43. 決意の歩み
20:02
夜の空気が少し冷たかった。
駅前の人通りは昼間より減っている。
街灯の明かりが歩道を照らし、閉店した店のシャッターが並ぶ中、春彦と正美はエレベーターの前に立っていた。
少し離れた場所には、すみれ薬局。
ついさっき照明が消えたばかりだ。
ガラス越しに見えていた明るい店内も、今は薄暗い。
春彦は薬局の入口を見つめ続けていた。
手にはジュエリーオカモトの紙袋。
持ち手の部分が少し歪んでいる。
それほど強く握り締めていた。
正美も腕を組みながら入口を見ている。
「ねえ」
「はい?」
「暗いから間違えちゃダメよ」
正美は真顔で言った。
「他の人と」
春彦は苦笑する。
「それは大丈夫っすよ……」
「本当?」
「さすがに彩子さんは分かります」
「ならいいけど」
正美は再び薬局を見る。
沈黙。
誰も出てこない。
ただ風だけが吹く。
遠くで電車の走る音が聞こえた。
時間が妙に長く感じられる。
まだ二分しか経っていないのに、十分くらい待っている気がする。
春彦の心臓はずっと落ち着かなかった。
鼓動が耳の奥で鳴っている。
すると――
自動ドアが開いた。
ガラス扉がスライドする。
「!」
春彦の肩が跳ねる。
女性が一人出てきた。
薬剤師だ。
春彦は目を凝らす。
だがすぐ首を振った。
「ち、違います」
「ん?」
「彩子さんじゃないっす」
「あら」
正美も少し残念そうに言う。
女性は足早に駅の方へ歩いて行った。
再び静寂。
また待つ。
また沈黙。
風が吹く。
もうすぐ冬だ。
昼間なら何とも思わなかった気温が、夜になると少し肌寒い。
正美は腕をさすった。
「ちょっと寒くなってきたわね」
「そうっすね」
春彦の視線は薬局から離れない。
するとふと春彦が言った。
「正美さん」
「ん?」
「彩子さん出てきたら、正美さんどうするんすか?」
正美は一瞬考えた。
「え?」
「私も一緒に行った方がいい?」
「いや……」
春彦は首をかいた。
「どうするつもりなのかなと思って」
正美は笑った。
「何言ってんの」
そして春彦の肩を軽く叩く。
「あんたのことなんだから」
「はい」
「あんた一人で行きなさい」
春彦は小さく頷いた。
「そ、そうっすね……」
当たり前だ。
正美が代わりに説明する話ではない。
彩子に伝えるべきなのは、自分自身なのだから。
しかし。
それが怖い。
怖くてたまらない。
また沈黙。
なかなか彩子が出てこない。
正美が薬局を見る。
「本当に裏口とかないの?」
「いや……」
春彦は即答した。
「ここしかないはずですよ」
「そう?」
「はい」
正美は少し不安そうな顔になる。
「まさかもう帰ったとか?」
春彦も一瞬ドキッとした。
確かに。
三時間以上喋っていた。
その間、彩子が出ていた可能性は――
「いや、それは無いと思いますけど」
そう言いながらも少し不安になる。
見逃していたらどうしよう。
そんな考えが頭をよぎった時だった。
ウィーン。
自動ドアが開いた。
二人同時に顔を上げる。
「!」
薬局から女性が二人出てきた。
一人が入口に立つ。
もう一人は背を向けている。
入口側の女性は見覚えがない。
だが。
背を向けている方が鍵を取り出した。
カチャ。
カチャ。
自動ドアの電源を切る。
さらに二か所の鍵を閉める。
手慣れた動作。
閉店作業だ。
春彦は無意識に前へ身を乗り出した。
正美も見ている。
背中しか見えない。
だが。
春彦には分かった。
ジーパン。
見慣れたシルエット。
昼間デパートで見た服装。
鍵を閉め終えた女性が立ち上がる。
シャッターを閉める。
ガラガラと大きな音が響く。
そして――
こちらを向いた。
春彦の目が大きく開く。
「き、来ました……」
声が震えた。
「え?」
正美も見る。
「あの子?」
春彦は強く頷く。
「は、はい」
喉が渇く。
「間違いないっす」
そこにいたのは彩子だった。
短い前髪。
マスク姿。
相変わらず愛想のない表情。
昼間デパートで見かけた時と同じジーパン姿。
彩子は鍵をカバンに入れる。
隣の薬剤師と何か一言二言話す。
そして二人並んで歩き始めた。
向かう先は――
春彦たちのいるエレベーター。
正美の目が丸くなる。
「き、来たわよ春彦くん」
春彦は返事ができない。
心臓が暴れている。
胸の内側から飛び出しそうだ。
手のひらは汗でびっしょりだった。
「は、はい……」
声がかすれる。
彩子たちは歩いてくる。
どんどん近づいてくる。
十五メートル。
十メートル。
近づくたびに春彦の呼吸が浅くなる。
紙袋を握る手が震える。
正美はそんな春彦を見て、小さく笑った。
そして背中を軽く押す。
「さ」
春彦を見る。
「頑張って」
春彦は何も言えない。
ただ前を見る。
彩子がいる。
目の前にいる。
逃げたら終わる。
ここまで来た意味がなくなる。
彩子ともう一人の薬剤師がさらに近づく。
もう数メートル。
声をかけられる距離だ。
春彦は大きく息を吸った。
そして――
ゆっくりと歩き出した。
彩子の前へ。
自分の気持ちと向き合うために。
自分の誤解を解くために。
春彦は一歩、また一歩と進んでいく。
彩子の前に立つために。




