3.便利な小間使い
専属になったことで、フィリスは常に神官長の身辺に侍るようになった。護衛として……のはずが、なぜか雑用を申しつけられることが目に見えて増えた。神官長には、ちゃんと神殿侍従がいる。なのに、フィリスはその侍従の仕事までさせられている。
「あの!」
何度目かの茶を要求されたフィリスは、思い切って口を開いた。
「自分は護衛であり、側仕えではないのですが」
「無駄口を叩くなと言ったはずだが」
「う……」
「早くしろ」
「はい……」
フィリスは肩を落とした。すっかり冷めた繊細なティーポットをそっと持ち上げ、続き部屋で控えている神殿侍従に渡す。
「最近の神官長は大層ご機嫌がようございます」
侍従はそう言って、新しいポットを渡してくれた。
「かといって、これでは……」
「神官長がご機嫌麗しいのが、何よりでございますから」
「……はぁ」
神妙な顔をする侍従にも色々と苦労があるのだろう。確かに不機嫌な神官長はなかなか近寄りがたい……フィリスが思案していると、背中に刺々しい声が刺さった。
「おい、何をモタモタしてる?」
「は、はい、只今!」
フィリスが慌てて振り返るのと、続き部屋の戸がかちゃんと閉じたのはほとんど同時だった。
その日は、聖女の巡礼についての会議であった。貴族や高位の神官たちも集まる中、フィリスは神官長の後ろに控える。
巡礼とは、大結界の外、王都近郊の土地に祝福と浄化、そして魔除けを授けるための神事だ。巡礼先は毎回変わり、特に魔物の被害が起きやすい場所が選ばれる。だが会議の空気を見る限り、どの土地を巡るか、どこに滞在するかは、随分と貴族たちの面子に左右されるものらしい。
大きな地図を広げて話し合う中で、神官長が、巡礼の間の騎士団の配置に変更を申し出た。さりげなく神官長の周りが手厚くなるようにしている……聖女よりも。もちろん神官長と聖女はかなり近い位置にいるので、ひいては聖女の守りを固めていると言えなくもないが。
『相変わらずご自分の保身に熱心だ』という陰口が、密やかに交わされたのが聞こえた。内心同意しかけて、フィリスは、けれど考え直した。
——真の要は神官長だ。ならば、この采配で合っている。
そう考えると、これまで聞いた神官長の黒い噂の一つ、『聖女より自分を優先させようとする』というのも、理由あっての行いに思えてきた。
休みの日、フィリスは一人で鍛錬していた。軽装のまま、木刀を手に基礎的な動きを繰り返すだけの、地味な自主練だ。そのときだった、護衛騎士の宿舎近くまでわざわざ神官長がやってきたのは。
初めは見間違いかと思った。何を言うでもなく、少し離れた場所から見るだけで話しかけてはこない。じっとりした視線で上から下まで眺められて、さすがのフィリスも気になって鍛錬の手を止めた。敬礼するタイミングをすっかり逃してしまったので、今さらだが挨拶をした方がいいのか、このまま気づかなかったふりをするべきか、悩ましい。それにしても、他に誰もいないから騒ぎになっていないが、かなり異様だ。神官長は休みでないはずだが……もう夕刻も過ぎているから、今日の仕事は終わりなのだろうか。そもそも、この人が休みをとっているのを見たことがない、とフィリスは不意に気づいた。
そのうち、神官長はさらに近くまで歩み寄ってきた。近くなると、フィリスはその顔を見上げなくてはならない。
長身だな、と思う。ちょうど頭ひとつ分くらいアレスティオンの方が背が高い。体躯の厚みはフィリスのほうがずっとあるのに。
少し羨ましいな、とフィリスは思う。背が伸びないのは幼少期の栄養が悪かったせいだ、などと、かつて騎士団の医務官に言われて、愕然としたことがある……その分、フィリスは躍起になって体を鍛えたのだ。
アレスティオンの顔を見上げながら、自分が盾になったとき、首から上が守れないな、とフィリスは思った。
「……?!」
突然、アレスティオンが手を伸ばしてきた。ぎゅむ、と胸を……大胸筋を、汗で濡れたシャツ越しに掴まれた。あまりに無遠慮過ぎて、フィリスは反応できないまま固まった。
「……」
無言でむぎゅむぎゅと人の胸筋を持ち上げるように揉む神官長の目が随分と据わっている。さらには両腕を回され、抱きしめるように近寄られる。何を、と思う間もなくガシッと腰回りを掴まれた。あまりに遠慮も気遣いもない触り方だ。
ただ目を丸くしてアレスティオンの顔を見つめるしかできないフィリスは、至近距離の神官長から、ふわ、と香る酒精を感じた。
「……ふん、見た目だけだな。失格だ」
散々好き勝手した挙句、神官長は突き放すようにフィリスから手を引くと、つまらなさそうに吐き捨て、踵を返した。
その後ろ姿が多少よろけているように見えたのは、気のせいではあるまい。呆然と見送り、すっかり姿が見えなくなってようやく、フィリスはハッとした。
「…………な、なんて事を…………!」
今さらのように自分で自分の体を抱きしめ、フィリスはつぶやいた。
酒に酔った神官長が、神殿騎士相手とはいえ他人に無体を働いた……フィリスにはそうとしか思えなかった。賄賂も裏金も吹き飛ぶくらいにろくでもない振る舞いだ。悪徳の極みと言えよう。
「俺だからよかったものの!ここには女性神官も、聖女様も、聖女候補の娘さんたちだっているのに!」
ひとしきり憤慨し、ふと、我に返るように呟く。
「……あと失格って、なんだ?」
よくわからないが、悔しい。フィリスは、ぐ、と唇を噛んだ。
その日、フィリスは聖女と話す機会を得た。数日前の儀式で倒れて以来伏していたが、起き上がれるようになったらしい。偶然にも通りかかった中庭で聖女の姿を認めたフィリスは、サッと側に膝をついた。
「お元気そうな姿を見られて、安心しました」
「ありがとう」
聖女エレノアは、歳に合わない、少女らしからぬ大人びた微笑みを浮かべた。
「また、神官長に迷惑をかけてしまいました」
「迷惑など……」
割れた地面、恐ろしいほど咲き狂う草木、光を放つ魔法陣……あの時の光景を思い出し、フィリスは口ごもってしまった。エレノアが、にこりとした。
「貴方は、ご存知なのですよね」
「……」
何を、とは問われなかった。フィリスは不敬を承知で返事を返さなかったが、それで十分だった。
「……聖女様、その、貴女は今のお立場でよろしいのですか?」
軽んじられているのでは、と案じるフィリスに対し、エレノアはやはり大人びた……齢十三の少女がするには老成した微笑みを浮かべた。
「寝る場所と食べ物に困らない生活を頂いたのです。これ以上望みはありません」
その回答だけで、彼女のこれまでがありありと浮かぶようだった。フィリスは苦々しい表情を浮かべた。神官長は聖女の無欲さにつけ込んでいるのでは、という疑念は晴れない。
「では、神官長から、不躾な扱いを受けたりはしませんか? ええと、その、触られたりとかは……」
「ええ?」
エレノアは、おかしそうに笑った。途端に彼女は年相応に見えた。
「神官長に? ふふふ、面白い事を仰るのね」
あの方はとてもお優しい方です。エレノアはそう続けた。
「私たちにはもちろん、女神官たちにだって決して無理に手を触れたりなんてされません。まぁ、女神官たちを惑わすような言動をされるのは困りますけれど」
おかげで、のぼせ上がる人が後を絶たないのだと言って、エレノアがくすくすと笑う。
フィリスは、胸を撫で下ろすと同時に、じゃあなぜ自分に、と疑問に思った。
「……何より、神官長には想い人がいらっしゃいますから」
「……えっ?」
フィリスが虚をつかれたような顔をしたのを見て、エレノアはまた、年相応の笑みを浮かべた。




