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願いが一つだけ叶うノートを手にした僕は、あのツンツンした薬剤師に使うべきか迷っている  作者: 播磨 颯太


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13/15

13.彩子を守る男

午後三時。春彦の家のリビングには、どこか落ち着かない空気が漂っていた。


玄関のドアが開き、春彦が帰ってくる。靴を脱ぎながらも、その表情は晴れない。頭の中にあるのは、ただ一つ——大原の存在だった。


(あいつ、本気だ…)


ソファに腰を落とし、天井を見上げる。


(何度でも行くつもりなのか?もし…万が一、彩子が折れたら?いや、それはない。でも…もし逆に、しつこすぎて警察沙汰になったら…)


胸の奥がざわつく。


(最悪だ。どっちに転んでも最悪だ)


春彦は両手で顔を覆った。


(止めないといけない。でも、どうやって?)


彩子に直接伝える?——無理だ。自分もただの客に過ぎない。むしろ警戒されるだけだ。


考えが堂々巡りする。


そのときだった。


ふと、テーブルの上に一枚の紙が目に入る。


「……処方箋?」


春彦はそれを手に取る。名前を見ると、母のものだ。


「母さん!」


キッチンの方へ声をかけると、母がひょっこり顔を出す。


「なに?」


「これ、どうしたの?」


「ああ、それね。今日ちょっと腰が痛くて整形外科行ったのよ。湿布もらったんだけど、薬局が混んでてさ。面倒くさくなって帰ってきたの」


その言葉を聞いた瞬間——


春彦の中で、何かが繋がった。


(……これだ)


「オレ、行ってこようか?」


母は少し驚いた顔をする。


「え、いいの?助かるけど」


「うん、どうせ暇だし」


「ありがと〜。ほんとあそこいつも混んでるから嫌でね」


春彦は軽く頷くと、処方箋を手に取った。


だがその胸の内は、静かに燃えていた。


(これで…中に入れる)


——すみれ薬局。


彩子がいる場所。


そして、大原が再び現れるかもしれない場所。


春彦は靴を履き、家を出る。


外の空気は少し湿っていて、空はどんよりとしている。だが春彦の足取りは速かった。


(彩子…まだいるよな)


あの男に、また絡まれていないか。


胸の奥に、得体の知れない焦燥が広がる。


やがて、見慣れた薬局の建物が視界に入る。


春彦は足を止め、ガラス越しに中を覗き込む。


——いた。


カウンターの中で、パソコンに向かう彩子の姿。


白衣、短い前髪、マスク、そしてあの鋭い目。


それを見た瞬間、胸がドクンと大きく鳴る。


(よかった…)


春彦は静かに息を吐き、ドアを押して中へ入った。


店内は混雑していた。


椅子はほぼ埋まり、空気は重たい。咳払い、紙の擦れる音、低い会話。静かながらもざわついている。


「処方箋お願いします」


応対したのは別の男性薬剤師だった。


春彦は内心舌打ちする。


(…違う)


だが表情には出さず、処方箋を差し出す。


「母のなんですけど、大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫ですよ」


淡々と処理され、番号札を渡される。


その間も、春彦の視線は自然と——いや、無意識に彩子へと向かっていた。


彼女は忙しそうにキーボードを叩いている。視線は画面に釘付けだ。


(…やっぱり、いいな)


自分でも理由は分からない。


愛想がいいわけでもない。むしろ逆だ。


それでも——目が離せない。


春彦は待合の椅子に腰掛ける。


番号は、まだ20人以上先。


だがそれでも構わなかった。


(いくらでも待てる)


スマホを取り出し、画面を見るふりをしながら、時折視線を上げる。


静かな空間。


テレビも音楽もない。


聞こえるのは、名前を呼ぶ声と、薬の説明だけ。


向かいの席では老人が貧乏ゆすりをしている。


時間がゆっくりと流れる。


——15分ほど経った頃だった。


その老人が、杖をついて立ち上がる。


ヨロヨロとした足取りで、カウンターへ向かう。


その先には——彩子。


「おい!」


杖の先が、まっすぐ彩子に向けられる。


店内の空気が一瞬で変わる。


視線が一斉に集まる。


彩子が顔を上げる。


「はい?」


老人は怒気を含んだ声で言い放つ。


「一体どれだけ待たせるんだ!」


彩子の表情が、わずかに強張る。


「順番に作ってますんで、もう少しお待ちくださいねー」


平静を装っているが、その声はほんの少しだけ揺れていた。


「もう一時間は待ってるぞ!」


「番号札お持ちですか?」


彩子が確認すると、老人は乱暴に差し出す。


「あと10人ほどですので…」


「なんでそんなにかかるんだ!」


声が大きくなる。


周囲がざわつく。


彩子は言葉を選びながら答える。


「今日は混み合ってまして…」


だが老人は聞く耳を持たない。


「ここはいつも遅すぎるんだ!」


その一言に、彩子の肩がわずかに震えた。


調剤室の中のスタッフはまだ気づいていない。


この場にいるのは——彩子一人。


空気が張り詰める。


誰も動かない。


誰も、何も言わない。


そのときだった。


——コツン。


軽く、しかし確かな音。


老人の肩に、手が置かれる。


「……ちょっと、おじいさん」


低く、抑えた声。


老人がゆっくりと振り返る。


そこに立っていたのは——


怒りを押し殺した表情の、春彦だった。

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