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願いが一つだけ叶うノートを手にした僕は、あのツンツンした薬剤師に使うべきか迷っている  作者: 播磨 颯太


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37. すれ違いの余韻

デパート ジュエリーオカモト


彩子と目が合った。


ほんの一瞬だった。


だが春彦には、その一瞬が何秒にも何分にも感じられた。


マスク越しでも分かる。


あれは間違いなく彩子だった。


彩子も春彦だと気づいていた。


だが――。


彩子は何も言わない。


表情も変えない。


ただ静かに視線を逸らした。


そして隣にいた女性に何か小さく言うと、そのまま背を向けて歩き出した。


人混みの向こうへ。


どんどん遠ざかっていく。


春彦は立ち尽くしていた。


紙袋を持ったまま。


指一本動かせなかった。


最悪だ。


頭の中にその言葉しか浮かばない。


せっかく買った指輪。


せっかく勇気を出した告白の準備。


その全てが一瞬で吹き飛んだ気がした。


「……春彦くん?」


正美が不思議そうに顔を覗き込む。


「どうしたの?」


反応がない。


春彦は呆然としたまま向こうを見ている。


「春彦くん?」


「……最悪っす」


「え?」


正美が首を傾げる。


「何が?」


春彦は乾いた唇を舐めた。


そして小さく言った。


「彩子さんがいたっす」


「え?」


正美の目が丸くなる。


「マジで?」


春彦は力なくうなずく。


「いました」


「どこどこ?」


正美が慌てて辺りを見回す。


だがもう遅い。


彩子の姿は人混みに消えている。


「もう行きました」


「ええっ?」


正美は驚いている。


春彦は天井を見上げた。


ため息が漏れる。


「見られたっす」


「見られた?」


「はい」


「何を?」


春彦は言いにくそうに言った。


「正美さんと腕組んで、紙袋渡されてるところを……」


「えーーーーっ!?」


正美が思わず大声を上げる。


近くの店員が一瞬こちらを見る。


「嘘でしょ!?」


「本当っす」


「本当に彩子ちゃんだったの?」


「間違いないっす」


春彦は即答した。


それだけは断言できる。


彩子を見間違うはずがない。


毎日のように薬局を覗いていた。


エレベーターで会った時のことも覚えている。


あの目つき。


あの雰囲気。


絶対に彩子だった。


「で?」


正美が聞く。


「彩子ちゃんどうしたの?」


春彦は少し間を置いて答えた。


「オレと目が合って……」


「うん」


「それで行ってしまいました」


「うわぁ……」


正美が頭を抱える。


「やっちゃったね……」


春彦は苦笑した。


笑うしかなかった。


「ごめん春彦くん……」


「いや」


春彦は首を振る。


「正美さんは悪くないっす」


「でも……」


「運が悪かっただけっす」


そう言ったものの。


胸の奥は重かった。


ズシリと沈んでいた。


ショーケースの向こうでは店員が心配そうにこちらを見ている。


さっきまで幸せそうなカップルだと思っていた二人が、急にお通夜みたいな空気になったのだから無理もない。


春彦は紙袋を握り直した。


「とりあえず行きましょう」


「う、うん……」


二人は店を出た。


⸻


デパートの通路。


人々が行き交っている。


楽しそうな家族。


恋人同士。


買い物袋を持った人たち。


その中を春彦と正美は歩いていた。


重たい空気をまといながら。


「大丈夫?」


正美が聞く。


「彩子ちゃんまだいるんじゃないの?」


春彦は首を振った。


「あっち行ったんで……」


「そっか……」


正美は申し訳なさそうだった。


「ごめんね春彦くん」


「だから大丈夫っすよ」


春彦は苦笑する。


「正美さんが悪いわけじゃないっすから」


「でもさぁ……」


「それに」


春彦は少し視線を落とした。


「別に彩子さんはオレのこと好きだったわけでもないですし……」


自分に言い聞かせるように言う春彦。


その言葉に正美は何も返せなかった。


数秒の沈黙。


二人の靴音だけが響く。


やがて正美が口を開いた。


「でもさ」


「はい」


「せっかく告白するつもりで指輪まで買ったのに……」


春彦は答えなかった。


答えられなかった。


紙袋の中には十六万円の指輪が入っている。


自分の貯金を全部使った。


彩子に渡すために。


なのに。


その本人に最悪のタイミングで見られてしまった。


沈黙。


重い空気。


二人はエスカレーターの横を通り過ぎる。


人混みのざわめきが遠く感じる。


「わ、分かんないよ?」


正美が無理やり明るい声を出す。


「お姉さんと買い物来てたと思ってるかもしれないし!」


春彦は曖昧に笑った。


だが。


頭の中にはあの場面が蘇る。


『幸せになろうね!』


そう言いながら腕を組んだ正美。


そしてその瞬間に現れた彩子。


どう考えても姉と弟ではない。


「そうっすね……」


春彦はそう言った。


正美を気遣うように。


本当はそう思っていないのに。


正美もそれを分かっていた。


だから何も言えなかった。


また沈黙。


二人は並んで歩く。


長い通路。


ガラス張りの窓。


遠くに見える吹き抜け。


重い空気だけが続く。


そして。


正美がふと口を開いた。


「ねえ?」


春彦は顔を向ける。


「はい?」


正美は少し真面目な顔をしていた。


「アンタさ」


「はい」


「あのノート」


春彦が反応する。


「ノートっすか?」


「そう」


正美がうなずく。


「どう使うつもりだったの?」


春彦は少し考えた。


そして正直に答える。


「オレ……」


紙袋を見つめる。


その中にある指輪を思い浮かべる。


「彩子さんが告白にOKするって書こうと思ってました」


正美は黙って聞いている。


春彦は続ける。


「それで指輪渡して……」


そこまで言って口を閉じた。


今となっては。


仮に彩子がOKしたとしても。


今日の出来事は消えない。


気まずさも。


誤解も。


全部残る。


春彦はため息をついた。


正美は少し考え込む。


そして――。


「じゃあさ」


そう言った。


春彦は顔を上げる。


正美は何かを思いついたような顔をしていた。

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