二章一話「普通の幸せ」
私は、どこにでもいる普通の女の子だった。
実家はマンション。
両親も優しかったし、特別お金持ちではないけれど、不自由はなかった。
「将来は普通の人と結婚して、普通の家庭を作るんだろうな」
子どもの頃から、そう思っていた。
それが当たり前だと思っていた。
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二十代になった頃。
私は少し焦っていた。
「……私、彼氏できたことないんだよね」
ファミレスでそう呟くと、友人が笑った。
「えー、絶対すぐできるって」
「今度紹介しようか?」
「え?」
「私の彼氏の友達なんだけど、普通にいい人だよ」
普通にいい人。
その言葉に安心した。
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後日、紹介された彼は——本当に“普通”だった。
身長も高い。
スポーツもできる。
就職先も決まっている。
話し方も穏やかだった。
年齢も同じ。
「よろしく」
「あ、よろしくお願いします」
少しぎこちなく笑う彼を見て思った。
(この人となら、普通に幸せになれそう)
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しばらくして、彼から告白された。
「……俺と付き合ってくれませんか」
真面目な人だった。
だから私も頷いた。
「うん、よろしくね」
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付き合ってからしばらくして。
彼は仕事で精神を病んだ。
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「ごめん……最近ちょっと調子悪くて」
ソファに座った彼は、弱々しく笑っていた。
私は戸惑った。
正直、少し怖かった。
彼は普通じゃなくなってしまった気がしたから。
でも。
それでも私は彼が好きだった。
愛していた。
だから別れなかった。
「無理しすぎないでね」
そう言って、隣にいた。
彼の病気は順調に回復していった。
彼が普通に戻れた気がして嬉しかった。
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周りの友人達が結婚し始めたころ
私達も結婚した。
時期的に普通だから。
子どもも生まれた。
幸せだったと思う。
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だが彼は、急に上を目指し始めた。
「もっと給料の良い会社に行こうと思う」
「え? 今のままじゃ駄目なの?」
「家族のためだよ」
そう言って笑っていた。
私は少し不安だった。
また壊れてしまうんじゃないかって。
普通じゃなくなってしまうんじゃないかって。
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今の時代、共働きは普通。
だから私も働いた。
子育てと仕事の両立は思っていたより大変だった。
洗濯。
寝かしつけ。
子どもの世話。
毎日、余裕なんて無かった。
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でも、面倒なことは旦那が先回りしてやってくれていた。
家計管理。
掃除。
買い出し。
毎日のご飯の作り置き。
「……助かる」
とは思っていた。
でも同時に、
(男性でも育児参加するのって今時は普通だよね)
とも思っていた。
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だからある日、残業帰りの彼に言った。
「ねえ、仕事頑張ってくれてるのはわかるんだけど、育児もう少し手伝って欲しいな…」
彼は少し驚いた顔をした。
「ああ……ごめん」
「気づいてなかった」
疲れた顔だった。
でも私は続けた。
「今時、男の人も育児するの普通だし」
「私も働いてるんだから」
彼は静かに頷いて言った。
「……うん。ごめん。」
少し悪い気はしたが
私だって頑張ってるもの。
世の中の夫婦は、もっとちゃんと両立してるからこれくらい言っても普通だよね。
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そこから彼は、さらに色々やるようになった。
子どもの教育。
習い事の送り迎え。
私が困っていそうなことを、
私が言う前に大体やってくれていた。
私の気持ちが伝わったみたい。
これで私たち、普通の夫婦になれたかな。
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でも。
彼は、少しずつ壊れていった。
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寝れていないみたいだった。
ご飯もあまり食べなくなった。
ぼーっとしていることが増えた。
それでも彼は、
「大丈夫」
と言っていた。
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そして、ある日。
彼はまた精神を病んだ。
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「しばらく休職になります」
そう聞かされた時、私は頭が真っ白になった。
生活は?
ローンは?
子どもは?
将来は?
不安ばかり浮かんだ。
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そんなある夜。
私は彼に言った。
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「自分が、普通に仕事できるところに、勤めたら?」
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彼は、言葉にできない顔をした。
傷ついたような。
壊れたような。
そんな顔だった。
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「だって……普通は働くものでしょ?」
そう続けた。
でも。
彼の耳に入っていたのかは分からない。
彼の返事の内容は覚えてない。
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翌朝。
彼は起きてこなかったので部屋まで起こしに行く。
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「……ねえ?」
返事がない。
嫌な予感がした。
寝室の扉を開ける。
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大量の薬の空き瓶。
そして。
横たわる、旦那。
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「——え?」
頭が真っ白になった。
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「いやっ……!」
「ねえ! 起きてよ!!」
揺らす。
反応がない。
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震える手で救急車を呼んだ。
だが——彼は助からなかった。
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葬式の日。
周囲は気を遣うように言った。
「大変だったね……」
「無理しないでね」
私は曖昧に頷いた。
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でも心の奥では。
別の感情が渦巻いていた。
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(自殺なんて普通じゃない)
(周りになんて言えばいいの)
(死んでも迷惑かけるなんて……)
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そして、ふと思ってしまう。
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(……一緒にいなきゃよかった)
(こんなこと思っちゃ駄目なのに)
(でも……)
(どうして私達を置いて死ねるの)
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その考えを振り払うように、私は息子を抱きしめた。
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旦那が生前組んでいた保険のおかげで、生活はできた。
家も残った。
仕事は続けたし
両親も援助してくれたので
お金にはそこまで困らなかった。
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ただ。
息子だけは可哀想だった。
なんだかんだ言って、彼に懐いていたから。
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そして数年後。
息子は中学生になった。
部活も始まり、帰りが遅くなることも増えた。
最近TVのニュースでは通り魔事件のことばかり放送している。
普通は通り魔なんかに遭遇したりしないけど、
もしもの事を想像すると息子が心配になった。
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ある日の夕方。
いつも通りに夕飯の支度をしていると
玄関のドアが開く音がした。
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「……今日は早いのね」
そう言いながら玄関へ向かう。
だが。
そこにいたのは——知らない男だった。
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「……え?」
男は、何も言わなかった。
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気づいた時には。
腹に熱い痛みが走っていた。
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「——っぁ……!?」
ナイフ。
刺された。
一回。
二回。
三回。
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「なん……で……」
視界が揺れる。
血が床に広がっていく。
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痛い。
痛い痛い痛い。
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どうして?
私は——
普通に生きて。
普通に幸せになりたかっただけなのに。
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女の子に産まれたんだから
運命の誰かが幸せにしてくれる。
そんな普通の人生が欲しかっただけなのに。
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「なん、で……」
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そこで、意識は途切れた。
二章一話 完
二章二話に続く




