第四話「老婦人」
ハナが初めてはるかに会ったのは、三年前の冬だった。
病院のデイルームで、窓の外を見ていたら、若い女の子が入ってきた。ボランティアのエプロンをつけて、少し緊張した顔をして。
「こんにちは」と言った。声が、少し震えていた。
ハナは「こんにちは」と返した。
それだけだった。最初は。
はるかは毎週土曜日に来た。
特別なことは何もしなかった。お茶を運んで、話し相手になって、時々一緒にテレビを見た。ただそれだけだった。
でもハナには、それで十分だった。
夫は五年前に死んだ。子供はいない。兄弟は遠くにいる。病院の外に、会いに来てくれる人間が、もういなかった。
はるかが来る土曜日だけ、窓の外が少し明るく見えた。
気のせいだとわかっていた。でも気のせいでよかった。
はるかとは、たくさん話した。
たくさん、といっても、特別なことではない。今日の天気、病院の食事、昔のこと、どうでもいいこと。
ハナが昔の話をすると、はるかはいつも静かに聞いた。
相槌が、丁寧だった。
ハナが話しながら言葉に詰まると、はるかは急かさなかった。ただ待っていた。その待ち方が、心地よかった。
一度だけ、はるかに聞いたことがある。
「どうしてボランティアを?」
はるかは少し考えてから、言った。
「ここに来ると、落ち着くんです」
それだけだった。詳しくは言わなかった。ハナも聞かなかった。
四月の土曜日、はるかが来なかった。
最初は、風邪かと思った。
次の土曜日も、来なかった。
ナースステーションで聞いたら、ボランティアの登録を外れたと言われた。先月、急に。理由はわからない、と看護師は言った。申し訳なさそうな顔をして。
ハナはデイルームに戻って、窓の外を見た。
四月の空だった。きれいな空だった。
三日後、看護師がハナの病室に来た。
「これ、ハナさん宛に届いていました」
白い封筒だった。
病院の住所で、ハナの名前が書いてある。差出人はなかった。でも字を見て、すぐにわかった。
はるかだ。
封を開けた。
ハナさんへ
急にご挨拶もできなくてごめんなさい。
しばらく遠くに行くことになりました。
お体に気をつけてください。
お会いできて、よかったです。
はるかより
短い手紙だった。
ハナは二回読んで、封筒に戻した。
返事を書こうと思った。
でも住所がない。
ハナは看護師に頼んで、便箋と封筒を持ってきてもらった。
机に向かって、書いた。
はるかさんへ
元気にしていますか。
あなたが来てくれる土曜日が、好きでした。
どうかお元気で。
ハナより
書いてから、宛名を書こうとして、止まった。
どこに送ればいいのか、わからない。
看護師に相談したら、ボランティアの登録票に住所があるかもしれない、と言ってくれた。調べてもらったら、あった。
でもそれは、今の住所じゃないかもしれない。
それでも、出してみることにした。
二週間後、封筒が戻ってきた。
表に、赤いスタンプが押されていた。
「あて所に尋ねあたりません」。
ハナは戻ってきた封筒を、しばらく見つめた。
自分が書いた宛名が、そこにある。自分が書いた字で。でも届かなかった。
窓の外で、風が木を揺らしていた。
ハナは戻ってきた封筒を、はるかからの手紙と一緒に、引き出しの中にしまった。
それからも、土曜日が来るたびに、デイルームへ行った。
窓の外を見て、お茶を飲んで、テレビを見た。はるかがいた頃と、同じように。
隣の椅子が、空いている。
別の入院患者が座ることもあった。でもその人が立ち去ると、また空いた。
ハナはその空いた椅子を、見ないようにしていた。
でも時々、見てしまった。
ある土曜日の午後、窓から外を見ていたら、若い女の子が病院の敷地を歩いているのが見えた。
背格好が、はるかに似ていた。
ハナは少し、身を乗り出した。
その子は、病院の入口の前で立ち止まった。
少しの間、入口を見ていた。
それから、引き返していった。
ハナにはわからなかった。
あれがはるかだったのか。それとも全然知らない人だったのか。
遠すぎて、顔が見えなかった。
翌週も、その次の週も、その子は現れなかった。
ハナは引き出しから、戻ってきた封筒を取り出した。
赤いスタンプを見た。
あて所に尋ねあたりません。
はるかには、届かなかった。
でも、書いてよかったと思っていた。
届かなくても、書いたことは、本当だから。
封筒を、また引き出しに戻した。
窓の外で、今日も風が木を揺らしていた。




