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願いが一つだけ叶うノートを手にした僕は、あのツンツンした薬剤師に使うべきか迷っている  作者: 播磨 颯太


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25.覚えていた彩子

朝の光がまだ柔らかく街に差し込む時間――午前九時。

すみれ薬局の前に、春彦は立っていた。


スーツ姿のサラリーマン、診察帰りの老人、子どもを連れた母親。

人の流れは絶えず、薬局の自動ドアはひっきりなしに開閉を繰り返している。


その中で、春彦だけが動かない。


「……やるしかない」


昨夜、一睡もできなかった。

ベッドの上で何度も何度も繰り返したシミュレーション。

言葉の順番、視線の動き、タイミング――


すべてを、頭に叩き込んできた。


だが――


「……いるか?」


ガラス越しに中を覗く。


カウンターの向こう、調剤室の奥。

白衣の人影はあるが――


「……いない?」


一瞬、胸が締め付けられる。


「休み……?」


その可能性が頭をよぎる。


だが、春彦はその場を離れない。

むしろ、ガラスに近づく。


次々と処方箋を持った患者が入っていく。

列ができ、カウンターは慌ただしくなる。


春彦はじっと見続ける。


――その時だった。


奥の調剤室から、一人の女性が出てくる。


短い前髪。白衣。マスク。

無駄のない動き。


彩子。


「……っ」


心臓が一気に跳ね上がる。


喉が渇く。

手のひらがじっとりと汗ばむ。


「いた……」


だが――


春彦は動けない。


カウンター前にはまだ列。

今入っても、別の薬剤師に対応される可能性が高い。


「……まだだ」


歯を食いしばる。


やがて列は短くなり、

立っていた患者たちは椅子に座り始める。


カウンターには――


彩子、ひとり。


他の薬剤師は奥で調剤中。


「……今だ」


春彦は一度深呼吸し、

意を決して自動ドアをくぐった。


軽い電子音。

冷たい空気。


だが、彩子はまだ気づいていない。


パソコンに視線を落としたまま。


春彦は足音を殺しながら、店内の端へ向かう。

そこにあるのは――わずかな市販品コーナー。


経口補水液。

サプリメント。

ほんの申し訳程度の棚。


春彦は手早く一本、経口補水液を手に取る。


「……これでいい」


心臓の音がうるさい。


カウンターを見る。


彩子がいる。


目の前にいる。


「……いくぞ」


一歩、また一歩と近づく。


そして――


「す、すいません」


声がわずかに裏返る。


彩子が顔を上げる。


その視線が、春彦を捉える。


「はい」


落ち着いた声。


そして、こちらへ歩いてくる。


「処方箋とお薬手帳をお願いします」


「い、いえ……今日はこれだけで……」


春彦は慌てて経口補水液をカウンターに置く。


「はーい」


淡々とした返事。


ピッ、とバーコードを読み取る音。


「200円です」


その一連の動きは、無駄がなく、冷静で――


いつも通りの彩子だった。


(……今は、いい)


春彦は心の中で自分に言い聞かせる。


(今日は話しかけない……覚えてもらうだけでいい……)


財布から200円を取り出し、トレーに置く。


その瞬間――


「あ……」


彩子の声が、ほんの少し変わった。


春彦は顔を上げる。


彩子が、じっとこちらを見ている。


「……?」


「この間は……ありがとうございました」


少しぎこちない言い方。

だが、確かに――


春彦に向けて言われた言葉。


「……え?」


一瞬、思考が止まる。


「え……?」


何が起きたのか分からない。


だが、次の瞬間――理解する。


(……覚えてる?)


あの日。

クレーマーの老人に絡まれていた彩子。


その場にいた自分。


(嘘だろ……)


胸の奥が一気に熱くなる。


(彩子が……オレを……?)


「……あ、いえ……」


言葉が出てこない。


顔が引きつる。


心臓が暴れる。


彩子は200円を受け取り、商品を差し出す。


その動作は変わらない。


だが――


視線は、ずっと春彦に向けられている。


「……もしもし?」


「っ、あ、はい!」


ハッと我に返る。


「ありがとうございました!」


「お大事に」


彩子はそう言って、再びカウンターの奥へ戻っていく。


ほんの数秒のやり取り。


だが――


世界が変わった。


春彦は呆然と立ち尽くす。


(覚えてた……)


(オレのこと……)


信じられない。


夢みたいだ。


ゆっくりと出口へ向かう。


背中越しに、彩子の気配を感じる。


振り返らない。

振り返れない。


それでもいい。


一歩、確実に近づいた。


外に出る。


朝の空気がやけに軽い。


春彦は手に持った経口補水液を見る。


キャップを開ける。


一口飲む。


「……彩子の味……」


自分でもバカみたいだと思う。

だが止まらない。


胸がいっぱいになる。


「……好きだ」


小さく呟く。


「絶対に、付き合う」


拳を握る。


その決意は、もう揺らがない。


だが――


カバンからノートを取り出し、ページをめくる。


「……っ」


手が止まる。


「……14枚?」


減っている。


確実に、減っている。


「……もう余裕はない」


喉が乾く。


「でも……まだ、決まってない……」


最適な願いの書き方。


失敗できない一回。


その時――


スマホが震える。


画面を見る。


大原。


メッセージ。


『今日は休みか?』


春彦は少し考え、返信する。


『今から行く』


すぐに既読。


『早く来いよ。相談したいことがある』


嫌な予感。


『何?』


間を置かず返信。


『彩子のこと』


「……っ」


背筋がゾクッとする。


(こいつ……)


(この前、警察に連れてかれたのに……)


(まだ……?)


不安が胸に広がる。


春彦は歩き出す。


駅へ向かって。


手には――


彩子から受け取った経口補水液を、大事に握りしめたまま。

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