追いつめられても
「こんなところでなにをしているの。あなた、どこの持ち場?」
「わたしは――」
「勤務札を見せなさい」
厄介なことになった。
偽造した勤務札を詳しく調べられれば、さすがにごまかしきれない。
どう切り抜けるべきか考えながら勤務札へ手を伸ばしかけたところで、横合いから声がかかった。
「ああ、その娘なら私が仕事を頼みました」
先ほどの装飾係だった。
「あなたが?」
「ええ。どうにも暗くてね。手もとが見えるように、明かりを持ってもらってたんです」
夜番主任は、わたしの手燭と男を見比べた。
「そうでしたか。ですが、侍女を勝手に持ち場から離されては困ります」
「それは申し訳ない。すぐにすむつもりだったもので」
「もう遅い時間です。あなたも早めに作業を切り上げてください」
「承知しました」
夜番主任は最後にちらりとこちらを見たものの、それ以上は追及せずに去っていった。
足音が遠ざかるのを待ち、わたしは隣の男を見すえる。
「……なぜ、わたしを庇ったのですか?」
「そう警戒するなよ、嬢ちゃん。せっかく助けてやったのに」
その軽い口調には聞き覚えがあった。
「……ルパン?」
「ご名答」
男は楽しそうに口の端を上げた。
なぜルパンが、都合よく装飾係に化けている?
偶然ここに居合わせたとは考えにくい。初めから潜りこんでいたのなら、当然なにか目的があったはずだ。一体、なんのために――。
そこで、はっと春の女神の花かごを仰ぎ見た。
もしホームズ警部補が調べていた時にも、パリュールが今と同じように見えていたのなら、彼ほどの人間が気づかなかったとは考えにくい。
――では、あの時には見えない状態だったとしたら?
つまり、パリュールの上には別の装飾かなにかが重ねられていたのではないか。
それが後から取り除かれたのだとしたら。
そんなことができるのは、目の前のこの男しかいない。
「最初から、ここにあると知っていたのね」
ルパンは否定せず、にやりと笑った。どうやら当たったらしい。
しかし、そうなると別の疑問が浮かんでくる。
初めからパリュールの在処を知っていたのなら、なぜわたしに「探して持ち主に返してほしい」などという条件を出したのだろう。
ただメルモット家へ返すだけなら、自分で持っていけばいい話だ。気づかれないよう枕もとへ置いておくくらい、この男には朝飯前だろう。
そこでふと、ネックレスの裏に刻まれていた『HELEN』の文字が思い浮かんだ。
ひょっとして、ルパンの言う「持ち主」とは、メルモット家のことではないのだろうか。
「それにしても、ホームズ警部補は恐ろしい男だな」
ルパンが、先ほどまでホームズのいたほうへ目をやった。
「こちらには興味がないような顔をして、抜け目なく観察してやがった」
「気づかれたの?」
「まさか。俺は完璧主義でね。モデルにした男の仕草から口調、古傷の痕まで再現してる。そう簡単にボロを出すつもりはないさ」
「ふうん。それで、そのモデルにした男はどうしているの?」
「幸いなことに、俺は友人が多くてね。今夜はどうしても外せない用事があるってんで、代わりに出勤してやってるのさ。健気なもんだろう?」
要するに、本物の装飾係はルパンの協力者だというわけだ。
まったく、この男がそばにいると身内ですら信じられなくなりそうで恐ろしい。
とはいえ、今の彼はこちらの側だ。
わたしはポケットを探り、真鍮の預かり札を取り出す。
「もうひとつ、頼みがあるわ」
「今度はなんだ?」
差し出した札を受け取り、ルパンが刻印に目を落とした。
「東クローク、六十二番?」
「このクロークの中身を確認してきてほしいの」
「やれやれ、人使いが荒いねぇ」
言いながらも、その口調はどこか楽しげだった。
「あなたにとっても無関係ではないでしょう?」
「まあな。こいつもパリュールに繋がる手がかりかもしれないってわけだ」
「ええ。なにかわかったら教えて」
「了解」
ルパンは預かり札を懐へしまった。
ふと窓の外へ目をやると、すでに空が白み始めていた。
ポケットから時計を取り出して確かめる。いつの間にか、もう五時を回っていた。
さすがに、そろそろ戻ったほうがいいだろう。
わたしはルパンと別れ、自分の控え室へ向かった。
すっかり人けのなくなった廊下を足早に進み、やがてライヘンバッハ公爵家の従者控え室へたどり着いたところで、思わず足をとめる。
扉の前に、フレデリックが立っていた。
美しく姿勢をのばし、直立不動のままこちらを見つめているのが、かえって恐ろしい。
こんな時間にたまたまここへいるはずもない。護衛なら従者控え室ではなく、前室の扉を守っているのがふつうだ。
……やれやれ、こうなると面倒だからフォーマンを身代わりにしてきたというのに。
「……おはよう、フレデリック」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
彼は一礼したものの、扉の前を動かない。
これは相当なお冠のようだ。
「通してくれるかしら」
「今後、このようなことをなさるときは、私にもお知らせください」
「知らせたら止めるでしょう」
「止めます」
迷いのない返答だった。
「ならば知らせる意味がないわね」
「……護衛ならばできます」
「どこの世界に護衛を連れた侍女がいると言うの?」
フレデリックはむっつりと黙りこんだ。
「それにあなた、目立つのよ。背が高いし、威圧感があるし、おまけに顔も整っている。注目を集めるわけにはいかないの」
「……顔ならばお嬢様のほうが目立つでしょう」
「そんなもの、化粧でどうとでもなるわ」
「でしたら私も化粧をします」
「……難しいんじゃないかしら」
顔だけの問題ではない。この体格では、いくら化粧をしたところで焼け石に水だ。
「フォーマンではいけなかったのですか」
この男にしては珍しく食い下がってくる。
言葉が足りないのはいつものことだが、どうやら「潜入ならフォーマンに任せればよかったのでは」と言いたいらしい。
「わたしでなくてはならないことも多かった。それに、今回は時間がなかったわ。フォーマンが持って帰ってきた情報を精査して、気になることを再び調べに行かせたんじゃ、時間がかかりすぎるでしょう」
「しかし博打でした」
「かける価値のある、ね」
実際、ルパンはわたしの交渉にしか応じなかっただろう。
しかし、彼によってもたらされた情報量は大きい。危険を冒すに値したと断言できる。
だが、フレデリックは納得したようすではなかった。
「それでも、おひとりでなど――」
「フレデリック」
内側から扉が開き、セバスチャンが顔を出した。
「そこまでにしなさい。旦那様がお待ちです」
「ですが――」
「お嬢様は戻られました。今は、それでじゅうぶんでしょう」
フレデリックはなおも何か言いたげだったが、渋々といったようすで扉前から退いた。
「旦那様は居間でお待ちです。お着替えがおすみになりましたら、お越しください」
「わかったわ」
セバスチャンはフレデリックを半ば引きずるようにして、その場を後にした。
それを見送って、わたしは従者控え室に足を踏み入れる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
鏡台の前にいた女が立ち上がった。
石炭のような黒髪に、封蝋のような赤い瞳。そこにいるのは、どう見てもわたし自身だ。
もっとも、その正体はわたしに身代わりを任されていたフォーマンなのだけれど。
「ヘマをしたわね、フォーマン」
「申し訳ございません。わたくしの腕が一歩及ばず」
「冗談よ。いくらあなたの変装術が一流でも、彼らを相手にいつまでも通じるとは思っていない。足どめさえできればじゅうぶんだわ」
「痛み入ります」
フォーマンは小さく膝を折った。
「では、そろそろその顔を返してもらおうかしら」
「かしこまりました」
化粧室に移動してから侍女服を脱ぎ、用意されていた朝の部屋着に着替える。
終わったころに呼びつけると、フォーマンも侍女姿に戻っていた。さすがの早着替えだ。
最後に髪と化粧を手早く整えてもらう。
「なにか収穫はございましたか?」
「ええ、いろいろとね。この後でお父様に報告するから、あなたも同席してちょうだい」
「承知いたしました」
居間へ向かうと、父はすでに席へついていた。その脇にはセバスチャンとフレデリックも控えている。
「戻りました」
「報告を聞こう」
「はい」
得られた情報を脳内で整理しながら、向かいの椅子に腰をおろした。
「まず、警察は当初ヴィンセント・ヴェンディス伯爵令息を犯人と目していたようです。逮捕寸前にアリシア・ファルコナー侯爵令嬢が毒針に刺される騒動があり、逮捕を保留した、と」
「ああ。その件についてはこちらでも把握している」
「ならば省略いたします。わたしのほうでは、春の女神像の花かごから、メルモット嬢が身につけていたものと同一と見られる金木犀のパリュールを発見いたしました」
「警察には」
「届けておりません。発見時のままにしております」
「ならば、今はまだ触れるな。我々が見つけたと知られると、事態がややこしくなる」
「承知いたしました。それから、ネックレスの裏面にヘレンという名前と、建国暦九三七年十月十四日の日付、漢詩の一節と思われる文字が刻まれていました」
「漢詩……大華国の詩文か。どんな文字だった?」
「これを」
わたしは紙に『蘭桂雖異庭 共仰明月而齊芳』と書きとめたものを差し出した。
父はしばらく眺めたが、やがてそれを懐にしまった。
「大華に精通した者に読ませよう」
「おそらくですが、『蘭と桂は別々の庭にあっても、同じ月を仰ぎ、等しく芳しい』というような意味かと」
「……いつの間に大華語を学んだ?」
「基本的なことを、少しだけです」
実際に学んだのは前世の時分だが、嘘はついていない。
「他には」
「冬の女神像に使われていたヘレボルス・ニゲルの一部に損傷がありました。ヘレボルスの毒が引き起こす作用が、ファルコナー嬢の症状とおおむね一致しています。ファルコナー嬢は昨夜の二十一時前後、十分ほどひとりになった時間があったそうです」
「なるほど」
「それから、西側の植木鉢に東側クロークの預かり札が隠されておりました。番号は六十二です。事件と関係があるかはわかりませんが、一応ご報告いたします」
「物はどうした」
「現在調査中のため、手もとにはありません」
念のため、ルパンに調べてもらっていることは伏せておく。
枢密院議長に、裏社会の情報屋のことまで知らせる必要はないだろう。
「こちらにもふたつある」
今度は父が口を開いた。
「ひとつはヴィンセント・ヴェンディスが所持していた目薬だ。事情聴取の途中で、警察から鑑定結果を聞き出した」
さらりと言うが、捜査情報を漏らしたということだ。
思わず担当警官に同情してしまう。この父に理づめで迫られたら、さぞかし恐怖だったろう。
「……結果は?」
「中身が毒物であることは間違いないが、マリー・メルモットの胃から検出されたものとは一致しなかったそうだ」
「では、メルモット嬢の毒殺とは切り離して考えるべきですね」
「そうなる」
であれば、本人が言うように第三者に忍ばされた可能性も視野に入れるべきかもしれない。
「もうひとつ。先ほど、ホレス王配殿下と話してきた」
ホレス王配殿下――マーシラ女王陛下の夫君であり、先の戦争におけるドーキンの戦いで王都陥落を防いだ救国の英雄だ。王太子クラウディオ殿下の父君でもある。
「昨夜の件ですか」
「ああ。クラウディオ殿下の発言は、警察からの正式な報告に基づくものではなかった。宮中で耳にした話を、確かめもせず事実と受け取られたらしい」
「そうですか」
『霧ロマ』でも、クラウディオ殿下は正義感が空回りして周囲を振り回す人物だった。
とはいえ、トゥルーエンドではジェーンたちとともに婚約者の悪事を暴くのだから、根は善良なのだろう。
「王配殿下からは、あの場でおまえの名前を挙げたことについて詫びがあった。クラウディオ殿下は今後、この事件には関与させない。それから、この件はすでに女王陛下にも報告されているそうだ」
「陛下にも?」
「ああ。王家として必要な対応を取るとのことだ」
どうやら王太子の発言を、王家の判断として扱うつもりはないらしい。
おふたりとも、さすが『救国の英雄』『公正の女王』と呼ばれているだけあって、判断が早い。
息子の失態を身内だからと庇い立てするような方々ではないだろう。この件は任せておいてよさそうだ。
「こちらからは以上だ。朝食までまだ時間がある。少しでも仮眠を取るように」
「はい」
席を立とうとしたところで、フレデリックが横やりを入れた。
「旦那様。ひとつ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「お嬢様が、おひとりで王宮内を調べて回られた件です」
まだ諦めていなかったらしい。
父がこちらに視線を戻した。
「必要だったのか?」
「はい」
「成果もあった。ならば、今回はそれでいい」
あっさりと許されてしまった。
まあ、この父ならば、結果さえ出せれば問題ないとは思っていたけれど。
「ですが……お嬢様を、おひとりで行かせるわけにはいきません」
「ならばどうする?」
父の問いに、フレデリックは言葉をつまらせた。
「ジャクリーンが行かなければ、先ほどの情報は得られなかった。それに代わる手段がおまえにあるのか」
「……私が同行します」
「だから、あなたがいたら目立つと言ったでしょう」
思わず口を挟むと、フレデリックはむっつりと口を閉じたが、やがて低い声で続けた。
「フォーマンに化粧をしてもらいます」
……まだ諦めてなかったのか。
「できるか、フォーマン」
父が真顔で訊ねる。
「いくらわたくしでも、樫の木を柳にはできません」
「却下だ」
すげなく一蹴される。
それでもフレデリックは引かなかった。
「……死角を見つけるのは得意です。目立たないよう、少し離れて待機します。お嬢様になにかあれば、すぐに駆けつけられるように」
「それならばいい」
父は迷うことなく結論を出した。
「ジャクリーン、異論はあるか」
「ございません」
捜査を止められることがないのなら、護衛がつくのは安全面から考えても利点だ。反対する理由はない。
「では、話は終わりだ。朝食まで休め」
「はい」
今度こそ席を立ち、寝室へ向かう。
さすがにひと晩中動き回った疲れが出たようだ。寝台へ潜りこむと、すぐに泥のように眠ってしまった。
その朝、王宮から異例の告示が出された。
昨夜の王太子殿下の発言は、警察の捜査結果を受けたものではなく、殿下ご自身が「性急な判断であった」と認めている――おおよそ、そんな内容であった。




