第二話 微笑み、微笑み、しかも邪悪たりうる・3
エイダン・トカレフは、ただただ無責任に微笑んでいる。
自分は純粋無垢だと言いたげな、清廉潔白だと演出するような、わざとらしいほどに爽やかな、大変よく出来た微笑みだ。
「ははっ……ぼくがおかしい? あの、どこがですか? 何がですか? 旅人さんが、何をおかしがってるのか、ぼくにはさっぱり!」
そのとぼけた言葉には、もう付き合いきれない。
オレはエイダンを無視して、少しマフラーを下げた。
気になる匂いが、向こうから漂ってくる。
この家の奥には、下り階段があるのを見つけた。
「では、つかぬことを伺いますが……そこの地下階には、何があるんですか?」
オレが訊いてみると、エイダンはさも当然そうに答えをくれた。
「ああ、地下ですか? ははっ、あそこには物置部屋しかありませんよ!」
ところがエイダンが断言するなりーーソファに座っているニーナが、首をひねった。
「……えーっと、エイダン……うちの地下って、物置部屋だけじゃないでしょ。万一に備えて、自宅用避難室もあるじゃない」
「はははっ! ニーナ、さては最近見てないから、知らなかったな? もうあそこって、セーフ・ルームなんて呼べたもんじゃないよ。ぼくが色んなもの放り込んじゃったから、なんだかんだ、今は立派な物置部屋さ!」
「あ、あれっ? あそこっ、そそそ、そんなに汚くなってたの!?」
青髪の兄妹は、そんなことをのんきに談笑している。
ただ、話を聞くにーーそのセーフ・ルームが怪しい。
「そうですか……少し中を見せてもらっても、いいでしょうか」
オレがリビングを離れようとした瞬間ーーエイダンが慌てて飛び込んできた。
「あっ、ちょっと、やめてください! あそこ、本当に散らかってて……物置って言うか、もうゴミ箱って呼んだらいいかな……今はとても人様には……はは……」
するとオレの背後から、ニーナがのぞき込んできた。
「あーっ……ゴメンね、エイダン。私も色々、使わないものとか思い出の品、あそこに放り込んじゃったっけ……?」
「はははっ! そうだよ、ニーナだってぼくと同罪さ。あのセーフ・ルーム、今はぼくたちの思い出部屋みたいな有様なんだから、ちょっとお客様には、見せらんないよね?」
「ちょ、ちょっと! べべべ別に私、片付けが下手なわけじゃないわ! ただちょーっと便利な部屋だったし、私もつい……」
ニーナはなぜか、もじもじと照れ笑いしてうつむいてしまった。
だが、ここで引き下がる気には、とてもなれない。
「……少し中を見るだけです。何も問題ないとだけ、確認させてください」
オレがその部屋に強くこだわったせいか、ニーナは困惑した面持ちで、眉をひそめてしまった。
「あの……米沢さん、それだけは、遠慮してもらえませんか? 本当、私もあそこに何を放り込んだか、わかんないですし……」
その眼差しは、明らかに強い抵抗感を示している。
まあ、初対面のオレが、他人の家に上がり込んでは、散らかった部屋を見たいと言い張っているんだから、当然の反応か。
ならば、ここは正直に言うべきだろう。
「ニーナさん、落ち着いて聞いてください……」
ここで彼女にパニックを起こされても困る。
努めて冷静に、小声で、ゲンジツを打ち明けよう。
「この家の中には……リビングデッドの匂いがします」
ニーナにゲンジツを伝えた瞬間、彼女はーー甲高く悲鳴を上げーー顔を隠した。
「すすすすす、すいませんっ! よ、米沢さん、やっぱり、アレ、ききき気になります!?」
「は?」
「ごごごゴメンなさい、私、鼻が馬鹿だから、全然気づかなくて……あのジーンズ、まだそんなに臭ってたなんて……」
ニーナは紅潮した頬を押さえると、困り顔を兄に向けている。
「もーっ! だから私、言ったじゃない! あれって汚れが落ちても、臭いに敏感な方にはバレちゃうの!」
「……ニーナ、その話、あとにしない……?」
「やだやだやだ! エイダンったら、こんなの後回しにしないでっ! お、お客様の前なのよ? さっさとそのジーンズ、着替えてきてっ!」
「ニーナ、その話、今はやめようよ」
どうやらエイダンの嘘に、ほころびが見えてきたようだ。
ここで一気に畳みかけて、ニーナに告げ口すべきだろう。
「ニーナさん、あのジーンズは見ての通り、新品ですよ」
「え?」
ニーナは、意味がわからないと言いたげに、オレに困惑の表情を見せてきた。
「あ、あの……米沢さん、だって、リビングデッドの匂いがするって……」
「いえ、エイダンさんのジーンズに、リビングデッドの匂いは感じません。リビングデッドの匂いは、明らかに地下から来ています」
「ま、待って、待ってください、ちょっと、状況を、整理させてーー」
「ニーナさん、いいですか、落ち着いて聞いてください」
「あ、あの、だからっ――」
「この家の地下室に、リビングデッドがいます。恐らく今も動いてます。だからオレはさっきから、あなたに落ち着いて聞いてほしいって言ってるんです」
そう強く告げた瞬間――ニーナがオレの目を見たまま、凍りついた。
「……え、えっと……それっ、て……?」
彼女は恐る恐るショールを握ると、ぎこちなく首を回し、地下へと通じる暗い階段を見つめた。
「う……うそでしょ……? うちの、地下……に……?」
オレはニーナから視線を外した。
そういえばひとつ、大事なことを訊き忘れていた。
「ところでエイダンさん……ラウルさんは、この家のどこにいるんですか?」
細身な青年、エイダン・トカレフは、オレの前に立ちふさがったままだ。
オレを階段へ行かせまいと押し留めたまま、ただただ、目の前に佇んでいる。
「……ははっ、それはさっき、ニーナも言ったじゃないですか。ラウルなら、いまごろ二階で寝てるさ」
「そうですか……それはおかしな話ですね」
「おかしい? ふふっ、本当、おかしなことばっかり言う旅人さんだなあ」
「そうでしょうか。でしたらなぜ……そこまで頑なに、オレに地下室を見せまいとしているんですか?」
「……」
そのときオレたちの横から、ニーナが恐る恐る、口をはさんできた。
「ね、ねえエイダン……お互い、ちょっと、ご、誤解があるみたい、だし……一応、確かめた方が、よくない……?」
「……」
「や、やだやだエイダン、そんな、こ、こわい顔しないで! い、いいいいいるわけないじゃない、あ、はは……あはははは! う、うちの地下室に、リビングデッドなんて、いませんよーって……少し、米沢さんの誤解、解いて、くる、だけ……」
「……」
「ねえ……ちょっと……エイダン?」
ザアァァッ――雨脚が強くなり、激しく窓ガラスを叩いている。
オレは淡々と、目の前の青年に要件を突きつけた。
「エイダンさん、そこをどいてください。そこの地下室にいる……ラウルさんに会わせてください」
そのときエイダンが――薄っすらと、微笑んだ。




