第六話 本音で本当のことしか言えない即興劇・3
昼下がりに、二度目の検問に差しかかった。
だが尋問の最中ーー突然、ケダモノじみた咆哮が、車内に轟いた。
「……ああ、悪いな、うるさかったか?」
ただ、ラウルはすぐ正気に戻ってくれた。
彼は検問官に向けて、気だるげに挨拶を始めた。
「よう、驚かして悪かったな。俺、こう見えて、役者の卵やってんだ。『黙れ』って文句言いてえんだろうけど、俺だってあんま発声練習サボりたくねえんだ。放っておいてくれ」
ラウルはそう言って、しばらく声出し練習のような音程で大声をあげていた。
***
ラジオの時報によると、そろそろ午後一時を回る。
いよいよ三度目の検問が近い。
だがーーさすがに先が思いやられる。
オレはひとつ提案してみた。
「さっきみたいに、尋問の途中でいきなりラウルの擬態が破綻するのは……かなり危険だ。芝居の稽古だと言い訳するにしても、何の断りもなく練習が始まるのは、とてもじゃないが不自然だ。検問に入る前から、あらかじめリハーサルの擬態を始めておこう」
オレの提案は、すぐに賛成票を集め、採用された。
ふとフロントガラスを見れば、この車は右のワイパーが壊れているようだ。
水滴が除かれた狭い視界の向こうに、小さく、三つ目の検問が見えてきた。
「ラウル、オレと君は、荷室に移動しよう」
「はあ? いや米沢、別にここでいいじゃねえか」
「君がよくても……オレは反対だ」
オレは荷室に移りながら、後部座席の反対側に取り残したリオに目をやった。
「……あの子を危険に晒したくない」
「わーかったよ。ったく、それならそうと、早く言えって」
ラウルはそう言って頭をかくと、オレとの小芝居を始めるために、後ろの荷室に来てくれた。
「ベッケンバウアー、今の話、聞いただろう。ここで少しドタバタする。お前は静かに読書がしたかったら、リオのとなりに移ってくれ」
オレはそう言って、荷室に座り込んでいるベッケンバウアーを追い払おうとした。
だが博士は……なぜか包帯だらけの顔を上げようとしない。
「……おい、話を聞け。動くのが億劫なら――」
そのとき、オレの背後に立ったラウルが――。
「……ガ、アアアアアアアアアアッ!」
反射的に振り向くと、目の前に迫ってくるグレーの瞳は、血走っていた。
ラウルはそのままオレを鷲掴みにして、力づくでのしかかってくる。
「がッ……はっ!」
オレは車内に背中を打ちつけ、短く息を吐いた。
直後、車が検問所に到着した。
助手席にいるニーナが、窓ガラスを下げると、外には黄色いレインコートを羽織った検問官が、すでにスタンバイしている。
「やあ諸君、今日も素晴らしい雨模様だねえ! 君たちラッキーだよ、これから一時間、オジサンがエスコートするから、絶対退屈な思いはさせないようっ!」
アッシュの短髪をオールバックに整えた男性が、助手席にウインクしている。
今度の検問官は、五十代に見える鷲鼻の伊達男だ。彼は右手にバインダー、左手にペンを取り出し、器用に指先でペンを回し始めた。
「さてさて、早速始めちゃおっか! 頭空っぽにして一時間おしゃべりするだけのカーンタンなお仕事を……」
検問官は楽しげにペンをクルクル回していたが――オレと目が合った瞬間、ギョッと固まり、ペンを取り落とした。
オレはすぐさまラウルに向き直り、リハーサルの擬態を始めた。
「ら、ラウル、正気に戻ってくれ! 君はこんなことする奴じゃないはずだ!」
「ガウアアアアアアアアアアアアッ!」
「クソッ、一体どうしたら、オレの声が届くんだ……!」
あえて芝居くさい言葉を使っておいたが、この方が、リハーサルっぽさが出ていいだろう。
大丈夫だ、まだラウルは、完全に正気を失っていない。その証拠に、彼の感情の匂いは、まだ本能に支配されきっていない。
葛藤。飢餓。幸喜。後悔。絶望。あらゆる匂いが氾濫し、正気を取り戻そうと、理性と本能の間で戦っているようだ。
そのとき、ラウルが急に、オレの懐に目を向けた。
「米沢ッ……貸せ!」
何をする気だと思っているうちに――彼は拳銃を奪い取り、安全装置を外してしまった。
「お、おい、ラウル!」
慌てて取り返そうとしたが、彼は頑なに、手放そうとしない。
そのままジリジリと、銃口がラウルの喉奥に、向けられていく。
それを見て――ようやくラウルが、何を考えているか、わかった。
「……やめろ、ラウル……馬鹿なことを考えるな……」
「もう、いい……いいんだ、俺は……」
これはリハーサルなんだ。これはフィクションなんだ。
オレたちは舞台に上がった役者なんだ。だったらオレたちがやっていることは、すべて演技であり、芝居であり、本人とは何の関係もない出来事しか、やってはならないはずだ。
だが、オレに覆いかぶさっているラウルの目からーー本物の涙が、ぽつりと、落ちてきた。
「さっさと、俺を……殺せエエエエエエエエエエエエエ!」
そのとき――車外から、ダンディなバリトンボイスで、疑問が飛び込んできた。
「オウ……オジサン、ビックリだよ。あそこのヤングメンたちは、一体何を?」
「ああああっ! 違う違う、違うんです! こ、ここここれ、り、リハーサル! 次の舞台の、りりりりりリハーサルなんですよっ!」
助手席にいるニーナは、ひとつ、コホンと咳払いした。
「私たち『名もなきドラマツルギー』がお送りする次回の新作ドラマとは、これまでのエンターテイメントから一線を画す新時代の感動をご提供することを、ここに確約いたしましょう! 何を隠そう、そのドラマのあらすじとは、主人公の親友がリビングデッドになってしまったことをきっかけに、友情を取るべきか、使命を取るべきかで葛藤する、シリアス路線の本格ドラマ!」
彼女の中で、何かスイッチが切り替わったのか――これぞまさに立て板に水のごとくと呼ぶべき異常現象が発生している。
流れるようによどみなく際限なく躊躇なく、ニーナの口から、ノンストップで、言葉があふれていく。
「さてさて裁判長、私がここまでご説明すれば、すでにお気づきになられたことでしょう。そうです、言うまでもなく本作は、かの名作古典ドラマ『旅人たちの死に装束』をリスペクトしつつも――」
オレはそんな話、事前の打ち合わせで聞いてないぞ!
だがニーナは『弁護スイッチ』が入ったままパニックに陥っているのか、ひたすら架空のあらすじを垂れ流している。
頼む、早く誰か、止めに入ってくれ。
今のオレは、ラウルを押し止める方で精一杯だ。
一応、エイダンがニーナを肘でつついて「しょうもないからやめな」とたしなめている。リオも「それ以上ネタバレしちゃマズいよ」と口を挟んでいる。
だがニーナの耳には、一切届いていないようだ。あれよあれよという間に、ずいぶん勝手な設定が、止めどなく決まっていく。
オレは冷や汗をかきながら、ニーナのホラ話がどんどん膨らんでいくのを聞き入ることしか――。
「オ〜ウ! それは何たるトラジェディイイイっ!」
検問官の伊達男が、高らかに絶賛しているのが聞こえた。
彼は指先でペンを高速回転させながらうなずくと――ペンをビシッと止め、教鞭か何かのように、ニーナを真っ直ぐ指し示している。
「いいねえ、いいねえっ! オジサン、君みたいな面白い子、大好きっ! 古典と革新のふたつが溶け合うとき、それって名作しかあり得ない……そういうこと?」
「ええそうよ、まさしくそうなの! それこそが本作の――」
「でもねえ、オジサンこう見えて――ズルい子猫ちゃんのウソには、敏感なんだあ。君の言葉がホントかウソか、確かめてみたいって……オジサンも、ハートに火が着いちゃった」
「……えっ?」
ニーナが、ギクリと口を閉ざすと、検問官の伊達男は気さくにウインクを投げた。
「ハッハッハ! オジサンのモットーは、論より証拠っ! でも心配ないさ、子猫ちゃん。ここはぜひ、ひとりの男としてではなく、君のファンとして、ちょっぴり稽古風景を見学させてもらうよ?」
「そ、それは……」
「大丈夫、君の言葉がすべて真実だって、すぐにわかるはずさあ……」
検問官はそう言って窓に肘をつくと、斜に構えて、オレたちを見物し始めた。
ただ、リハーサルを続けろと言われても……何をどう続けるのが正解だ?
いきなり膨大な設定を押しつけられたようだが、オレはラウルを押し止める方に気が向いていて、ほとんど何も聞いていなかった。
なのに、その設定とまったく矛盾しないよう、今すぐ即興劇を始めろと言われても――。
そのとき、ラウルの大粒の汗が、オレの頬の上に落ちてきた。
彼はオレに覆いかぶさったまま、銃を咥え、ゼイゼイと苦しげに息をついている。
「俺、もう……我慢、できねえっ……! はっ、早く、お前の、こと、リビングデッドに、しねえと……頭、おかしく、なっちまいそうで……」
それは、演技でも何でもなく、ただただ本音を吐き出したんだろう台詞だ。
だがオレは、即興劇を続けるためにも、その台詞に乗らなければならない。
「駄目だ、ラウル、目を醒ましてくれ……君を手にかけるなんて、オレにはできない!」
「ハッ、酷えこと言うぜ……お前がそうやってためらうから、俺は地獄みてえな思いしてんじゃねえか! 俺のためって言ってくれるなら……さっさと俺を――」
「馬鹿なこと言うな! オレは絶対、こんな形で君を殺すわけにはいかない……頼むから、銃を離してくれ!」
どうにもこの即興劇では、本音で本当のことを言うしかないようだ。
そうでなければ「これはただの芝居。真に迫る演者の演技だ」という建前が、破綻する。
「ラウル、頼むから考え直せ……君は『まだ死にたくない』って願ったはずだ! 殺してくれだなんて、君の本心じゃない! そうだろう!?」
「もう、いいんだ……さっさと、俺を、死なせて、くれ……でなきゃ、せめて……ひとく、ち……」
そのとき、ラウルの苦悶の表情が――急に、笑顔に、変わった。
「……ラウル……?」
晴れやかな笑顔だ。救われた笑顔だ。困難の出口を見つけたような。拷問の終わりが見えたような。苦しみから解放される方法を見つけて、有頂天になっている笑顔だ。
これで助かったと言わんばかりに、オレを見て――舌なめずりしている。
「そうだ、そうじゃねえか……俺、マジで……ほんの、一口で、いいんだよ」
それを見て、背筋にスーッと悪寒が走る。
それだけは気づいてほしくなかった。だが彼は、気づいてしまったようだ。
気が狂うほどの飢餓に苦しんでいるなら、ラウルの目の前には、もうひとつ別の、美味しそうな出口が用意されている。
「ら、ラウル……やめろ……やめろって言ってるんだ! な、おい、聞こえないのか!? 頼むから目を醒ましてくれ! 本当にそれだけはやめてくれッ!」
演技でもない。芝居でもない。オレは思わず本心を絶叫し、全力で抵抗した。
「ラウルッ! それだけは考えたら駄目だ! 頼む、頼むから目を醒ませッ!」
「いいから邪魔すんなッ! ヘレンが寂しがってんだ! さっさと『おともだち』を作ってやらねえと、ヘレンがひとりぼっちで可哀相じゃねえか!」
「駄目だ、それは君の願いじゃないッ! それはヘレンの願いじゃないかッ!」
「へへっ、安心しろって。ヘレンはすっげえ優しいヒトなんだ! 俺たちを大事にしてくれるし、皆んなと『おともだち』になりてえって、ずーっと寂しがってんだ!」
ラウルが興奮した息遣いで、オレに噛みつこうと迫ってくる。
どれだけ押し返そうとしても、どれだけ力を込めて抵抗しても、開かれた口が、ジリジリと近づいてくる。
「違う、違う、違うッ! 君はヘレンに操られてるだけだ! こんなこと、少し考えれば、わかるはずだッ! ……ラウルッ!」
どれだけ声を張り上げても、彼は不気味なほど笑いながら迫り来り、
コクリと――愛らしく、小首をかしげた。
「ねえ……あなたも、ヘレンと……『おともだち』に……なりましょ」
それを聞いた瞬間――オレは、叫ぶのを、諦めた。
オレも以前、同じことを、経験したことがある。
恐らくラウルは、
どこからが自分の願いで、
どこまでがヘレンの願いなのか、
だんだん、わからなくなっている。
――ねえ、ひとりにしないで。ヘレンをひとりにしないで。
――さびしい。さびしい。『おともだち』がほしい。
――ねえ、『おともだち』になりましょ。ヘレンと『おともだち』になりましょ。
ラウルの願いが、寄生虫の命令に――蝕まれている。




