4.神殿と貴族
珍しく不機嫌な……いや、いつも不機嫌そうではあるが、今回は本当に忌々しそうな態度を隠さないアレスティオンに付き従って、フィリスは客を迎える。商人との会合では使われない、絢爛な貴賓室である。椅子ひとつ、燭台ひとつとっても美しく、細かな装飾から表面の艶まで段違いである。
その日の客人との話は、いつになく刺々しい雰囲気だった。
「御冗談を、伯爵閣下」
一つも笑っていない目で、神官長は微笑む。
「聖女様は神殿の領分です。いくら閣下といえども、口出しはご遠慮願いたく」
「この国を憂いているが故だというのに?」
豊かな髭を蓄えた壮年の男は、同意が得られないことが信じられないとばかりに片眉を上げる。
「次の巡礼地は既に決まっております。閣下、どうぞこれ以上は」
「その決定の場に、私はいなかったのだがね」
「先月の貴族院での決定です、よもや閣下がご出席なさらなかったとは……誠に残念です」
「……」
伯爵が言いたいのは、要するに己の領地を優先的に回るようにという要求だった。あわよくば先の大聖女のような大結界を、王都のみならず我が土地にも、という意図も透けて見えた。
神官長に付き従ううちに、この手の要求が日常的に入ってきている事も、フィリスは知るようになった。
巡礼の順路、聖女の個人的な訪問、寄進された土地の所有権、果ては神殿の運営に口を挟み、さらには貴族院の意向をもっと汲むように、云々……。時には書簡で、時にはわざわざ乗り付けて、ひどいときには邸宅に呼びつけようとすることすらあった。
あまりに横暴かつ勝手な貴族側の要望にフィリスは辟易し、それを全部はたき落とす神官長の手腕に感心した。
神官長は己の意のままに聖女を働かせ賄賂を受け取り好き勝手している、と思っていた。けれども、もしかするとこうして神殿の独立性、ひいては聖女の身柄を守る盾として、神官長自らが防波堤になっているのではないか。フィリスはそう感じた。
「くどい。神聖なる巡礼と聖女の御技をなんと心得るか」
いよいよ、神官長の態度から恭しさが消えてきた。そろそろ我慢の限界らしい。当然、伯爵は咎めた。
「生意気な口を!」
「生意気にもなりましょう、閣下。聖女は我が神殿の要、その巡礼ともなればどれほどの大事か、聡明な閣下であればお分かりでしょう?信心を示されることも無く法外な要求をなされても、我々としてはお応えできかねる」
涼しい顔をしていた神官長が、口端をわずかに持ち上げる。
「それで、閣下は、一体いかなる信仰を捧げてくださるので?」
「……神職風情が!国防のなんたるかも知らぬくせに!」
激昂した伯爵が立ち上がり、杖を振り上げる。座ったままの神官長に向かって振りかぶった瞬間に、フィリスは間に立った。
ガン、と甲冑の胸元に杖が叩きつけられる。ミシ、と木の枝が割れるときのような音がした。随分と強い力で振るわれたようだ。下手をすれば甲冑がへこんでいるかもしれない。じんとしびれる胸元を気にもとめずにフィリスは眼前へ目を向けた。
気圧されたのか、うっ、と息を呑んだ伯爵は、それを誤魔化すように吐き捨てた。
「神殿の犬ごときが我が前に立ち塞がるとは、無礼な!」
半端な悪態程度ではフィリスは顔色ひとつ変えない。
代わりに神官長が怒気を滲ませた声を出した。
「我が護衛騎士を侮辱するのであれば、それはすなわち私への、ひいては神殿への侮辱行為ですよ」
「何を……」
「ここは神殿、閣下の御威光も神の前では無力でございます故に」
背後で神官長が悪い顔をした、ようだ。目の前の男が顔を引き攣らせたのを見て、フィリスはそう判断した。
「……何が言いたい」
「奇跡を体現する聖女様の座す神殿を真っ向から侮辱するなど、さて、一体、如何なる神罰が降るか」
「な、……」
青ざめ、無言になった相手を見て、フィリスは少しだけ溜飲が下がった。顔には出さないように努めたが。
「やれやれ、あのお方の短気には参るな」
神官長がため息をつく。すっかり機嫌を損ねた伯爵が足音高く去って行ってから、ようやく神官長は椅子に深くもたれた。
「よくやった、騎士殿」
疲れた様子ではあったが、意外なことに神官長は機嫌が良さそうだった。
「あの杖が折れる音を聞いたか? あれは閣下お気に入りの、黒檀で作らせた一級品だ」
神官長が、くくく、と喉を振るわせる。
「まぁ流石に真っ二つとはいかなかったようだが……少なくとも、もう使えまい」
随分と悪い顔で笑うなぁとフィリスは思った。この顔を見ていたら、黒い噂もさもありなんと人々が思うのは、仕方ないかもしれない。
「さて、面倒な用事は終わった」
神官長が勢いよく立ち上がる。その表情は、やけに晴々としていた。
打って変わって、アレスティオンが足早に次の会合へと向かう。フィリスもまた早足でついて行った。
二人が商人用の応接室に入ると、挨拶もそこそこに商人が弾む声で言った。
「神官長さま、例のものが手に入りましてございます」
「例の、だと?まさか……」
商人が、厳かに一本の古酒を掲げる。重々しく口を開いた。
「——24年産、当たり年でございます」
「!」
アレスティオンが目を見開いた。思わず手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めたのを、背後のフィリスは半目で見た。
神官長は取り繕うように咳払いする。
「……それは、寄進……」
「お心付けとしてお納めください」
「そうか、ではありがたく」
「つきましては、神官長さま、秋の祝祭の件でございますが……」
「ああ、そうだったな」
再度咳払いし、神官長はにこりと微笑む。
「秋の大祭は大事な祝事、貴殿ほどの大商会に手配の一端を頼めるのであれば、神も絢爛な祭りにきっとお喜びになられましょう」
「ありがたき幸せにございます」
フィリスは、そっと目を伏せた。なんとか好意的に解釈しようとしては見たものの、だめだった。どう見ても完全に、私利私欲の賄賂だ。この人は古酒に目がないらしい。




