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野々宮

「連れていけ。学生本部だ」


 ロクマに指示された諮問委員たちは、奥の院一同を無理やり立たせ、ホールの出口へと歩ませる。


「少し待って」


 その場で聞き慣れていなかった声が響いた。五人を歩ませる力がとまり、全員が声の主の方向に顔を向けた。。派手な格好をした、背の高い女。


 その姿を認めたイヌマキは思わず声を上げた。


「ノノミヤさん……!」


イヌマキが彼女の姿を見て思い出すのは、二週間ほど前のあの出来事。


-----------------------------------------------



一月十七日

午後六時二十分 都内大学通り



「結構、遅くなったな……」


 奥の院への帰還を果たしたイヌマキは、長引いた作戦会議のために夜遅くの学生通りを一人で歩いていた。帰還の安堵とこれから始まる作戦への緊張で、彼女は酷く疲れていた。


「夜ごはん、どうしよう」


 そんなことを独り言ち、賑やかな居酒屋を横目に自宅へと向かうイヌマキの前に、人影が一つ。はじめは通りすがりだと思ったが、明らかにイヌマキを認識したように彼女の前で止まって動かないそれに、イヌマキは立ち止まって警戒の色を示した。


「あの……」


 どなたですか、と言う前に、その正体が分かったイヌマキ。派手な格好をした背の高い女。


「あなたは、ノノミヤさん……?」


 正解、とでも言いたげに、ノノミヤは首を少し曲げた。どうやら、奥の院のイヌマキに対して敵意はない様子だった。


「名前を教えてよ」


 純粋な好奇心の中に、好意すら見られるほど穏やかな口調で、ノノミヤは言った。


「……ハンドルネームで良いですか」


 イヌマキの方は、警戒を解けずにいた。ロクマに対しては嫌悪感を感じているものの、彼女は諮問委員会の副委員長である。


「なに、あなた達のサークルにはそんな決まりがあるんだ」


 ノノミヤは笑いながら言った。それも嘲笑と言うには、いささか優しすぎる笑いだった。


「良いよ、教えて。あなたのハンドルネーム」


「……イヌマキです」


 ハンドルネームでさえ、教えることに躊躇した彼女だったが、あまりにも反抗的すぎても、相手を刺激してしまうかもしれないと思い、正直に答えた。ノノミヤという女に、不覚にも親しみを覚えたからという理由も、少しはあったかもしれない。


「へえ、イヌマキねえ」


 ノノミヤはその名を咀嚼するように復唱し、しばらく黙り込む。


「そのハンドルネームをつけた人は、あなたのその見た目とか、話し方とか性格とかを考慮してその名前を付けたのかな」


 ノノミヤという女は、見た目からは想像できない程落ち着き払い、知的な話し方をした。第二演習室で見た時とは、かなり様子が違っていると、イヌマキは思った。


「だとしたら、その名付け主は、相当良い名前を付けたと思うよ」


「はあ……」


 まさかそのような話になると思っていなかったイヌマキは、どうしていいか分からない、しかし妙に心地の良い、くすぐったいような気持ちになっていた。しかしそれも策略の一部なのかもしれないと、気を引き締めてイヌマキは言った。


「あの、私に何か用ですか」


 わざわざ一人になった時に話しかけてきたのだ。なにか意図があるに違いないとイヌマキは踏んでいた。ロクマが奥の院を排斥しようと決めた原因ともいえる人物。彼女がそれを知らないわけがない。


「うーん。まあ、それほど大層なことじゃないんだけど」


 ノノミヤはイヌマキとは対照的にのんびりと話す。それが怪しくもあり、逆に自然すぎるようにも思えた。

「あんた達、諮問委員会に反撃しようとしてるでしょ」


 まさに動と静。ゆったりとした会話のテンポから、いきなり核心に近づき、イヌマキは感情の乱高下を感じざるを得なかった。


「近くの公民館で話してるとこ、見えちゃったんだ」


「あ、あぁ、っと……」


 肯定も、否定もできぬまましどろもどろになるイヌマキを、ノノミヤはふふふと笑う。


「安心してよ、偵察とかじゃないから。ここからは個人として話そう。イヌマキさん」


 罠と考えるのが至極自然ではあることは分かり切っている。しかしイヌマキはこのノノミヤという人間を、どうしてもそんな目で見ることはできなかった。数秒程無言の時間が続く。ノノミヤは変わらず、好意とも嫌悪とも言えない顔でイヌマキを見ている。長い思考の末(とはいっても、時間にすると数秒ほどだっただろう)『直観は信じなさい』というミツメの判断に従い、もう少し彼女と向き合うことを決めたイヌマキ。


「……はい、実は少し」


 イヌマキの言葉に、ノノミヤは驚きも何もないようだった。返ってきたのは、ふうん、という達観したような相槌だけ。


「まあ、急にあんなこと言われたら、怒るのは当然だよね。私だって、理不尽だと思う。だけどもう、諮問委員の裁量権はロクマの一点に集中しちゃってるからねえ。金魚の糞みたいなスガイを除いて、委員会内で彼の意見に賛成する人は少ないんだけど」


 副委員長であるのにもかかわらずノノミヤは、驚くほど正直にすべてを語った。正直すぎて、やはりイヌマキを出し抜くための罠だと思ってしまうほどに。


「話しすぎだって思う? だけど私は別に、彼の味方ってわけじゃない。勝手に副委員長にされたし、……他にも色々と事情があるからね」


 その『事情』についてイヌマキ達が知っているということは、流石に伏せておくことにした。自身のメッセージのやり取りを抜き出されて流出したとなれば、ノノミヤが気の毒になってしまう。


「つまり、何が言いたいのですか。協力してくださるということですか」


 イヌマキの問いに、まさかという風にノノミヤは笑った。


「嫌だよ。別にロクマも嫌いだけど、あんた達が好きなわけでもないしね。でもまあ、あんたたちに恨みがあるわけでもないから言っておいてあげようと思って」


 一月の夜は、ただ外に立っているだけでは寒すぎるようで、イヌマキの足先はだんだんと感覚を失いつつあった。それでも一呼吸おいて、ノノミヤは続ける。


「ロクマを敵に回すのはやめた方が良いよ。これは委員会のためじゃなく、あんた達のためにね。ロクマの学内での人気はもう知ってるでしょ。あの数のフォロワーは、並みの学生じゃ太刀打ちできない程だよ。奥の院の連中は優秀なのかもしれない。それでも、狭義の意味での世間を味方につけられるロクマには敵わない。だから私も協力しないし、あなた達も諦めて、学外でやりなよ」


 イヌマキが気付かぬ内に、二人の間に流れる空気は、浮かれ切った金曜の夜の往来とは対照的で、しんと研ぎ澄まされたものとなっていた。


「それとも、そんなことも顧みないくらい、奥の院の人たちは阿呆なの?」


 ノノミヤの言い方には棘があったが、決してイヌマキ達を馬鹿にしたような言い方ではなかった。イヌマキの目には、不毛なことをただ無駄だと言い張る、合理的な人間として一貫して映っていた。


「……ある意味では、阿呆なのかもしれません。反撃の末に待つものが何なのか、誰もが承知の上なのだろうと思います」


「イヌマキさん、君もそうなの?」


 ノノミヤも流石に寒さを感じてきたようで、頬を赤らめている。それがさらに、彼女の冷酷さを欠く要因となり始めていた。


「私は、たぶん違います。ロクマさんの反感を買うことが、恐ろしくてたまらない」


「最初に会った時も、君だけが無理しているように見えた。他の奴らは、完全に目が座ってたけど、君は迷いがあった。悪いことは言わない。早いこと手を引いて、普通の学生に戻りな。まだ一年生でしょ? それが、今日私が君に話しかけた理由だよ。私の言いたいこと、分かってくれたかな」


「いいえ、分かりません」


 寒々とした空の元、イヌマキの声は凛と透き通って聞こえた。


「奥の院は、怖くないから戦うんじゃありません。その怖さと恐れを活力にして戦うのです。怒りに近いかもしれません。事故物件の霊を叩きのめせるのは、彼らが怖いからじゃない。恐怖を怒りに変える力、それをさらに愉快に昇華させる力が、人一倍強い集団なのです」


 ノノミヤは黙って聞いている。先ほどと変わらぬように、否定も肯定もしない態度で。


「ノノミヤさん。そこを分かってください。恐怖からの反撃がどれだけ手痛いか。そんな人間が、最強であり、最恐であると……。それが、あの阿保サークルで得たことです。」


 北風が吹く。一月の北風はなおの事寒い。すべての生命の火を容易く奪い去るように強く吹く。それでもイヌマキの表情は、たった今世界が朗らかになったかのように活きていた。


「強いんだね、あなた達は」


 尊いものを見るように目を細めてイヌマキを見つめるノノミヤ。イヌマキも話に熱を入れすぎたことを自覚し、更にそれが思った以上に肯定的に捉えられたので、その場で黙って低頭した。


「すみません。熱くなりすぎました」


「寒いのにね。今日は」


 そう言ってノノミヤは笑った。そしてくるりと振り返り、、その場から立ち去ろうと歩みを進める。


「見させてもらうよ。あなた達の恐怖と怒りと愉快が、どんな形でロクマにぶつけられるのかを」


 「じゃあね」と言ったノノミヤは、イヌマキを一度と振り返ろうとはしなかった。



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投稿の頻度が最近下がってしまっています。すみません。

贖罪にしてはしょぼいですがのため、一話の文量は多めです。

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