18.奈津子の名前が呼んだ暴力
大学通りの喧騒から少し外れた、薄暗い路地裏。昼間だというのに、建物の影が重なり合い、空気がどこか湿っている。
時刻は12時30分。
「来いよ」
リーダー格の男が顎でしゃくる。
半ば引きずられるように、堀田は路地裏へ連れて行かれた。
「ちょ、待てって……!」
足元がもつれながらも、必死に踏ん張る。
「オレ、何もしてねえって!」
だが——
「まだシラ切るのか?」
低く、怒気を含んだ声。
囲まれる。逃げ場はない。
春彦は少し離れた位置で、その様子を見ていた。足が動かない。喉が張り付いたように声も出ない。
「お前よぉ、奈津子と付き合ってるらしいじゃねえか」
別の男が吐き捨てる。
その一言で——
春彦の背中に冷たいものが走った。
(……やっぱり、あのノート……)
堀田は目を見開く。
「は!?何言ってんだよ!喋ったこともねえよ!」
必死に否定する。だが、言葉は空を切る。
「うるせぇ!」
一歩、また一歩と詰め寄る四人。
「奈津子も認めてるって話だぞ!」
怒鳴り声が路地に響く。
その言葉に——
堀田の表情が、一瞬で変わった。
「……え?」
驚愕。
そして、次の瞬間——
理解が追いついた。
(……マジか……?)
ノートに書いた。
“奈津子と付き合いたい”
——それが、現実になっている?
春彦も同じだった。
(そんな……形で……?)
自然に、ではない。
だが——“事実”として成立している。
リーダー格が、じっと堀田を睨む。
「どうなんだよ」
沈黙。
ほんの一瞬の迷い。
だが——
堀田の口元が、ゆっくりと歪んだ。
恐怖の中に、わずかな優越感が混じる。
そして、ニヤけながら口に出す。
「……まぁな」
その瞬間だった。
「てめぇ!!」
ドゴッ!!
拳が、顔面に叩き込まれる。
「ぐあっ!!」
バキッ!! ボコッ!! ドカッ!!
容赦のない暴力。
蹴りが腹に入り、膝が崩れる。そこにさらに拳が落ちる。
「調子乗ってんじゃねえぞオラァ!!」
「ふざけんなコラ!!」
音が、骨に響く。
春彦は——動けなかった。
(やばい……やばい……)
足がすくむ。頭が真っ白になる。
ただ、殴られる音だけが耳に残る。
「……お、おい!やめろよ!!」
やっと出た声は、かすれていた。
だが——止まらない。
数秒か、数分か。
感覚が曖昧になる中で、ようやく——
暴行が止んだ。
地面に転がる堀田。
ピクリとも動かない。
「ぺッ」
一人がツバを吐きかける。
「いいか、こんな目にまた遭いたくなかったらな——」
リーダー格がしゃがみ込み、顔を近づける。
「さっさと別れろ」
吐き捨てるように言い、立ち上がる。
四人はそのまま、何事もなかったかのように路地裏を出て行った。
静寂。
遠くの車の音だけが、かすかに聞こえる。
「おい……おい!大丈夫か!?」
春彦は駆け寄る。
顔を覗き込む。
腫れ上がった頬。裂けた唇。鼻血。
だが——
「……クックックッ……」
笑っていた。
「は……?」
春彦の背筋がゾクッとする。
「おい……どうしたんだよ!?気でも触れたか!?」
「……聞いたか、おい……」
かすれた声。
「何がだよ!」
堀田は、血で濡れた口元を歪めた。
「奈津子がよ……オレと付き合ってるってことになってるんだぞ……」
その目は——
狂気じみた光を宿していた。
「……聞いてただろ?」
確かに。
聞いた。
“奈津子も認めてる”
——あれは、嘘じゃない。
春彦は言葉を失う。
「おい、病院行ったほうがいいぞ……マジで」
「はぁ?そんなの後だ」
即答。
「それどころじゃねえ」
ゆっくりと立ち上がる堀田。足元がふらつく。
それでも——
「今から大学戻るぞ」
「……は?」
「奈津子探すんだよ」
痛みに顔を歪めながらも、笑う。
「オレと付き合ってるって言ってんだろ?確かめに行くんだよ」
(……こいつ……)
春彦は、背筋が冷えた。
その執念。
その歪んだ喜び。
——まともじゃない。
堀田はヨロヨロと歩き出す。
春彦も後を追う。
ふと、腕時計を見る。
12時45分。
(あと……30分……)
ノートの効力が切れるまで。
——その先、どうなる?
大学通り。
学生たちの視線が、一斉に堀田に集まる。
「うわ……」
「何あれ……」
ざわめき。
腫れた顔、血の跡。
異様な姿。
それでも堀田は気にしない。
まっすぐ、校門へ。
建物に入り、教室を覗く。
「いねぇ……」
次。
また次。
「どこだよ……」
焦りが滲む。
「お前、奈津子と話したことあんのか?」
春彦が問う。
「ねえよ」
即答。
「でも関係ねえ」
ニヤリと笑う。
「奈津子はオレと付き合ってるんだよ」
その言葉に、寒気が走る。
三つ目の教室。
ガラリ、とドアを開ける。
そこに——
いた。
奈津子。
休憩時間。
友人たちと談笑している。
だが——
堀田が入った瞬間。
空気が凍る。
ざわっ——
視線が集まる。
誰かが息を呑む。
奈津子は、まだ気づいていない。
笑っている。
その横で——
友人が、気づいた。
左手で口を押さえ、右手で堀田を指差す。
その異様な反応に、奈津子が振り向く。
そして——
視線が、ぶつかる。
目が見開かれる。
そこに立っていたのは——
顔を腫らし、血を滲ませた堀田だった。




