第五話 北北西を東に取れ・1
オレたちは、さながらラスベガスのカジノを相手に、正面から金庫破りに挑む。
しかも「その先のロサンゼルスに行きたいから」という、くだらない理由で。
日の出がきた。
白樺でできたログハウスの窓に、朝日が差しこんでくる。
「リオちゃん……その言葉が聞けて、私も依頼人として、大変心強いわっ!」
黒縁メガネのニーナは、サッと顔を上げ、感激した面持ちでリオと握手してる。
「本当っ……本当に、ありがとうっ! この依頼、私たちじゃ、絶対どうすることもできなかった。あなたたちがこの街に来てくれて、そして、本件を引き受けてくれて、本当によかったわ!」
ニーナの演説じみた話しぶりのせいか、まるで素晴らしい交渉が成立した瞬間に立ち会っている気分になりそうだ。
まるで――そう、まるで――まるで素晴らしい仕事でも舞い込んできたようだ。
オレは頭が痛くなってきて、ため息をついた。
「ベッケンバウアー……決まったな」
「エェ、決まったねぇ、米沢くん」
「どうするんだ、これ……」
「どうするもこうするも、我々がどうにかせねばなるまい」
「だよな……」
オレは、目の前に広がる眩しい光景に、思わず目を細めた。
窓からは祝福のように、美しい朝日が降り注いでくる。この街にしては珍しく、長雨が止んで、晴れやかな青空が見えている。
ただ、明るい夜明けとは裏腹に――仕事の先行きは、真っ暗だ。
結局リオは、ニーナの依頼を快く引き受けてしまった。
そうと決まるなり、すかさずベッケンバウアーが進み出た。
「ではぁ、諸君……しばしご注目あれ。私も専門家の立場から、いくつかコメントしたいことがある。この依頼につきまとう困難を、その詳細を……我々が挑むべき、ニューケンブリッジの検問を……」
顔が包帯まみれのベッケンバウアーは、ゆったりとした足取りで窓際にたどりつき、安楽椅子に腰をおろした。
「ニューケンブリッジ……フフ、懐かしいねぇ。あれはまさしく、『人類最後の砦』と呼ぶべき、世界最高峰の研究都市……今もなお、あそこではリビングデッドの治療薬が開発中であると聞き及んでいるよぉ……」
すると博士は、何かを思い出したのか、ニヤリと得意げに笑った。
「ウフフ、私もニューケンブリッジとは、遠からず縁があってねぇ……二〇二〇年代の後半にぃ、ニューケンブリッジの前身組織、ケンブリッジ大学と、私は共同研究していたのさぁ。フフフフッ……」
オレはそれを聞いて、眉をひそめた。
計算が合わないな。
多分あれは、あいつ自身の経験じゃないな。『ナタリア・ベッケンバウアー』の記憶を語っているだけだろう。
「マァ、自慢ではないがぁ……当時は私が、研究に関わっていたこともありぃ、リビングデッドの研究機関といえばぁ、ケンブリッジ大学が、最も先進的であるとされてきたぁ……しかし二〇三〇年代、いよいよ文明の崩壊が深刻となると、我々は共同研究を、打ち切らざるを得なくなってねぇ……」
いや……別にそんな話をされても困る。
他人の自慢話を、あたかも自分の経歴のように語るなよ。
さすがに付き合いきれない。
「あのな、ベッケンバウアー……関係ない話は、あとにしてくれないか」
「ああ、米沢くん、誤解しないでくれたまえ。共同研究が中止になった非は、あちらにあるのだぁ」
「そういうのを『関係ない話』って言うんだ。あとにしてくれ」
「フッ……気の毒にぃ、あの大学は、孤立した島国に位置していたからねぇ。リビングデッドが当然のごとく市中に氾濫し、欧州が混迷の時代に陥ると、あの立地では、研究機関を維持しようにもぉ……」
ああ、駄目か。あの調子じゃ、好きなだけ語らせるしかないな。
「そこでケンブリッジ大学はぁ、急きょ、研究拠点の移設を開始したのだぁ。機材、研究者、学生らーー要するに、研究機能のすべてを、ケンブリッジ大学の姉妹校へと移動させた……」
オレにとっては、至極どうでもいい話ばかりが続いていくな。
だが、リオの反応を見てみると――どうやら、真逆のようだ。
興奮気味に目を輝かせ、みるみる頬が紅潮したかと思うとーーベッドから、おもむろに身を乗り出した。
「ネエサン、それって! 何でもないみたいに言ってるけど……ほ、本当なの!? ニューケンブリッジの大都市が、元々、あそこにあったんじゃなかったって……実は大都市が、丸ごとお引越ししてできたって、初耳なんだけど!?」
リオはどうやら、ベッケンバウアーのよもやま話を聞いて、「ロマン」というものに火が着いたようだ。
ラジオで流れる都市伝説に聴き入るときと、まったく同じ反応している。
すると博士は、調子に乗ってきたのか、紫のうねり髪をサラリとかき上げた。
「マァ、当時はその必要があったからねぇ。むしろ、それ以外に手段はなかったと言える……リビングデッドの密度分布は、世界が崩壊する以前の人口分布と、ほぼ一致している。要するにぃ、欧州の大半の地域には、大量のリビングデッドが生息している。ならばこそ、北コーカサス地方が選ばれたのだぁ……」
「だ、だってだって……イギリスから出て、北コーカサスって……ほとんど、ヨーロッパを横断する旅路じゃん!?」
「フフフ、ウフフフフフフフ……今のリオちゃんには、想像することさえ、難しいのかぁい?」
博士はもったいぶるように口をつぐむと、少し声を落として囁いた。
「当時は技術的に……それが可能であったのだぁ」
それを聞いてリオは、ゴクリと唾を飲んでいる。
「やっぱ、お引越しには……飛行機じゃなくて……列車を使ったの?」
「いかにも」
「キャーッ! やっぱ列車なんだ! 都市を丸ごとお引越しするってなると、飛行機じゃ駄目なんだね!? 断然、列車の大勝利なんだっ!」
リオはベッドにダイブすると、枕に顔を埋めてジタバタと足をバタつかせている。
その反応を見て、ベッケンバウアーはずいぶん鼻が高くなったようだ。
「マァ、驚くべきことではない。鉄道によるこの地域への移転、それは避けがたい選択であった……北コーカサスはかつて、欧州でも比較的、人口密度が低かった。要するにぃ、現在はリビングデッドがさほど生息していない地域である。研究機関を安全に運営するうえで、最善の立地であると判断されたわけさぁ……」
コロリ――博士は得意げな顔して、口の中で棒付きキャンディを転がした。
「そして大学の移設が完了し、このエリアに位置する姉妹校のキャンパスはぁ、やがて『ニューケンブリッジ』と名乗る街となったのだぁ……」
なるほど。オレもようやく、要点が飲み込めてきた。
欧州の中でも一際田舎と呼べるはずののどかな場所に、どうしてあんな物々しい研究都市があるのかと思えば、そういうことだったのか。
厄介だな。だとしたらニューケンブリッジという街には、間違いなく、世界最高峰の警備体制が敷かれている。
一体これは、どうにか突破しようとして、どうにかなるレベルなのか?
先行きが思いやられるあまり、思わずこめかみを押さえてぼやきたくなった。
「なるほど……つまりオレたちは、これからラスベガスのカジノを相手取って、正面から金庫破りに挑むような真似事をするわけだ」
「エェ、まさしく。しかも目的はぁ、『その先のロサンゼルスに行きたい』と言うのと、まぁったく同じレベルのものさぁ」
「泣けてくるな……」
オレは少し頭を振り、依頼人のエイダンに目を向けた。
「そもそも……何でわざわざ、ラウルを車に乗せる必要があるんだ?」
オレたちに面倒ごとを持ち込んできた犯人ーーもとい、依頼人である、青髪の青年エイダンは、二段ベッドのはしごに寄りかかって、暇そうにしていた。
どうやらあの様子を見るに、ベッケンバウアーの解説なんて、最初から何も聞いていなかったんだろう。
「ああっ、それがね……ちょっとこないだの騒ぎが、大きくなっちゃって……」




