23. 4時間の外側
春彦の部屋。
薄暗い室内に、スマホの画面の光だけが浮かび上がっている。
時計は1:40を指していた。
耳元のスマホから、正美の声が弾む。
『ねえ春彦くん、びっくりするわよ』
その一言に、春彦の心臓が跳ね上がる。
「……早く教えてください」
思わず前のめりになる。
あの後、柱の陰から見ていた光景――正美と卓馬が並んで歩いていく背中。そこまでは知っている。
だが、その先が知りたい。
『あの後ね――卓馬、普通にご飯OKしたのよ』
「えっ……マジっすか?」
わざとらしく驚く。
本当は見ていた。だが、知らないふりをする。
『でしょ!?私もびっくりしたんだから』
正美の声には、まだ興奮が残っている。
『そのまま近くのファミレス行ってさ』
「それで……どうなったんすか?」
食い入るように聞く春彦。
『22時くらいに入ってね、ずーっと喋ってた』
「どんな話を?」
『なんでそんなことあんたに言わなきゃいけないのよ』
そう言いながらも、正美は喋りたくてたまらない。
『最初はさ、普通にバイトの話とか。卓馬の大学の話とかね』
春彦は無言で頷く。
『で、祥子と健司の話になってさ。あの二人付き合ってるよねって話。卓馬もそう思ってるって言ってた』
「へえ……」
『そっからさ、自然と男女の話になってきて』
一拍。
『……で、私が攻めた』
春彦の喉が鳴る。
「……どうやって?」
『まず聞いたのよ。彼女いるの?って』
「……で?」
『いないって。フリーだって』
その言葉に、春彦の胸が高鳴る。
『チャンスだと思ったわよね、そりゃ』
正美の声が少し低くなる。
『だから私も言ったの。私もフリーだよって』
「……」
『そしたらね、ちょっと間が空いたのよ』
静かな空気が、電話越しにも伝わる。
『で、私言ったの。前から気になってたって』
「……卓馬さんは?」
『ちょっと驚いた顔してた。で、“そうなんすか”って』
春彦は息を飲む。
『でさ、聞いたの。“彼女欲しい?”って』
「……」
『“欲しいっすけど…”ってさ』
「……」
『だから言ってやったのよ』
一拍置いて――
『もしあんたさえ良ければ、私と付き合ってよって』
春彦の鼓動が一気に速くなる。
「……それで?」
声が少し震える。
『最初ね、すぐには答えなかったの。ちょっと迷ってる感じ』
「……」
『だから、押した』
正美の声に熱がこもる。
『目見てさ。“私あんたに尽くすから”って』
沈黙。
数秒の間が、やけに長く感じる。
『そしたらね』
正美の声が少し柔らかくなる。
『“オレでいいんすか?”って言ったのよ』
春彦の目が見開かれる。
「……ってことは……?」
一瞬の間。
そして――
『そう。付き合うことになったの!』
その瞬間。
ズンッ……!!
春彦の中に衝撃が走る。
「……マジっすか……!」
思わず声が上ずる。
「おめでとうございます、正美さん……!」
『ありがと』
素直に喜ぶ声。
だが――
次の瞬間、春彦の中で何かが引っかかる。
(……待て)
「……正美さん」
『ん?』
「それ……何時くらいっすか?」
『え?』
「デート……何時までしてたんすか?」
少しの沈黙。
『ついさっきよ。1時は確実に過ぎてた』
その言葉が、頭の中で反響する。
1時を過ぎていた。
(……ノートは21時)
(……4時間後は……1時)
(……効力は……切れてるはずだ)
なのに――
デートは続いていた。
春彦の背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
(なんでだ……?)
『ちょっと、春彦くん?聞いてる?』
ハッと我に返る。
「……あ、はい」
『だからさ、あんたが今日誘えって押してくれたおかげよ。ありがとね』
軽い声。
そこには、ノートの存在は一切ない。
正美にとっては、ただ自分の行動の結果。
「……いえ、本当に良かったっす」
改めて祝福する。
『じゃあもう遅いし切るね』
「はい、お疲れさまでした」
通話が切れる。
――静寂。
時計を見る。
2:00を過ぎている。
ベッドの上で、春彦は天井を見つめる。
(……おかしい)
(なんで4時間過ぎても……)
(デートが……続いてた?)
答えが出ない。
ゆっくりと起き上がる。
カバンから、あのノートを取り出す。
ページをめくる。
そこにある――
正美の文字。
「卓馬がデートの誘いにOKする」
じっと見つめる。
そして――
その瞬間。
春彦の目が見開かれる。
「……そういうことか……!」
すべてが繋がった。




