42. 動き出す夜
ファミレス 19:45
窓の外は、もう完全に夜だった。
人通りの多かった駅前も、仕事帰りの人々が足早に通り過ぎる時間帯になっている。
ファミレスの窓際席。
春彦と正美は、15時から続いている終着点を待っていた。
テーブルの上には、戦いの痕跡のように皿が並んでいる。
正美の前には食べ終わったパンケーキの皿。
春彦の前には空になったフライドポテトの皿。
ドリンクバーのグラスも何杯目か分からない。
二人とも、さすがに腹がちゃぷんちゃぷんだった。
正美はストローをくわえながら窓の外を見た。
「はぁー……」
大きく息を吐く。
「流石に話すことなくなってきたわね」
春彦も苦笑した。
「そ、そうっすね……」
実際、この三時間以上。
正美はほとんど休むことなく喋り続けていた。
彩子の話。
卓馬の話。
恋愛の話。
バイト先の話。
昔好きだった男の話。
失恋した話。
そしてまた卓馬の話。
よくもこんなに恋バナが出てくるものだと春彦は感心していた。
「もう私の恋愛遍歴全部話した気がする」
「そうっすね……」
「聞き役上手いわね春彦くん」
「いや、ほとんど正美さんが喋ってましたし」
「そう?」
「はい」
正美はケラケラ笑った。
その笑顔は、本当に幸せそうだった。
卓馬と付き合ってからというもの、正美は以前にも増して明るくなった気がする。
恋人がいる人間の余裕なのだろうか。
ふと正美が言った。
「もうすぐ閉店ね」
春彦は窓の外を見る。
すみれ薬局。
明るい店内。
まだ最後の客が一人残っている。
その光景を見た瞬間。
春彦の心臓が少し速くなる。
いよいよだ。
本当にいよいよだ。
正美はそんな春彦の様子を見ながら言った。
「今日はおごってあげるから」
「ええ?」
春彦は目を丸くした。
「悪いっすよ」
「何がよ」
「いやいや……」
正美は呆れたように笑う。
「あんた大枚はたいて指輪買ったんでしょ?」
「は、はい……」
「今ほぼ文無しでしょ?」
「まぁ……」
「だったら遠慮しなくていいのよ」
春彦は少し気まずそうに頭を下げた。
「ありがとうございます……」
「よろしい」
正美は満足そうに頷いた。
少し沈黙。
店内には食器の音が響いている。
その時。
正美が急に真面目な顔になった。
「あんたさ」
「はい?」
「あんた何て説明するか考えてるの?」
春彦の動きが止まる。
「い、いや……」
「ん?」
「それは……」
正美は眉をひそめた。
「まさか」
嫌な予感がした。
「ノープランなの?」
春彦は目を逸らした。
正美は両手で顔を覆った。
「うわぁ……」
「だ、大丈夫っす」
「大丈夫って、あんた……」
小声でツッコむ。
「ずっと張り込んでたのに?」
「いや、その……」
「何してたのよもう」
正美は笑っている、
「正美さんがずっと喋ってたから……」
「え?私のせい!?」
思わず声が大きくなる。
近くの席の客がチラッと見る。
正美は慌てて小声に戻した。
「それは…ごめん…」
正美は少しだけ気まずそうな顔になる。
「でも少しは考えなさいよ」
春彦は苦笑する。
確かにその通りだった。
だが。
本当にその通りなのだ。
今日は午前中から色んなことが起きすぎた。
指輪を買って。
彩子に見られて。
誤解されて。
落ち込んで。
正美に励まされて。
気が付けば夜だった。
「な、なんとかします」
正美は半目になった。
「それ一番危ないやつ」
「そうっすか?」
「そうよ」
正美はストローを指で回しながら言った。
「いい?」
「はい」
「とにかく誤解を解くの」
「はい」
「失敗したらどうしようとか」
「はい」
「嫌われたらどうしようとか」
「はい」
「そんなの考えなくていい」
春彦は静かに聞いている。
正美は続けた。
「だって今のままでも状況最悪なんだから」
「ぐっ……」
「だったら言うしかないでしょ」
「そうっすね……」
「ちゃんと説明する」
「はい」
「それだけ」
正美はそう言ってダイエットコーラを飲んだ。
春彦もオレンジジュースを一口飲む。
甘い。
だが緊張で味がよく分からない。
ふと時計を見る。
19:53。
あと数分。
それだけで胃が縮み上がる。
窓の向こう。
すみれ薬局。
最後の客がレジで会計をしている。
春彦は無意識に紙袋を握った。
ジュエリーオカモト。
そのロゴが入った紙袋。
中には十六万円。
自分の全財産を使って買ったペアリング。
彩子のための指輪。
指先が少し震えていた。
やがて。
薬局の自動ドアが開く。
最後の客が出てきた。
春彦は息を止める。
客が立ち去る。
そして――
すみれ薬局の看板照明が消えた。
パッ。
駅前の景色が少し暗くなる。
正美が立ち上がった。
「ちょっと」
春彦を見る。
「行くわよ」
心臓が跳ねる。
「は、はい」
春彦も立ち上がった。
膝が少し震える。
紙袋を握る。
中には指輪。
重い。
たった指輪二つなのに、信じられないくらい重く感じる。
正美は伝票を持ってレジへ向かう。
「あ、正美さん」
「いいから」
「でも」
「今日はお姉さんに奢られなさい」
春彦は頭を下げた。
「ありがとうございます」
正美はニヤリと笑った。
「成功したら今度返しなさい」
「はい」
会計を済ませる。
店を出る。
夜風が頬を撫でる。
その瞬間。
向かいに見えるすみれ薬局の店内が――
一斉に暗くなった。
照明が消える。
営業終了。
春彦の喉が鳴る。
ゴクリ。
ついに来た。
15時から待ち続けた瞬間が。
彩子が。
出てくる。
春彦は紙袋を強く握り締めた。




