表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いが一つだけ叶うノートを手にした僕は、あのツンツンした薬剤師に使うべきか迷っている  作者: 播磨 颯太


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/8

2.願い事ノートと満塁ホームラン

21:00。


夜の空気は少し湿っていて、街灯の光がぼんやりと滲んでいた。


男は足早に家へと戻る。

ポケットの中にある“それ”の存在を、何度も無意識に確かめながら。


玄関のドアを開ける。


「……ただいま」


靴を脱ぎながら言うと、すぐにリビングから声が飛んできた。


「春彦、おかえり!」


母の声だ。


テレビの音がやけに大きい。

何かに夢中になっている時の音量だった。


リビングに入ると、案の定——


母はテレビにかじりつくようにして座っていた。


画面には、プロ野球中継。


阪神対巨人。


延長12回裏、ツーアウト満塁。


スコアは7-3で巨人リード。


「ちょっとこれ見て!すごい場面よ!」


母は振り向きもせずに言う。


「満塁よ、満塁!ここでホームラン出たら同点よ!」


画面にはバッターボックスに立つ森下。

マウンドには大勢。


スタジアムの空気が、テレビ越しにも伝わってくる。


「頼む……頼むから打ってくれ……!」


母は手を組み、祈るように呟く。


「もう……一生に一度のお願いだから……!」


その言葉に——


春彦の動きが止まった。


「……一生に一度」


小さく呟く。


そして、ゆっくりとポケットに手を入れる。


ノートを取り出す。


あの、真っさらなノート。


表紙には——“願い事を書きましょう”。


春彦は母に近づく。


「……母さん」


「なに!?今それどころじゃないわよ!」


「これに書けば……その通りになる」


一瞬、母が振り向く。


そして——


「は?」


呆れた顔。


「何バカなこと言ってんの?」


すぐにテレビへ視線を戻す。


「そんなのいいから、静かにして!」


だが春彦は引かない。


「騙されたと思ってさ、一回書いてみてよ」


「はあ?」


その時、テレビの中で森下が一度打席を外した。


間。


球場のざわめき。


母は舌打ちするように息を吐く。


「……もう、ほんとにバカバカしいわ」


そう言いながらも——


ちら、とノートを見る。


「一回だけよ?」


ペンを取る。


半信半疑のまま、ページに書く。


——森下、満塁ホームラン打て。


「じゃあ、これでいいでしょ」


雑にペンを置く。


その直後——


森下が打席に戻る。


スタンドのざわめき。


ピッチャー・大勢がセットに入る。


春彦の心臓が、どくんと鳴る。


(……まさか)


投球。


次の瞬間——


森下のバットが振り抜かれる。


鋭い音。


白球が一直線に飛んでいく。


「……え?」


レフト方向。


ぐんぐん伸びる。


スタンドが近づく。


「いけ……いけ……!」


母が立ち上がる。


そして——


入った。


レフトスタンドに、吸い込まれるように。


「入ったぁぁぁぁぁぁ!!!」


アナウンサーが絶叫する。


「満塁ホームラン!!奇跡の一発!!阪神、同点!!」


球場が爆発する。


歓声、歓声、歓声。


画面が揺れるほどの熱狂。


母は——


「うわああああああああ!!!!!」


狂ったように叫びながら飛び跳ねていた。


「やったぁぁぁ!!森下ぁぁぁ!!!!!」


春彦は、動けなかった。


背筋に、冷たいものが走る。


(……ウソだろ)


画面の中では、選手たちがホームベースで抱き合っている。


12回裏ツーアウトからの、奇跡の同点劇。


「見た!?見た!?今の!?」


母が振り返る。


目を輝かせている。


「信じられない!奇跡やでほんま!」


春彦は、ゆっくりと口を開いた。


「……このノート、すごいだろ?」


母は一瞬きょとんとして——


すぐに笑った。


「いやいや、たまたまだって!」


「そんなわけ……」


「偶然よ偶然!」


軽くあしらう。


だが、その声はどこか浮ついていた。


テレビでは、次のバッターが紹介される。


「佐藤や……!」


母が再び画面に食いつく。


「ここでホームラン出たら……逆転サヨナラよ……!」


両手を組み、祈る。


「頼む……頼むから……ホームラン……!」


その横で——


春彦の目が細くなる。


(……試せる)


頭の中で、考えが組み立てられる。


(もし……もう一回書いて……叶わなかったら)


(やっぱり……一回だけ……)


春彦はノートを差し出す。


「……母さん、もう一回書いてみてよ」


「え?」


「佐藤、ホームランって」


「さっきのがあるしなぁ……」


さっきより、明らかに乗り気だ。


ペンを取る。


少し笑いながら書く。


——佐藤、サヨナラホームラン打て。


「よし……!」


テレビに釘付けになる母。


春彦も、息を詰める。


(……ここだ)


(ここで出なければ——)


ピッチャー・大勢が振りかぶる。


全身全霊の一球。


佐藤、フルスイング——


「……っ!」


空振り。


「ストライク!バッターアウト!!」


試合終了。


スタジアムの空気が一変する。


歓声がため息に変わる。


母は、がくっと肩を落とした。


「はああああ……」


深いため息。


「なんなのよ……」


そして、ノートを指差す。


「これ、あかんやん」


春彦は、少しだけ残念そうな顔を作る。


「……そうだね」


だが——


その目の奥には、はっきりとした光が宿っていた。


(……やっぱりだ)


(最初の一回だけ……)


(書いたことが、本当になる)


確信。


ゆっくりとノートを閉じる。


「……ちょっと部屋行くわ」


「はいはい」


母はもうテレビに戻っている。


春彦はノートを手に、自分の部屋へ向かう。


ドアを閉める。


静寂。


ベッドに腰を下ろす。


ノートを膝の上に置く。


指先で、表紙をなぞる。


——“願い事を書きましょう”


「……一回だけ」


小さく呟く。


(何を書く?)


(何でも……叶うのか?)


頭の中に、様々な願いが浮かんでは消える。


金。

成功。

過去。

未来。


そして——


「……」


春彦の呼吸が、わずかに深くなる。


ノートを見つめる。


白いページが、静かに待っている。


(……何を書く?)


思考が、ゆっくりと、そして確実に——深い場所へ沈んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後までお読みいただきありがとうございました! ブクマ・ポイント評価お願いしまします!

前作もぜひお読みください!

占いの館で彼女を奪われ、異世界で王族の婚約者にされたので、僕は必ず取り戻す

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ