7. 三連単1億2000万の行方
16:00。家のリビング。
テレビの画面いっぱいに、ゲートが映る。
静寂——
次の瞬間。
バンッ!!
ゲートが一斉に開いた。
ドドドドドドドッ!!!
芝を蹴り裂くような轟音が、リビングに響く。
「行けぇぇ!!」
父が身を乗り出す。
視線は一点。
1番人気・5番クマダゴガア。
馬群の中、好位置につけている。
「いいぞ!そのまま前行け!!」
拳を握り、叫ぶ。
——一方で。
春彦は、息を詰めるように画面を見つめていた。
(……アライグマラクーン)
視線を探す。
だが——
「……いた」
画面の端。
最後尾。
「……マジかよ」
小さく呟く。
(こんな位置から……勝てるのか?)
不安が、胸に広がる。
ネズミチュウチュウ、スカンクフンシャは——
中団。
まだ、射程圏。
「さあ、各馬一団となって向正面へ——!」
アナウンサーの声が響く。
軽快で、だが徐々に熱を帯びていく。
父は完全にクマダゴガアに夢中だ。
「いい位置だ!そのまま行け!!」
先ほど買った三連単のことなど、頭にない。
ただ——
勝つと信じた馬に、全てを賭けている。
——向正面。
隊列は大きく崩れない。
クマダゴガアは、理想的なポジション。
父は満足そうに頷く。
「よし……いいぞ……」
その横で——
春彦の視線は、まだ後方。
(……来ない)
アライグマラクーンは、相変わらず最後尾。
(おい……)
喉が乾く。
(大丈夫なんだよな……?)
ネズミチュウチュウとスカンクフンシャは——
じわり、じわりと上がってきている。
先頭集団へ、食らいつく。
「さあ、各馬第三コーナーを回る!!」
実況が一段と高まる。
「ここから一気にペースが上がる!!」
——そして。
最終コーナー。
クマダゴガアが——
先頭に立つ。
「来たぁぁ!!」
父が立ち上がる。
「行けぇぇ!!クマダゴガアァァ!!」
叫び声が、部屋に響く。
ネズミチュウチュウ、スカンクフンシャも追い上げる。
だが——
春彦は、焦っていた。
「……アライグマラクーンは!?」
画面を見回す。
だが——
いない。
いない。
カメラのフレームにすら、入っていない。
(……消えた?)
血の気が引く。
(そんなバカな……)
だが——
次の瞬間。
「——外から一頭!!外から一頭、ものすごい脚だ!!」
実況が、叫ぶ。
「なんだあの脚は!!」
カメラが、ぐっと外へ振れる。
そこに——
真っ黒な馬体。
大外から。
爆発的な末脚。
まるで——
他の馬が止まって見えるほどの速度で。
次々とごぼう抜きにしていく。
「……っ!!」
春彦の目が見開かれる。
(まさか……)
その馬体を、凝視する。
そして——
「……アライグマラクーン……!!」
喉から声が漏れる。
次の瞬間——
その馬は、先頭へ躍り出た。
「来たぁぁぁぁぁ!!!アライグマラクーン!!大外一気!!」
アナウンサーが絶叫する。
「なんという脚だ!!とんでもない末脚だ!!」
「マジかよ……」
春彦の背中に、戦慄が走る。
(……本当に……来やがった)
「巻き返せ!!クマダゴガアァ!!」
父が必死に叫ぶ。
だが——
クマダゴガアは、じわじわと後退していく。
差し返せない。
完全に、飲み込まれている。
春彦の視界は、もう一頭に固定されていた。
「行けぇぇ!!アライグマラクーン!!」
思わず叫ぶ。
全身が熱い。
心臓が、爆発しそうなほど打っている。
——そして。
ゴール。
アライグマラクーンが——
圧倒的な差で、駆け抜けた。
二馬身以上。
完全勝利。
「アライグマラクーン、勝利ぃぃぃ!!」
アナウンサーの絶叫が響く。
「とんでもない波乱だ!!」
だが——
レースはまだ終わっていない。
「さあ、2着争いは!!」
画面には——
三頭が並ぶ。
ネズミチュウチュウ。
スカンクフンシャ。
クマダゴガア。
だが——
「クマダゴガア、わずかに遅れている!!」
実況が叫ぶ。
「2着はネズミチュウチュウか!?それともスカンクフンシャか!?」
「大荒れの展開です!!」
解説者も興奮している。
画面の掲示板。
——1着:4番。
だが、2着、3着はまだ出ない。
春彦の顔から、血の気が引いていく。
「……おい」
声が震える。
「……もし」
喉が詰まる。
「……2着が……ネズミチュウチュウで……」
「3着が……スカンクフンシャだったら……」
父が振り返る。
「……どうした、お前」
だが——
春彦は、答えない。
代わりに——
父のスマホを指差す。
画面。
そこには——
三連単 4-6-8。
父の顔が、固まる。
「……あ」
思い出す。
「……おい」
声が、震える。
「……もしかして……当たる……?」
次の瞬間——
父の顔からも、血の気が引いた。
「……うそだろ」
春彦が、かすれた声で言う。
「……1億2000万……」
部屋の空気が、止まる。
二人とも、言葉を失う。
ただ——
掲示板を、見つめる。
(……出ろ)
(……出るな)
矛盾した感情が、胸の中でぶつかる。
時間が、やけに長い。
「……判定に時間がかかっています」
実況の声。
ざわざわとした観客の音が、テレビ越しに伝わる。
春彦の心臓が、耳の奥で鳴る。
ドクン、ドクン、と。
父も無言だ。
ただ、画面を見ている。
そして——
ざわめきが、一段と大きくなる。
「——確定です!!」
アナウンサーの声。
掲示板に、数字が——
表示された。




