4.西の澱み
「困ったことになった」
別室で、カサヴェテス伯は口火を切った。目の前には資料が重ねられ、机の向こうには西領のサマラス伯が座っていた。サマラスが顔を上げる。
「ですから議長、あくまで個人的な研究である、と再三申し上げている」
「そうはおっしゃっても、脅威を野放しにしていると見られれば、反逆罪を疑われるのはサマラス伯ですよ」
議事堂に比べると狭い部屋の中は、議員たちでいっぱいだ。
「我が領地は平野が多い農耕地帯だ。澱みの生まれやすい森は少ない」
サマラス伯は手にした何枚かの紙をいじりながら、肩を窄めた。
「開けた土地の中、住人もほとんどいない場所であるなら、魔物の発生とその力についての大掛かりな研究には打って付けだ」
「確かに、土地柄澱みが広がりにくいのは間違いないですが……だからと言って全く無ではありますまい」
「だからこそ、限られた範囲で澱みを管理できているのだ」
議員たちから飛んでくる疑問に答えながら、サマラスがチラチラと一部の議員に目を向ける……助力を乞うように。だが、誰も応えない。
「管理? 本当に?」
アレスティオンが片眉を上げる。手にしているのは、討伐騎士団による報告書の束だ。
「年々、僅かずつではありますが、明らかに討伐された魔物の個体数が増えておりますね」
「それは、騎士団が技量を上げたというだけのこと」
「討伐数がふえているのに、澱みの範囲は当初よりかなり広くなっている」
「それは、研究が進んで規模が大きくなったゆえで……!」
「詭弁ですな」
「ぐっ……」
サマラスがほぞを噛む。
カサヴェテスが、困ったように促した。
「サマラス伯、いくら個人的な研究と言っても限度がありますよ。一体なんの研究をなさっていたのですか? 場合によってはそれこそ国家転覆罪に問われてもおかしくない事態です」
「私は! 国のために!」
「落ち着いて」
「くっ……、私は……」
キッと顔を上げたサマラスの顔は、何か腹を決めたように見えた。
「……あくまで個人の範囲とは申しましたが……実際には、国防を見据えた研究です!」
「サマラス伯?」
「何をおっしゃるのか!」
黙したままだった議員たちから声が飛ぶ。それを睨みながら、サマラスは言葉を続けた。
「澱みを人工的に局所化できれば、敵軍の侵入を防ぐ天然の防壁になるのではないか、というのが当初の目的でした」
次に、サマラスはアレスティオンを睨む。
「大結界は、神殿の権力の礎だ。これに頼らざるを得ない現状では、神殿が好き勝手するのを止めようがない。新しい力を欲したのは、当然の懸念だろう」
議員たちが次々に口をひらく。非難、追従、あらゆる意見が同時にわっと狭い会議室を埋める。
カサヴェテスが片手をあげて静粛を促した。
「……なるほど、よくわかりました」
それから、アレスティオンを見る。
「さて、貴殿はいかようにお考えか?」
「……馬鹿馬鹿しい、と言いたいところだが、一旦事実だけを」
アレスティオンは、紙束を机の上に静かに置いた。
「ある程度の数以下になるよう、討伐騎士が滞在して魔物の数を調整していた。それはわかった。だが、濃くなった澱みから生まれた魔物は強くなり、強い魔物を倒すとその死骸からは濃い澱みが生まれ、そしてまた短時間で魔物が生じるようになる……より強い魔物が」
アレスティオンの目がサマラスを見る。それから、おそらくこの実験を知っていたであろう議員たちの方へも。
「いくら魔物を倒し続けても、神力による浄化が行われなければそれは決して消えることはない。澱みは広がり続け、遠くないうちに手に負えなくなるでしょうな」
また、ざわめきがおきた。
議会の外で、フィリスはまだ呆然と座り込んでいた。アレスティオンからは、ここにいろと言われたのだ。会議が一時中断されて以来、議員たちもアレスティオンも、小会議室にこもったままだ。
部屋から、証人として呼ばれたストラトスが出てきた。フィリスは、ハッと顔を上げ、立ち上がる。
「フィリスか」
「ストラトス卿……」
礼を取るのも忘れ、フィリスはストラトスを見上げた。
「澱みの件、ご存じだったのですか……」
「もちろんだとも」
「……!」
フィリスが短く息を呑んだ。ストラトスは、腕組みし顎を撫でた。
「澱みより生まれる魔物の対処は、我々が最も適任であるからな。ゆくゆくは国防を担う試みであるというし」
「……」
「澱みは常に、我が騎士団の中でも腕利きが監視の目を光らせている」
「監、視……」
「なにより、魔物討伐の訓練にもうってつけだ」
「訓練……」
「騎士団が協力するようになって以来、一度も被害は出していない。防波堤として役立つかは未知数だが、いつまでも聖女様の大結界に頼り切りでは国防としては心許ないという言い分も尤もである。王都外、辺境の守りを担うのは辺境軍や王立騎士団の派兵だけだ。独自の技術を持って……」
「魔物を、防波堤に?」
フィリスが呆然と呟く。ストラトスは些か困ったように片眉を上げた。
「……異議はわかるが、あるものは使いたくなるのが人情だろう。幸い、事故は一度も……」
「一度、たった一度でも起きれば、どうなるかご存じなのですか?」
「おい、さすがの貴殿でもそれは口が過ぎるぞ。討伐騎士団が知らぬわけなかろう」
「……本当に、知っているのですか?」
「何が言いたい?」
フィリスは、唇を震わせた。その顔は青白く、今にも倒れそうに見えた。浅い息を何度も繰り返し、言葉を選ぼうとするように唇を噛み、けれど結局何も出てこなかった。
議会の再開を告げる鐘が鳴る。
「どうした、貴殿らしくない……大丈夫か?」
「……」
訝しげなストラトスにも応えられず、フィリスは、のろのろと踵を返した。小会議室から出てきていたアレスティオンの元へ戻る。
アレスティオンは何も言わず議会へ向かって歩き出し、フィリスもまた、無言で後ろに続いた。




