28.暴走の結末
すみれ薬局 11:30
「いやーーーっ!!」
彩子の叫びは、ただの悲鳴ではなかった。
恐怖と嫌悪が混ざり合った、喉が裂けるほどの拒絶。
次の瞬間——
カウンターの上にあったものが、手当たり次第に宙を舞った。
「来ないで!!来ないで!!」
ガンッ!
パシッ!
プラスチックのケース、ボールペン、書類、トレー——
「お、おい!ちょっと待てって!」
大原は慌てて身をよじりながら避ける。
「オレだって!彩子!大原だって!」
しかし、その声は届かない。
「出て行って!!!」
彩子は完全に取り乱していた。
呼吸は荒く、目は見開かれ、指は震えながらも次の物を掴んで投げつける。
待合の椅子に座っていた老人たちは、ざわざわと騒ぎ始める。
「な、なんやあれ…」
「大丈夫なんか…」
騒ぎは奥の調剤室にも響く。
バタン、と扉が開き、白衣の薬剤師たちが飛び出してくる。
「彩子さん!?どうしたの!?」
女性薬剤師が駆け寄る。
彩子はその腕を掴み、震える指で大原を指差す。
「あいつが…!あいつがまた来た!!」
その一言で空気が凍る。
もう一人の女性薬剤師が、即座にスマホを取り出す。
「警察呼びます!」
そのやり取りの最中——
大原は、まるで状況を理解していなかった。
むしろ、確信している顔だった。
「おいおい、なんだよ照れてんのか?」
両手を広げ、ゆっくりと歩み寄る。
「大丈夫だって、オレだよ、彩子」
——狂っている。
春彦は外からそれを見ていた。
(なんでだよ…なんでこうなる…!)
足に力が入らない。
さっき突き飛ばされた衝撃がまだ残っている。
だが、視線の先で——
大原が、じりじりと距離を詰めていく。
彩子と、それを支える薬剤師の顔が、明らかに恐怖に染まっている。
(……ダメだ)
(このままだと——)
春彦は、歯を食いしばった。
立ち上がる。
「やめろ!!」
自動扉が開き、店内に飛び込む。
そのまま背後から、大原に飛びつく。
「何してんだよお前!!」
「うるせえ!どけ!!」
ドゴッ——!
鋭い肘打ちが、春彦の脇腹に突き刺さる。
「ぐっ…!」
息が詰まる。
それでも離さない。
「奥行って!!」
春彦は叫ぶ。
「早く!!」
彩子と女性薬剤師は、はっとして動く。
バタバタと調剤室へ駆け込み、ドアを閉める。
ガチャッ——鍵の音。
店内は騒然。
「警察まだか!?」
「誰か止めろや!」
しかし誰も動けない。
大原は暴れ続ける。
「どけよ!邪魔すんなって!!」
もはや、止めに入っているのが春彦ということも気づいていない。
バンッ!バンッ!
春彦の体に、何度も衝撃が走る。
(くそ…!)
その時——
「警察です!!」
入口から二人の警察官が飛び込んできた。
一瞬で状況を把握し、大原に向かう。
「動くな!」
「うるせえ!!」
だが——
次の瞬間には、完全に制圧されていた。
床に押さえつけられ、腕を取られる。
「放せ!放せって!!」
「落ち着けって!」
大原はなおも叫ぶ。
「彩子はオレのことが好きなんだって!!」
その声が、空しく店内に響く。
春彦は床に膝をつき、息を荒げていた。
警察官が近づく。
「大丈夫ですか?」
「……なんとか…」
かすれた声で答える。
大原はその場で現行犯逮捕。
「暴行の疑いで逮捕します」
「は!?なんでだよ!!」
手錠がかけられる。
連れて行かれる際も、なお叫ぶ。
「なんでだよ…!なんでだ…!!」
その声が遠ざかっていく。
やがて、静寂。
——しばらくして。
調剤室のドアがゆっくり開く。
彩子が出てくる。
まだ震えている。
警察官が事情を聞く。
女性薬剤師も補足する。
春彦の元にも、別の薬剤師が来る。
「大丈夫ですか?」
「はい…大丈夫です」
そう答えるしかなかった。
⸻
春彦の家 17:00
玄関のドアが閉まる音が、やけに重く響いた。
靴を脱ぎ、部屋に入る。
どっと疲れが押し寄せる。
ベッドに腰を落とす。
(……終わった)
警察での事情聴取。
長かった。
だが——
大原のことは、もうどうでもよかった。
(あれだけ止めたんだ)
(ああなるのは、自業自得だろ…)
問題は、そこじゃない。
春彦の視線が宙をさまよう。
(もし……)
(もし、この件で彩子が辞めたら……?)
胸が締め付けられる。
(それだけは……絶対に嫌だ)
そして——
もう一つ。
どうしても理解できないこと。
「……なんでだよ」
呟きが漏れる。
(“彩子が大原を好きになる”)
(確かに書いたはずだ)
しかも——
中嶋にとっては初めての願い。
条件は満たしている。
時間も、4時間以内だった。
なのに——
結果は、あれだ。
完全な拒絶。
(ありえないだろ……)
嬉しかった。
正直、心底ほっとした。
だが同時に——
(これじゃ使えない)
(同じことが起きたら……終わりだ)
春彦はゆっくりとカバンに手を伸ばす。
ノートを取り出す。
ページをめくる。
何度も、何度も見返す。
正美の願い。
堀田の願い。
そして——
中嶋の書いた一文。
「……」
その文字を見つめた瞬間。
春彦の目が、見開かれる。
「……あ」
呼吸が止まる。
「……もしかして……そういうことか……!」
決定的な違い。
それに気づいた瞬間、背筋に電流が走った。




