第二話 微笑み、微笑み、しかも邪悪たりうる・2
「米沢ニイサン、ここだよ……エイダン・トカレフさんのお家」
リオはそう言って、街外れの一軒家を見上げた。
「僕が聞いた話だとね、ルドルフ・カラシニコフさんは、今、すっごく容体が悪いらしいの。けどご近所さんが心配して、『自宅にひとりきりで闘病させるよりも』ってことで――」
「なるほど。それで今は、近隣のトカレフ家に、身を寄せてるってことか……」
「うん。入街審査官のおじちゃんは、そう言ってた」
オレは試しに、トカレフ家の玄関の呼び鈴を押してみた。
「はーい!」
ログハウスの中から、青年のハキハキした声が聞こえてきた。
「父さん、母さん、ちょっとごめんね。お客さんがきちゃったみたいなんだ、待っててくれるかな」
すると家の中で、若い夫婦が同時に声を上げた。
「はい?」「エイダン、何て言いましたの?」
エイダンと呼ばれた青年は、さらに声を張りあげている。
「お客さんが! きましたから! ちょっと二人は、待っててください!」
「はいはい」「そんな大声で言わなくても、聞こえますわ」
玄関が開いたとき――なぜか、全身に我慢ならないほど鳥肌が立った。
だが、なぜこんなに鳥肌が立つのか、自分でもよくわからない。
応対してくれたのは、艶のある青髪を清潔に切り揃えた青年だ。
ノリのきいた襟付きの青シャツ。何も不自然のない、おろしたてジーンズ。
小柄で、細身で、徹底的に小綺麗な身なりは――何も不審な点はないはずだ。
むしろ人間なら――これだけ清潔感のある彼のことは『好青年』だとみなし、大変いい第一印象を抱くに違いない。
ただ、なぜだろう――妙に作り物くさい清潔感だ。
その『好青年』はほんの少し口元を歪めると――薄っすらと、微笑んだ。
ゾワッと、背筋に悪寒が走る。
嘘くさい。嗅覚ではなく、直感的に、嘘くさいと感じた。
「ははっ、すいませんお待たせしちゃって。それで……どちら様でしょうか?」
そう問われて、ハッとした。
よく見れば、あの青年を不気味に感じた理由がわかった。
彼は家の中にいるのに、腰のホルスターに、なぜか旧式の拳銃を収めている。
あの銃の悪評は、あまりにも有名だ。
恐ろしいことにあの拳銃には――安全装置がない。
オレは、相手の匂いを知るため、少しマフラーを下げた。
「……オレたちは、この街を訪れた旅人です。こちらのお宅に、ルドルフ・カラシニコフさんがいらっしゃるとお聞きして――」
「ああ、ラウルですか? ははっ、すいません! 彼は今、体調が悪くて、人に会えないんですよ! ラウルへの伝言やお荷物があるんでしたら、ぼくがお預かりしますので、どうぞ!」
『好青年』はそう言って、気さくに手を差し伸べてきた。
妙だ……強い違和感を感じる。まるで事前に準備された脚本でも読み上げるような、よどみない言葉だった。
この人間は……あまり信用したくない。
オレはいつもの癖で、リオを自分の後ろに隠した。
「……急を要するお話があります。少しで構いません、お会いさせてください」
そのとき、後ろの通りから、誰かが家の中へと慌ただしく駆けこんできた。
「エイダン、ただいま! ほら、私に頼まれてた買い出し、行ってきたわよ。お客さんゴメンね、ちょっと横、通りますよーっと」
そう言ってオレの横を抜けていったのは――頭から肩まで、ベージュ色のショールをすっぽりかぶっている女の子だ。
「もーっ、最悪! さっきまでそんなに降ってなかったのに、私が出かけた瞬間、雨足が強くなるなんて……いい加減、違憲よ、違憲っ!」
「異変? ははっ、ニーナ、こんなのいつもの雨じゃないか」
「エイダンッ! 異変じゃなくて、い・け・ん! 憲法違反! 罰則の対象! これは明らかに、私に対する陰湿なイジメよ! それを立証するための証拠は、実はもう手に入れたんだから!」
それに対してエイダンは、興味なさそうに、薄っぺらい笑みで肩をすくめている。
「あーあ、参ったね。またしょうもない法廷が始まっちゃうのか……」
「ありがとうエイダン! 心からの応援、感謝するわ!」
「まあ、いいんだけどさ。ニーナ、さすがにもう転ばないで――」
「見てなさい、大御所・長雨先生! この裁判、私、絶対判決で、勝ちをもぎ取ってみせるわ!」
「ははっ、ぼくは『気をつけて』って言ったからねー」
エイダンに見送られ、女の子は家の奥へ踏み込んでいく。
だが、テーブルにかごを置こうと、彼女が思いっきり持ち上げた瞬間――。
「私も戦か、あ、えっ……きゃああああああああっ!?」
バランスが狂ったのか、大きくつんのめって、ひっくり返っていく。
頭をぶつけると危ない。駆けつけて、女の子を抱き留めておいた。
宙に放り出されたかごも、オレの方に飛んできた。片手でキャッチしておいた。
被害は……今のところないようだ。
一応、腕の中にいる子の無事を確認しておこう。
「あの……大丈夫ですか?」
「ご、ごごごごゴメンなさい! わ、私もかごも、今日、すっごく重いし、本当、ご迷惑おかけ、し……て……?」
女の子は、傘の代わりにしていたショールを頭から脱いだ。
そのとき、薄いブラウンの瞳と目が合った。
艶のあるストレートな青髪を、飾り気なくサイドで結いまとめている女の子だ。
大きな黒縁メガネは、顔のサイズに合わないのか、派手にズレ落ちている。その奥でキラキラと輝くブラウンの瞳は、まばたきもせず、オレの目をじーっと見つめている。
ひょっとして……オレが人間じゃないと、疑われているのか?
いや、まだ挽回の余地はありそうだ。
ここは冷静に『普段通り』の擬態を続けて、同じ人間だとアピールしなければ。
「あの……さっき転んだ拍子に、足をひねりませんでしたか? どこか痛いところや、違和感を感じるところは……」
「へっ!? あ、足!?」
女の子は慌てて黒縁メガネを押し上げると、キョロキョロと視線を泳がせ、照れ笑いを浮かべている。
「え、えーっと、そう、ね……私、ちょっと、足、ひ、ひねっちゃって……」
だとしたら、ここは人間らしく、相手を気遣う姿勢を見せるべきだ。
片手に持っていたかごは床に置いて、女の子を両腕で抱き上げた。
「でしたら、今は無理に歩かないでください。そこのソファをお借りしていいでしょうか。足の具合を確かめましょう」
「え? ええええええっ!?」
女の子は急にオレの首にしがみつくと、顔を真っ赤にして慌てだした。
そこまで驚くなんて……オレの行動は、人間としては不正解だったのか?
マズいな。一体、何を間違えたんだ?
普通、弱った人間がいたら、近くの者が手を貸すのが正解じゃないのか?
一応、女の子はリビングのソファまで運んで寝かせておいた。
ただ、この先どう対処すれば『普通の人間』らしく思ってもらえるんだ?
「……ねえ、米沢……米沢ッ!」
そのとき背後から、リオがオレのレインコートを強く引っ張ってきた。
「リオ、よかった。実は――」
「米沢、いいこと教えてあげる。あんまそーゆーこと、僕以外にやんない方がいいよ。初対面の女の子、急にお姫様抱っこするって……」
やっぱり、人間のリオから見ても、あれは明らかに不自然な行動だったのか。
ただ……なぜこの子は怒っているんだ?
そんなことを考えていると、リオはオレを押し退けて、前へと進み出た。
「あとさ、この子の手当だったら女の子同士の僕がやった方がいいよ」
「そうなのか?」
「そんなの当たり前じゃん! 男の人が、女の子の身体さわるって……それってもう、結婚するか戦争するか、どっちかしかありえないんだからね!」
「そうなのか……」
リオがそう言うからには、それが人間同士の理屈としては、正しいんだろう。
***
リオが具合を確かめたところ、女の子は足をひねっていなかったようだ。
ソファに座っている女の子は、何か意を決した面持ちで、握手を求めてきた。
「ほ、本当……助かりました! わ、私、ニーナ・トカレヴァ。あ、あの、この街の学生として、行政執行部の外交部門にて、ユース・フェローを務めてます!」
オレが握手に応じようとした瞬間、なぜかリオが、サッと握手を横取りした。
「僕の名前は、薄刃門リオ! こっちは米沢! よろしくね!」
「あれ? そのお名前……ひょっとしてあなたたち……に、日本人?」
「そうさあ、御明察! すごーい、よくわかったね?」
リオからそう褒められ、ニーナはなぜか動揺した様子でメガネを押し上げている。
「ま、まあ……偶然、私の友達がね、そ、その……日本のアイドルの、大ファンなの! それで、私も『米沢』さんって名前は、き、聞いたことが……」
そこまで言うと、ニーナはみるみる顔を赤らめて、猛然と首を横に振りだした。
「あっ、あああっ、違う違う違う、違うのよ!? 私、全然、そのアイドルには詳しくなくて! あ、ああああくまで私の友達が、その『米沢』さんのこと、大好きなの!」
ニーナはそのまま饒舌になって、自分がいかに『米沢』というアイドルに興味がないか、延々と力説している。
人間は不思議な生き物だな。そのアイドルに興味がないことは、もう十分わかった。
オレは頃合いをみて、ニーナにルドルフのことを尋ねてみた。
「ルドルフ? あっ、ああ、ラウルでしたら、もうずーっと闘病中で、大変なんです。流行り病に罹っては治って、病み上がりに別のに罹って……」
「ありゃりゃ、僕のおじいちゃんと一緒だ……あれって一度ハマると、すっごい厄介だよねー」
リオはそう言って、いつの間にかニーナのとなりに座りこんで、ちゃっかりくつろいでいる。
「でもリオちゃん、私たちもこの件で、色々学ばなきゃ駄目よ! 『流行り病の悪循環』って、決してお年寄りだけの問題じゃないわ! そういう危機感を、もっともっと広く共有していかなきゃ――」
参ったな。またニーナの話が、脱線しそうな気配がする。すぐにでも話題を引き戻さなければ。
「それでニーナさん、ラウルさんは、今どちらに……?」
「ああ、うちの二階を貸してるんで、多分、いまごろ部屋で寝てますけど……」
「では、ぜひお会いしたいんですが」
「あの、それはちょっと……できません」
かなり強い言葉で、にべもなく断られた。
「……少しで構いません」
「できません。本当、すいません」
ニーナはメガネを押し上げると、申し訳なさそうに打ち明けてきた。
「あの……流行り病って、伝染すリスク、伝染されるリスクがありますよね。だからラウルに会うのは遠慮してください。看病の担当はエイダンですし、もしご用件があるんでしたら、うちの兄に……」
その答えには、なかなか驚かされた。
彼女はそんな矛盾した話を、疑いもせず信じ込んでいるのか?
オレはあえて声を張りあげ、向こうにいるエイダンにも聞こえるよう、強く反論してみた。
「それはずいぶん……おかしな話ですね!」
案の定、向こうのキッチンで買い物かごを整理していたエイダンが――手を止めた。
「はは……おかしい? 旅人さん、何がそんなにおかしいんですか?」
エイダンはキッチンを出ると、わざわざリビングまで歩み寄ってきた。
「そう言うからには……オレが変だと言う理由が、あなたはわかっているはずだ」
オレがそう指摘するなり、エイダンは目を逸らしーー笑いだした。
「あっはははは! ほらニーナ、旅人さんも、おかしいって言ってるよ?」
「へっ!? わっ、私!?」
「あれ? ニーナ、何とぼけたこと言ってるんだよ」
エイダンは見かねた様子で、苦笑いを見せている。
「まあ、 ぼくからは、少し言いづらいんだけどさ、やっぱり君はおかしいよ。ラウルが流行り病で苦しんでるのに、君ときたら……いまだにしょうもない友達と会ったり話したり、人付き合いを、ちっとも控えてくれないって……それでまた、ラウルに流行り病を持ち込んでるって……ちょっとあんまりだよね?」
ニーナはその説教を受けーーゆっくりと黒縁メガネを、押し上げた。
「エイダン……それ、また……また私のせいだって……言いたいの……?」
何かのスイッチが切り替わったのかーー臆病でしどろもどろだった彼女はーー正義感あふれる怒りの眼差しに、変わっている。
「いいわ、エイダン……その議論を蒸し返すんだったら、私だって反対尋問の用意はあるんだからっ!」
ニーナは宣戦布告するなり、ソファから立ち上がり、威風堂々と証言を始めた。
「いい!? ここ数ヶ月の私の行動、思い出してもらいましょうか! ラウルの闘病中、私、一度もラウルには会ってないわ! この家の中だって、買い出しを届ける数分しか留まらなかった! その間、私はずっとノンナの家にお世話になってたでしょ!」
バシンッ――ニーナはソファの背もたれを、力強く叩いた。
「この習慣を始めて数ヶ月になるけど、やっぱりラウルの悪循環は、治らないじゃない! そろそろ私の言い分を認めたらどう? ラウルに流行り病を持ち込んでる犯人は、私じゃないわ!」
オレにはあまり話が見えないが、思わず拍手したくなるほど立派な弁護だった。
防戦一方だったニーナが、急に一転攻勢に出て、敗色濃厚な雰囲気を完璧にひっくり返した。人間はこういう有様を「論破」と呼ぶんだったか?
ただ、オレがおかしいと言ったのは、そこじゃない。
「いえ……その方が流行り病に罹ることが、そもそもおかしいですよ」
リビングデッドになることは、まさに万病に効く、最善にして最悪の治療法だ。
末期のステージだと診断されたガン患者が、リビングデッドに豹変したとたん、その後、十七年以上生きた記録も残されている。
この土地にどんな流行り病があるかは、関係ない。リビングデッドが病気に罹るなんて、そんな矛盾したことはあり得ない。
「はは、おかしい? あの、旅人さん、ラウルの何がおかしいんですか?」
「……」
「旅人さん?」
エイダンはオレの顔色を伺うと、子どもっぽい笑顔を見せている。
「いえ、エイダンさん……オレがおかしいと言っているのは、ラウルさんではありません」
「へえ、そうだったんですか! じゃあ一体――」
「とぼけないでください」
「……」
「オレがおかしいと言っているのは……あなたです」




