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願いが一つだけ叶うノートを手にした僕は、あのツンツンした薬剤師に使うべきか迷っている  作者: 播磨 颯太


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29. 恐れていた現実

春彦の部屋 17:30


カーテンの隙間から差し込む夕方の光が、机の上のノートを照らしていた。


春彦は椅子に座り、じっとページを見つめている。


指でなぞるように、これまでの願いを一つずつ追っていく。


「……」


レストランの女(のぞみ)——雨が止む。

レストランの男(ゆう)——世界平和。

母——森下満塁ホームラン。

父——アライグマラクーン1着。

大原——からあげクン。

堀田——奈津子と付き合いたい。

正美——卓馬がデートをOKする。


どれも——


文字は黒い。


そして、すべて叶っている。


だが——


ページの端にある、その一文だけ。


“彩子が大原を好きになる”


それだけが、赤い。


「……これだ」


春彦の喉が、ゴクリと鳴る。


あの瞬間がフラッシュバックする。


彩子の叫び。


物を投げつける姿。


あれは“好き”の反応じゃない。


——真逆だ。


「中嶋……赤鉛筆……」


あの時、耳に挟んでいた赤鉛筆。


それで、あいつは書いた。


「赤で書いた願いは、逆になる……」


確信が、背筋を走る。


もし——


もしあれが黒いボールペンだったら。


「……」


想像した瞬間、ぞっとした。


彩子が、大原に飛びついていたかもしれない。


「危なかった……」


思わず呟く。


今日の出来事は、紙一重だった。


大原は逮捕された。


もう脅威ではない。


——はずだ。


だが。


「……」


春彦の胸に、重い不安が残る。


(彩子……)


あの後、どうなったのか。


辞めていないのか。


怪我はないのか。


何も分からない。


(連絡先も知らない……)


当たり前だ。


ただの客と薬剤師。


それ以上でも、それ以下でもない。


春彦はノートを閉じる。


「……明日、行くしかないか」


ぽつりと呟いた。


⸻


翌日 すみれ薬局の前


朝の光が白く照り返す中、春彦は立っていた。


ガラス越しに中を覗く。


「……」


いない。


白衣のスタッフはいる。


患者もいる。


だが——


彩子の姿がない。


胸がざわつく。


(まさか……)


考えたくない想像が、頭をよぎる。


「……」


春彦は意を決して自動扉の前に出る。


チリン、と音が鳴り扉が開く。


昨日と同じように、棚から経口補水液を手に取る。


カウンターへ向かう。


ちらりと調剤室を覗く。


——いない。


どこにも。


「……」


カウンターに立つ女性薬剤師が、春彦に気づく。


「あ……昨日の」


少し表情が柔らぐ。


「昨日は本当にありがとうございました」


深く頭を下げる。


春彦はぎこちなく返す。


「いえ……」


そして——


言いづらそうに、口を開く。


「あの……薬剤師さんは……?」


一瞬の間。


女性薬剤師の表情が、少し曇る。


「……あの子は」


小さく息をつく。


「当分、お休みすることになりました」


——ドンッ。


胸の奥に、鈍い衝撃が走る。


視界がぐらりと揺れる。


「……え……」


声が、出ない。


(休み……?)


(当分……?)


(それって……)


「……」


春彦は何も言えないまま、会計を済ませる。


手に渡された経口補水液が、やけに重い。


ふらふらと店を出る。


外の空気が、妙に遠い。


「……オレのせいだ……」


ぽつりと、言葉がこぼれる。


「……このノートがなければ……」


あのノートを見せなければ。


大原に知られなければ。


こんなことには——


「……くそっ」


拳を握る。


だが、何も変わらない。


春彦はトボトボと歩き出す。


⸻


海の見えるレストラン 夕方


制服に着替え、タイムカードを押す。


ガチャン、という音がやけに響く。


ホールに出ると——


オーナーと正美がいた。


まだ客はいない。


静かな店内。


「お、来たか」


オーナーが軽く手を挙げる。


正美が振り向く。


「あれ?春彦くん」


じっと顔を見る。


「なんか元気なくない?」


その一言に、春彦は少しだけ目を逸らす。


「……まぁ……」


曖昧に笑う。


だが、正美は気にしていない様子で、すぐに表情を明るくする。


「ねえ聞いてよ!」


ぐいっと近づいてくる。


「昨日さ、卓馬とね——」


そのまま、堰を切ったように話し出す。


「ファミレスのあとさ、ちょっと海の方歩いたんだよね!」


「そしたらさ、あいつ意外とロマンチストでさ〜!」


身振り手振りを交えて続ける。


「“夜の海っていいっすね”とか言ってんの!笑うでしょ?」


「でさでさ、そのあとコンビニ寄って、アイス買ってさ!」


「なんかさ、普通なんだけど、それが逆に良くてさ〜」


くるくる変わる表情。


完全に浮かれている。


「で、今日もLINE来てさ、“また会いたいっす”って!」


「もうさ、完全に落ちてるよねあれ!」


ケラケラ笑う正美。


春彦は——


「……へえ……」


上の空で相槌を打つ。


頭には、別のことしかない。


(彩子……)


(休みって……どれくらいだ……?)


「ねえ聞いてる?」


「……あ、はい」


正美がじっと見る。


「もう、あんたのおかげなんだよ?」


「……え?」


「卓馬と付き合えたの」


ニヤッと笑う。


「感謝してるからね?」


「……いえ……」


だが、春彦の反応は鈍い。


それを見て、正美の表情が少し変わる。


「……ねえ」


トーンが落ちる。


「どうしたの?ほんとに」


春彦が、ハッとする。


視線が揺れる。


(……言うか……?)


迷い。


だが——


正美は、昨日あれだけ自分のことを話してくれた。


(……この人なら……)


ゆっくりと息を吸う。


そして——


春彦は、重い口を開いた。

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