第六話 本音で本当のことしか言えない即興劇・4
直後、暗雲の立ち込める雨空に――目が醒めるような銃声が轟いた。
「あっははは! はーい、オッケー!」
銃声に続いて、車内に聞こえたのは、エイダンの笑い声だった。
その瞬間、ラウルがハッと身を引いてくれた。
「……あ、れっ……俺……何、やって……」
彼は怯えた顔に変わると、フラついた足取りでオレの上から立ち退き、荷室の反対側に、ドカッと座り込んだ。
オレは額の汗を拭って、長く、長く、ため息をついた。
助かった。どうやらラウルは、正気に戻ってくれたようだ。
だが、さっきエイダンが、妙なことをしなかったか?
運転席を見てみると――なぜかエイダンは、助手席に拳銃を向けている。
……は?
いや、なぜ拳銃? なぜ助手席?
何でエイダンが、助手席に、拳銃を向けているんだ?
その銃口からは、生々しく硝煙が立ち昇っている。
まさか、エイダンは助手席に向けて――引金を引いたのか?
まさかとは思ったが、そのまさかが起きたようだ。
オレたちを見物していた検問官は、ぎこちなく首を回し、エイダンに目を向けている。
「……君……一体……何、を……?」
するとエイダンは、拳銃をホルスターに戻して、力の抜けた笑みを浮かべている。
「ああ、脚本ですと、ここで主人公の味方が駆けつけて、銃声を鳴らすんですよ。一瞬、両者の動きが止まった隙に、一気に形勢逆転! 激しい乱闘の末、主人公たちは親友を取り押さえて、手錠をかけることに成功するんです!」
エイダンは軽やかに語っているが、検問官は息をすることも忘れて、まだ絶句している。
それだけじゃない。助手席にいるニーナは、エイダンの暴挙を目にして、パニックを起こしかけている。浅く、短く、過呼吸を繰り返し、今にも発作的に悲鳴をあげる寸前だ。
当然だ。当然の反応だ。
弾は幸い、誰にも当たらなかったとはいえ――エイダンが発砲した弾は、ニーナの目の前を貫通し、検問官の真横をかすめ去って、どこへともなく、林の中へと消えたとはいえ――人前で、人に向けて、銃が発砲されたんだ。
あのとき、もしも誰かが、不意に、不用意に、動いていたら。
タイミング悪く、
運の悪いことに、
仮にもしも、頭を、動かしていたらーー。
だがエイダンは、まるで本物の舞台稽古が終わったあとのように、何も気にせず労いの笑顔を振りまいている。
「なあ! 今のシーンはやっぱり、皆んなで時間をかけて練習した甲斐があったなあ! あっははははははは!」
最悪だ。最悪だ。やり直しが一切きかない「現実」という舞台上なのに、今の一撃で、すべての辻褄がズタズタに破綻した。
検問官の伊達男は、疑心に満ちた冷たい眼差しで、車内にいるオレたちをじっくりと見回している。
だが、この場はとにかく、全力で取り繕うしかない。
オレはオレで「リハーサルが終わったあとの役者」らしいことを始めなければ。
ひとまず荷室の片隅から立ち上がって、共演相手のラウルを気遣うことにしよう。
「ん……お疲れ。エイダンの言う通り、さっきのは、けっこういい芝居だったんじゃないか?」
オレは笑顔で手を差し伸べた。
するとラウルは勢いよく顔を上げ――革手袋に噛みついてきた。
「おっ、おいッ! もう、リハーサル、は……」
嫌な予感がして――ハッと振り向いた。
ラウルの奇行を、検問官は、しかと目撃していた。
だがそのとき、後部座席にいたリオが、ケラケラと笑いだした。
「あははっ! 佐藤ってば、まーたそうやって役にのめり込んじゃってー。ほらほら! 起きて起きて! ラウル役はもう終わったんだよーっ!」
リオはラウルの目の前で、ぽんぽんと手を打って、催眠術を解くような真似事をしている。
そうか、その手があったか。これは単に、真面目な役者にありがちな、珍しくもないハプニングだと見せればいいんだ。
するとラウルは鼻で笑い、冷めた声を作ってきた。
「……本当、俺はいつだって、真面目に演じるけどよ……今回の俺の役、マジでひどすぎねえか? ラウルがとっくにゾンビになってんのに、『もう殺してくれー』ってペラペラしゃべるって……何だよこのクソ脚本」
「ありゃりゃ。まーたその話になっちゃったよー」
リオは後部座席から身を乗り出すと、フンと鼻を鳴らし、荷室にいるラウルに説教を始めた。
「そうやって佐藤が追及すんのが、脚本のリアリティなら、別にいいんだよ? 僕だって大好きだよ。けど、リアリティを離れて、リアルを求めちゃ駄目だって!」
「へーへー、お前がどこで聞きかじった芝居論だから知らねえけど、俺はそんな高尚な話をしてんじゃねえよ。常識的に考えろ、あり得ねえだろ。いくらフィクションって言っても、ゾンビだぜ? 何でまだしゃべってんだよ。こんなんじゃ、リアルもへったくれもねえだろ」
オレの角度からは、この即興劇の舞台裏が見えている。
ラウルの顔は、ソバカスまで充血しているのではと思えるほど、真っ赤に染まっている。少しでも顔を見られたら、確実に異変に気づかれる。
それでもラウルは、声だけなら、気だるげに、何気なく、しゃべり続けてくれた。
「だいたいこの設定、ひどすぎねえか? ラウルがしゃべれる理由ってのが、『奇跡的な突然変異』って……んなもん納得できるか、バーカ」
「あーっ! 佐藤、そんなこと言っちゃ駄目だよ! だって考えてみ? そーやって突然変異が起きる確率って、別にゼロじゃないんでしょ?」
「いや、ゼロだろ。限りなくゼロに近いゼロなんて、もうただのゼロだろ」
「けど可能性はあるんだよっ! たとえ限りなく不可能に近いとしてもっ、ラウルがその困難を乗り越えて、親友にどうしても伝えたい想いをぶつけるんだ……ねっ? すっごく斬新な設定じゃん!」
「なーにが斬新な設定だ。おサムいこじつけの間違いだろ」
「こじつけじゃないもん! しゃべるゾンビがいるのは、事実じゃん!」
「うわっ……でたでた、現実とドラマの区別がつかねえやつ」
オレはチラと検問官を見た。
向こうはずっと、いい位置にいる。リオが後部座席から身を乗り出しているおかげで、ラウルへの視線は、さえぎられている。
ゾンビに知能はない、知能がないから人間を襲う――それが世界の一般常識だ。
ラウルが根気強く、ダラダラと何の意味もない話を続けてくれたおかげで、検問官からは疑念を抱く匂いが薄れていった。
検問官の伊達男は、助手席の窓越しに、ふとキザっぽい困り顔を見せてきた。
「……運転手のヤングメン、いくら何でもクレイジーだよ。お稽古とはいえ、実弾のこもった小道具を鳴らしたなんて……ママに言いつけないでおくのは、今回だけだぞ?」
「ははっ、すいません! 次から気をつけますね!」
「反省の色が見えないね。なら、オジサンの職場でよく使われる言葉に言い直そう……」
検問官はそう言うなり背筋を伸ばし、靴のかかとをそろえた。
彼は急に、低く張り詰めた声に変わった。
「我々、ニューケンブリッジの都市外検問官の職務とは、『ジェミニ』の感染者が、都市近郊エリアに侵入しないよう、通行人の検疫・排除を行うことである。要するに、オジサンのお仕事はゾンビ退治だけ。それ以外のことは、やっちゃダメなのさ……」
検問官はそう告げると、ふとニーナを見て、寂しげに目を細めた。
「忘れもしないよ。オジサンにも、君より少し年上のお嫁さんがいてね。コーコフ事件で、お嫁さん……喰われちゃったんだ。あのとき彼女に誓ったよ。『もう誰もリビングデッドにさせないし、リビングデッドじゃない人間は、もう誰も殺さないよ』って……」
検問官はゆっくりと顔を上げると――殺意を押し殺した憤りの目を、エイダンに向けた。
コーコフを忘れるな――検問官が、そうつぶやいた気がした。
話を聞くに、どうやらあの検問官は、コーコフ事件の関係者だったのか?
七年前、コーコフという街に解き放たれたのは、驚異度の高いケリー型のリビングデッドだった。
だが奇跡的にも、街の中には少数だが、生存者が取り残されていた。彼らのSOSを受信したニューケンブリッジは、コーコフと協定を結んでいたこともあり、生存者たちを救うべく救助隊を派遣した。
ただ――救助活動は混迷を極めたそうだ。
救助隊が到着したとき、すでにコーコフの街中は、ケリー型が徘徊している危険地帯と化していた。
ケリー型は俊敏なうえにパワーがある。一瞬でも油断すれば、またたく間に連れさらわれ、群れの中に引きずりこまれ、餌食にされる。
そんなリビングデッドの密集地帯に踏み込むからには、「相手が人間かどうか」を確かめる猶予は一切ない。救助隊は全員、物陰から人の形が見えた瞬間、反射的に撃ち殺していった。
その一方、生存者たちは避難所の中で、助けが来る日を心待ちにしていた。
心待ちにしたあまり、救助隊が到着したと気づくなり、一斉にパニックを起こし、避難所から飛び出してしまった。
救助隊は、考えるよりも先に、銃を構え――生存者全員を、射殺してしまった。
だからメメント・コーコフには、裏のスローガンがある。
(人類は、皆、同胞。そのことを、絶対、忘れてはならない。)
ビリッ――検問官は、バインダーから紙を切り取った。
「……残念でならないよ、運転手のヤングメン。君がもしリビングデッドに感染してたら、オジサンもお仕事だ。君に向けて、昔みたいに実銃を鳴らせたのにね」
「ははっ、いいですね、そのしょうもないギャグ! 今度ぼくも、誰かに使ってみよっかな!」
「絶対ダメだよ? オジサンとのお約束」
検問官の伊達男は、軽口を叩きながらも、相変わらず眼差しは冷たかった。
窓ガラスが閉まったあとも、オレたちの擬態に綻びがないか、注意深く、監視していた。




