綴られた名前は
第一話から第三話を大幅に改稿しました。すでに読んでくださった方も、よろしければもう一度お読みいただけると嬉しいです。
朝食の時間が近づいたころ、フォーマンに起こされた。
短い仮眠ではあったけれど、いくらか頭も身体も軽くなっている。
身支度をすませて居間へ向かうと、父はすでに席へついていた。
「おはようございます」
「ああ」
挨拶を終えたところで、セバスチャンが一枚の紙を差し出してきた。
「お嬢様、宮内長官府より回状が届いております」
受け取って目を通す。
昨夜の発言は、王太子殿下の独断によるものであり、王家としての判断ではない――そういう内容だった。
おそらく今ごろ、あの夜会にいた各家にも同じものが渡っているだろう。
「ずいぶんと手回しが早いのですね」
「とうぜんだ。クラウディオ殿下は、ひと晩で我が家と王家の関係を二十年は後退させた」
父は冷淡な口調でそう言うと、なにごともなかったかのように朝食へ戻った。
「次はなにを調べるつもりだ」
「そうですね……まずは、ネックレスに刻まれていた『ヘレン』について調べようと思います」
ルパンとの約束のこともある。
本当の持ち主がヘレンという人物なら、まずは何者なのか特定したい。
なぜ現場からパリュールが持ち去られたのかも、そこからなにかわかるかもしれない。
献上式は一泊二日の日程だ。警察も関係者をできるだけ王宮に引き留めているようだが、それにも限度がある。おそらく今日の午後には順次帰されるだろう。
直接話を聞けるうちに、できるだけ調べておきたい。
父は静かにうなずいた。
「ならば王室図書館を使え。許可は取ってある」
思わぬことを言われて、わたしは目を丸くした。
「……よく許可がおりましたね」
「おりないほうが不自然なくらいだ。我々の嫌疑を晴らすために必要だと主張したところ、二つ返事で要望が通った」
「昨夜のことを負い目に感じているのでしょうか」
「ホレス殿下は、よほどおまえとクラウディオ殿下を婚約させたいらしい」
珍しく皮肉げな色がにじんでいる。
王配殿下のことになると、この父はたまにこんなふうになる。過去になにかあったのだろうと推察しているが、聞いてもはぐらかされてしまう。
原作ゲームでは王太子の婚約者だったわたしが、今世では婚約者候補なのも、このあたりが関係していそうだ。
「フォーマン、朝食がすんだら付き合ってちょうだい」
「かしこまりました。何十冊ほど覚悟しておけばよろしいでしょうか」
「……まだ、なにを頼むかも言っていないのだけれど」
「失礼。先回りが過ぎました」
……まあ、そのとおりなのだが。
優秀すぎる従者に内心頭を抱えていると、背後に控えていたフレデリックが口を挟んだ。
「お嬢様。私も手伝います」
「あなた、本を読むのは得意?」
「文字は読めます」
「……かえって不安になる答えね」
確かに、この男が訓練していることは珍しくないが、読書をしているところは見たことがない。頭より身体を動かすのが得意なのだろう。
フォーマンがにこやかに言った。
「ご安心ください、お嬢様。フレデリックさんが文字を読めることは、わたくしも保証します」
「……フォローになってないわよ」
「失礼いたしました」
そっとこめかみを指で押さえる。
これは先が思いやられそうだ。
◇◇◇
王室図書館は、壁一面が天井近くまで書架で埋めつくされていた。
木製の棚は二段にわかれ、上段には細い回廊が通っている。白い天井装飾や大理石の暖炉が、いかにも王宮らしい雰囲気だ。
なにより目を引くのは、棚いっぱいに並んだ革装丁の本だった。
中央には大きな閲覧卓があり、その奥にも部屋が続いている。
なるほど、これは一日でどうにかなる量ではない。
ちらりとフォーマンを見ると、目が合った。
「……何十冊で足りるかしら」
「さて。まずは十冊から始めましょう」
涼しい顔で返されてしまった。
どうやら、彼の先読みが正しかったらしい。
「ご安心ください。何百冊でも運びます」
フレデリックが真剣な顔で請け負う。
「……読むほうも頑張ってちょうだい」
「努力します」
なんとも頼りない返事である。
さておき、まずはもっとも可能性が高いところからあたることにした。
あのパリュールはメルモット嬢が身につけていたものだ。メルモット家に代々伝わるものかもしれないし、親族から形見分けされた可能性もある。
そこで司書に頼み、まずはメルモット家の系譜録や婚姻記録を出してもらった。
メルモット嬢自身は、建国暦九三七年三月十五日生まれだった。今年で十八歳だということは、盟杯の儀への参加も今回が初めてだったのだろう。
そこから親族も調べていくが、いくら遡っても『ヘレン』という名は出てこない。
「母方にもいませんね」
フォーマンが系譜録の頁をめくる。
「その前の代は?」
「こちらです。……ヘレナならおりますが」
「生没年は?」
「建国暦八七三年から九三一年」
「違うわね」
ネックレスに刻まれていたのは、建国暦九三七年十月十四日。
これがヘレンの誕生日なら、今は十七歳ということになる。
もちろん、生年月日だと決まったわけではない。だが、九三七年より前に亡くなっている人物なら、少なくとも有力候補からは外していいだろう。
結局、メルモット家とその近しい親族からは、それらしい人物を見つけられなかった。
「となると、家伝の品ではないのかしら」
誰かから贈られたものか、さらに遠い親族から渡ったものか。
あるいは、そもそもメルモット嬢の所有物ではなかったのかもしれない。
そこから先は、とたんに厄介になった。
今度は貴族名鑑や系譜録、宮廷年鑑まで引っ張り出し、『ヘレン』という名を片っぱしから拾っていく。
家名がわからない以上、それ以外にやりようがない。
「ヘレン・アシュフォード、建国暦九二一年生まれ」
「違う」
「次は……ヘレン・ベレスフォード、九一六年生まれ」
「それも違うでしょう」
フォーマンが名前と生年を読み上げ、わたしが照合していく。
「こちらにもいました」
向かい側から、フレデリックが分厚い系譜録を差し出してきた。
「生年は?」
フレデリックが頁へ視線を戻す。
「九〇八年です」
「どうして持ってきたの?」
「ヘレンでしたので」
しばらく彼の顔を見つめる。
「フレデリック」
「はい」
「次からは、生年まで確認してから教えてちょうだい」
「わかりました」
素直に本を引き取っていった。
その横で、フォーマンが小さく肩を震わせている。
「……笑っているの?」
「失礼、少々呼吸が乱れまして」
「読書で?」
「図書館では静かにしなくてはなりませんから」
その後もしばらく、三人で黙々と作業を続けた。
「ヘレン・カートライト、九三〇年」
「外れね」
「ヘレン・ダドリー。生年の記載なし」
「それは残しておきましょう」
「ヘレン・エヴァンズ、九三八年」
「一年違いだわ」
候補は見つかるものの、なかなか九三七年生まれに行きあたらない。
厄介なのは、生年が載っていない者だった。
名鑑によっては、当主夫妻や跡継ぎの生年月日は記載されていても、娘たちについては名前だけということもザラだった。そのたびに別の系譜録を紐解き、該当する家を探さなくてはならない。
結婚して家名が変わった者まで含めれば、範囲はさらに広がる。
「これは、ずいぶん骨が折れますね」
何冊目かの名鑑を閉じたフォーマンが、ため息まじりに言った。
卓上には開いた本と、候補を書きとめた紙が積み重なっている。そのほとんどに斜線が引かれ、残った名前には「生年不明」「要確認」という書きこみだらけだった。
「……効率が悪いわね」
思わずつぶやく。
姓さえわかれば、もっとずっと早いのに。
けれど、刻印に残されていたのはヘレンという名と、十月十四日という日付、それから大華国の文字だけだ。
このまま名前からひとりずつ拾っていては、本当に何百冊も読むことになりかねない。
なにか別の探し方はないものだろうか。
「……誕生日から逆引きできないかしら」
わたしのつぶやきに、フォーマンが顔をあげた。
「十月十四日生まれに絞って探せる資料があれば、もっと効率がいいはず」
「なるほど。ですが、そのようなものがあるでしょうか?」
「司書に聞いたほうが早そうね」
わたしは受付へ行き、事情を説明した。
話を聞いた司書は少し考えてから、うなずいた。
「それでしたら、王室誕辰帳などはいかがでしょう」
「王室誕辰帳……ああ、ロイヤルバースデーブックのことね」
王宮を訪れた人間が、名前と生年月日を書きこむものだ。わたしも以前、五月四日の頁に記入した覚えがある。
日付ごとにわかれているから、誕生日から人を探すにはうってつけだった。
「では、それをお願いします」
司書は宮廷年鑑の並ぶ書架へ向かうと、厚い帳面を何冊か取り出した。
礼を言って受け取り、閲覧卓へ戻る。
「見つかりましたか?」
「ええ。これなら早そうよ」
さっそく十月十四日の頁を開く。
そこには、これまでに王宮を訪れた者たちの名前と生年が、筆跡もまちまちに並んでいた。
建国暦九三七年生まれに絞って、上から順に目を走らせていく。
「……ございませんね」
「そんなはずは……」
ひとつ前の巻も確認すると、今度は該当する者がいた。
「あったわ。ヘレン・バーン、建国暦九三七年」
家名をなぞる指が止まる。
「バーン……?」
聞き覚えのある家名だ。それも確か、つい最近耳にした気がする。
……そうだ、ベッシー・リー。使用人控え室で出会ったあの年嵩の侍女は、バーン男爵家の侍女だったはずだ。
「バーン家を調べますか?」
「ええ。貴族名鑑を――」
答えながら王室誕辰帳を閉じようとして、ふとすぐ下の記載に目をとめた。
――アリシア・ファルコナー、建国暦九三七年。
「……ファルコナー嬢?」
見間違いではない。
ヘレン・バーンとアリシア・ファルコナー。姓の違うふたりが、同じ年の十月十四日に生まれている。
偶然にしてはできすぎていた。
気になって、現行巻を手もとに引きよせる。
ファルコナー嬢をはじめ、旧巻と共通する名前はいくつも見つかった。だが、ヘレン・バーンの名だけがない。
「妙ですね」
同じように新旧巻を見比べていたフォーマンが眉を寄せる。
「お嬢様、こちらを」
フレデリックが一冊の本を差し出してきた。
「バーン家の頁です」
「上出来じゃない」
完璧なタイミングだ。
フォーマンがわざとらしく感心した顔で、軽く拍手した。
「さすがはフレデリック先輩。感服いたしました」
「……たまたま近くを見ていただけだ」
さっそくバーン家の系譜を調べる。
ヘレン・バーン、建国暦九三七年十月十四日生まれ。王室誕辰帳の記載とも一致している。
これは本人に違いないと読み進めたところで、ふと末尾に添えられた数字に目がとまった。
建国暦九五三年三月五日。生年と紐づいて記された数字の意味は、つまり。
「……二年前に、十五歳で亡くなっている」
ヘレン・バーン、建国暦九三七年十月十四日生まれ。
――建国暦九五三年三月五日、没。




