものとされた』
『建国暦九五三年三月十日
故ヘレン・バーン嬢の葬儀
去る五日、メルモット・パーク駅で不慮の死を遂げたバーン男爵令嬢ヘレン嬢の葬儀が昨日、バーン領内の教区教会で営まれた。
故人の棺は午前に邸宅を出て教会へ運ばれ、バーン男爵夫妻をはじめ親族がこれに従った。家中の使用人や領民のほか、近隣諸家からも多くの参列者があり、教会には多数の弔花が寄せられた。
礼拝ののち、故人は一族の墓所に埋葬された』
記事を最後まで読み終え、わたしは得られた情報を頭の中で整理する。
フォーマンが困惑したようにこちらを見た。
「メルモット・パーク駅って、ひょっとして……」
「ええ。メルモット子爵家が土地と資金を提供して設置した駅よ」
「あの。わたし、ピンときちゃいました」
フォーマンが得意げな顔をして人差し指を立てた。
「この事故はおそらく、駅の整備不良が原因だったんです。それで犯人は、出資者であるメルモット家を恨みに思って、ご令嬢を殺害したのではないでしょうか」
「あり得なくはないけど、だとしたら検死審問で真っ先に指摘されているでしょうね」
「うーん。ダメですか、やっぱり」
地方紙ならば、そのあたりの詳しいことがわかるかもしれないが、やはり可能性としては低いだろう。
恥ずかしそうに頰を掻くフォーマンは、まだまだ名探偵にはなれそうにない。
「記者は自殺を匂わせているようだけど、どれも推測の域を出ないわね。もっとも、彼らはそうやってセンセーショナルな話題を煽るのが仕事だから、あまり鵜呑みにしないほうがいいでしょう」
「でも、バーン嬢が事故に遭った駅がメルモット・パークだなんて、これって偶然でしょうか?」
「偶然にしてはできすぎているわね。可能性は切り捨てないほうがいいでしょう。それに、あの金木犀のパリュールのことだってある」
「たしかに、どうしてバーン嬢のパリュールがメルモット嬢に渡ったんでしょう? メルモットとバーンって、親戚関係でしたっけ?」
「いえ、そんなことはなかったはずだけれど……」
チラリとフレデリックに視線をやると、彼はほんの少しだけふしぎそうに首をかしげ、それからハッとして手もとの本に目を滑らせた。
「……ここ五代くらいは、血縁関係がありません」
「であれば、やはり親族間で受け継がれた品という線は薄いと考えてよさそうね」
これ以上ここで考えていても、答えは出そうになかった。
であれば、やることはひとつしかない。
「ベッシー・リーに話を聞きにいくべきね」
「バーン家の侍女の? しかし、どうやって……」
「彼女はこの献上式にきていた。今は女性使用人の合同控え室にいるはずよ」
前世ならば決してあり得ないが、こちらの新聞にはプライバシーへの配慮というものがほとんどない。
犯人ならいざ知らず、ただの証人、果ては取材を受けただけで実名報道されてしまう。それも、年齢や職業だけでなく、時として住所まで記載されるのだから恐ろしい。個人情報保護などあったものではない。
とはいえ、おかげでベッシー・リーが重要参考人だとわかったのだから、今回ばかりは感謝しよう。
「問題は、聞いて素直に答えてくれるかだけれど……」
「――お嬢様」
その時、背後から声がかかった。
振り返ると、セバスチャンが音もなく立ち、こちらに一礼していた。
「……驚かせないでちょうだい。あなた、本当に足音がしないわね」
「図書室でございますから」
「主人を驚かせる家令は減点じゃなくて?」
「はて、評価項目にはなかったはずですが」
わざとらしく首をかしげる。
まったく、この家令は昔から人を食ったような口ぶりをする。
「……それで?」
「旦那様より伝言を預かっております。『ランドルフとケイレブは、別の道を歩みながらも互いに功績を挙げた』と」
「ランドルフとケイレブ……?」
ハッとして、先ほどまで漁っていた系譜関係の書架へ戻る。
目当ての『ミステリカ王国貴族全史』はすぐに見つかった。
わたしはそれを閲覧卓に広げ、ファルコナー家の項目を引く。
「……あった。ファルコナー家の三代目当主ランドルフ・ファルコナーと、その弟のケイレブ・ファルコナー」
「ちょっと待ってください、話が見えません。その、ランドルフとケイレブがどうしたというのですか?」
困惑顔のフォーマンに制止されてしまった。
しまった、説明を飛ばしすぎたか。さてどこから話したものか。
「ファルコナー家が白隼で有名なことは知っている?」
「はい。建国戦争の折、初代当主が国王に白隼を献上したと」
「そう。だから今でも献上式は、ファルコナー家が白隼を差し出すところから始まるの」
「聞き及んでおります。その後、当家から赤ワインを奉納すると」
「ええ。そして、その白隼が大華国との縁も作った。大華でも白隼は吉兆の象徴として珍重されていたから、王家はランドルフとケイレブを使節として送り、大華の皇帝へ白隼を贈ったの。それが交流の始まりよ」
「……それが、今回の件にどう繋がるんです?」
「ここを見てちょうだい」
わたしは『ミステリカ王国貴族全史』の該当箇所を指で示した。
――使節としての役目を終えるころ、ランドルフは家督を継ぐため帰国し、ケイレブは航海と通商を担うため大華に残った。
皇帝は二人の働きを称え、それぞれに雅名を授けた。
兄ランドルフには『蘭徳』。
弟ケイレブには『桂礼』。
そして二人の前途を祝って、『蘭桂斉芳』という書を下賜した。
そこには、こんな一節が添えられていた。
『蘭桂雖異庭 共仰明月而齊芳
――たとえ別々の地に立とうとも、同じ志を仰ぎ、それぞれの才を花開かせよ』
以来、ファルコナー家では蘭と桂が特別に好まれるようになった。
今ではカトレアと金木犀が、白隼と並ぶ一族の象徴になっている。
「これって……」
「そう、あの金木犀のパリュールに刻まれていた漢詩よ」
「ははあ。しかし、よくわかりましたね」
「ランドルフとケイレブについては、歴史の授業で習うもの。でも、大華で授けられた名や漢詩までは知らなかったわ」
どうやら父は、あの漢詩を調べるという約束を守ってくれたようだ。
だが、まだ疑問は残る。
「しかし、なぜファルコナー家ゆかりの言葉が、バーン嬢のネックレスに刻まれていたのでしょう?」
「仮説はあるわ。でも、今ある条件だけでは、答えを一意に定められない」
「では、いかがいたしますか?」
「本人をよく知る者に聞くのが手っ取り早いでしょうね」
やはり、これしか方法はない。
「ベッシー・リーに話を聞きにいきましょう」




