3.貴族院
フィリスが王宮に上がるのは、これが初めてであった。緊張した面持ちのフィリスは、儀礼用の甲冑に身を包み、肩には外套を纏っていた。
「よく似合うじゃないか」
アレスティオンがニヤニヤ笑う。そういうアレスティオンもいつもよりか豪華な装いである。頭からつま先まできちんと整えており、繊細な刺繍が施された長衣は、一目で高い地位にいるとわかる。
フィリスが落ち着かなさげに外套の裾を引っ張った。
「動きづらいのですが……」
「儀礼用というのはそういうものだ」
ますます困り顔になるフィリスを前に、アレスティオンは妙に機嫌がいい。
「貴族院の連中の前でその情けない顔はよしたほうがいいぞ。付け入る隙ありとみて、何を言われるかわからん」
「は、はい」
フィリスは顔に手を当てて目を白黒させ、グッと背筋を伸ばし直す。肩から胸にかけてのベルトの装飾が軽やかな音を立てた。アレスティオンが、ふん、と鼻で笑った。
「まぁ、貴殿は黙って立っているのが仕事だ。精々、怖い顔に見えるよう祈っておくがいい」
「ええ、はい……」
フィリスは、ギュッと眉間に力を入れる。だが、ますます困った顔にしかならず、アレスティオンはとうとう噴き出した。
貴族院とは、選ばれた貴族で構成される、王直属の議会である。議会の内容に基づき王に意見を述べることができるのだ。
「議員は大貴族や領主などで構成される」
「はあ」
「元来は王政に対する諮問機関として生まれた。王に選任、解任の権利がある、という建前だが、顔ぶれは変わらない。実に世襲的だ」
「へぇ……」
「聞いているのか?」
「え、ええ」
アレスティオンからじろりと睨まれ、フィリスは慌てて背筋を伸ばす。豪華な装飾からは身じろぐだけでチャリチャリと音が鳴るので、その度にびくりとしてしまう。
「まあ、基本的には奴らは神殿の権力拡大を懸念しているが、強硬派は少数、穏健派、中立派が大半だ。必ずしも敵対しているわけではない」
「そう、なんですね……」
この一年足らずで二度も命を狙われたとは思えないアレスティオンの発言に、フィリスはあまり納得いっていないようだった。
議長が、柔らかい笑顔で神官長を迎える。
「神官長アルクマイオス閣下、議会へのご出席、感謝いたします」
「お招き感謝いたします。……そういえば今期の議長はカサヴェテス伯がお勤めでしたな」
アレスティオンが眉を上げる。
「ええ。旧知であることは議論の良し悪しには関わりありませんゆえ、くれぐれも」
「お手柔らかに、と言いたいところですが……致し方ありますまい」
カサヴェテス伯……まだ四十前後の若き議長は、かつての筆頭騎士その人であった。
「神殿は何をお考えなのか?」
「別に難しいことは申し上げておりません。あくまで、聖女様のお力添えを務める者を置くという、それ以上でもそれ以下でもない」
「私兵を増やすおつもりか?」
「よく考えてください。増えるのではありません、今ある中から任じるのです。それにあくまで皆、神官です」
カサヴェテス議長が、穏やかに問う。
「閣下、その聖神官なるものは、一体なんのために置くのですか?」
「ですから、聖女様の」
「それはわかりました。何をするための者たちなのです?」
「……浄化です。澱みの対処を専門とするのです」
「それはなぜ?」
「澱み、というものは皆ご存知かと思いますが、改めて申し上げますと、空気の流れの悪い場所、悪意の滞る場所です。それは規模の大小こそあれど、皆一様に瘴気を産み、魔物を産む」
「聖女様というのは、元来感受性の高いお方です。強すぎる澱みに対しては、我々のような者たちよりも余程お加減を悪くなさることが多い。ですが、お勤めのためには澱みに近づかなくてはなりません」
「王都内では、大結界の創設以来余程のことがなければ澱みに接することもございません。それゆえに今までは、巡礼の際にしかこの手の問題は起きなかった」
カサヴェテス議長が、静かに問うた。
「感受性、というものはさておき。澱みに気分を害さない、反応しないようなものが、本当に澱みを浄化できるのですか?」
「ええ。その点はご心配なく」
神官長は自信たっぷりに頷く。
「聖女様は、そのお力があまりにお強い。御不調はそれ故の弊害なのです」
「ところで、夏の巡礼では、不幸にも野盗の襲撃を受けてしまい、予定を繰り上げざるを得ませんでした。それゆえに、西方の巡礼が滞ったままでした」
「それは由々しき問題ですね。ですが、今の話となんの関係が?」
「西方は、元より澱みの少ない平地が多くございます。それゆえに、聖神官の最初の派遣地としてお願いしたく思っております。そこでの働きをご覧いただければ、その必要性についてご理解頂けるかと」
「その聖神官なる者をまだ承認したわけではありません」
議長の言葉と共に、西領の領主も黙って首を振る。アレスティオンが畳み掛けた。
「ですが、夏には行けなかった事ですし……聖神官では不満だとおっしゃるのなら、聖女様直々にお働き頂くことにいたします。冬の巡礼では真っ先に西方へ向かいましょう」
「要請もないのにか? それは神殿側の強行では?」
領主の隣に座った侯爵が、口を挟む。
「澱みはどこでも生まれます。長年聖女様の訪いがない地です、皆喜びましょう」
「巡礼地はすでに定められているはずだ」
「最近は聖女様も随分とお勤めに精力的です」
「だからと言って」
「何にせよ、巡礼は福音です。それをまさか、浄化を拒むなどということはあるまい」
「拒んでなどいない。ただ不要だと申し上げている」
「なぜです? 澱みは深くなればなるほど危険だ。看過はできませんな」
神官長が次第に声を低く、硬くする。その視線は西領の領主に、ひたりと定められている。
「中にはあえて澱みを生むことで、国家の転覆をも狙う不遜の輩もいるやもしれません」
「無礼な! あれはあくまで研究で……っ」
領主の口から研究、のことばが滑り落ちた途端、議会はざわついた。静粛に、と議長が促すが、ささやきは止まらない。一部の議員たちは、黙って腕組みをしている。
なるほど。アレスティオンは目を細めた。
「サマラス伯、その研究、というのを一度議会に説明していただく必要がありますな」
促された西領領主は、キッと議長を睨んだ。
「議長は神殿の肩を持つので?」
「まだ肩を持つとは決めておりませんよ」
「——研究?」
アレスティオンの声がよく通った。
「つまり、意図的に澱みを、作っていると」
渋々、と言わんばかりに領主は抗弁した。
「……作ってなどいない、あくまで管理しているだけだ」
「ほう、そこまでお認めになる?」
——がたん、とアレスティオンの後ろで音がした。
アレスティオンが、振り返る。
それは、フィリスが青ざめて、よろけた音だった。儀礼用の外套の裾を握りしめて、口を硬く引き結んで、けれどその目は見開かれ、管理を口にした議員を見つめていた。




