8.祝祭の終わり
奇跡をもたらす神への感謝を捧げる祝祭は、三日間続いた。
未婚の貴族女性による舞の奉納や楽団の演奏が優雅で煌びやかな祝祭の雰囲気を盛り上げ、神殿騎士団による演武や模擬戦が勇壮な力を誇示した。
商業連主導の花籠展示では、花に見立てた色紙で作った花籠飾りと呼ばれる薬玉や折り紙の花で、大通りの全ての店先が飾り立てられている。華やかな様相は、ただ歩くだけでも人々の気持ちを高揚させた。
歓声と熱狂の気配を微かに残したまま、三日目の日が暮れてゆく。
名残惜しそうに窓から見える大通りを眺めていたエレノアは、女神官から呼ばれて振り返る。
「エレノア様、閉式の儀の準備が整いました」
「はい、すぐに」
外では、神官長と、その護衛であるフィリスが待っていた。
「お待たせしました」
エレノアがぺこりと頭を下げると、神官長とフィリスが揃って一礼する。
「聖女様におかれましては、いよいよ祝祭最後の一仕事となります。どうか、つつがなく」
「はい、もちろんです」
神官長の言葉にエレノアは頷く。神官長の顔を見上げるエレノアの目は、以前よりもずっと、自信に満ちていた。アレスティオンが、ふと微笑んだ。
「……今回は、私の助力は不要そうだ」
そっと囁く神官長に、エレノアは目を見張る。
「えっ、でも、私……」
「大丈夫。聖女様なら必ずや、やり遂げられます」
「う、うう……」
にこり、と笑う神官長からは、生徒に有無を言わせぬ教師のような厳しさが滲む。エレノアは眉を思い切り下げた。だが、すぐに頭を振って、頑張ります、と返す。
「い、い、行ってまいります!」
そう言って、二人の間を通り抜け、大神殿へと向かう。その足取りはいつもより大股で、両腕も気合が入りすぎなくらいに大きく振っている。
その背中を見守りながら、フィリスは声を顰めた。
「……良いのですか? 神官長」
「良い」
アレスティオンはあっさりと頷く。
「それに、祝祭の終わりには、派手な演出よりも彼女本来の静かな力の方が適任だ」
「ああ……たしかに。そうですね」
フィリスは、始まりの祝祭の儀を、そして中庭で花を前にしたエレノアの奇跡を思い出していた。それから歩き出したアレスティオンに付き従い、エレノアの後を追った。
エレノアの喚んだ風が、ゆらりと大神殿を通り抜け、王都へと流れてゆく。
熱に浮かれた街中を静かに宥めるような、柔らかな祝福の風だった。
神殿の鐘が厳かに鳴らされる。
こうして、三日間続いた祝祭は終わった。
その夜、アレスティオンは自室で『寄進』のワインを傾けていた。
ぐいっと一気に飲み干してから、上機嫌に空のグラスを掲げる。
「素晴らしい! いやあ、これがあるからこの商会は良いのだ!」
ソファーの隣で座るフィリスは、もはや苦笑いしかしない。
「おい、せっかくの模擬戦に貴殿は出なかったらしいじゃないか」
手酌で次の一杯をそそぎながら、アレスティオンはフィリスを横目で見た。
「……もしや、私が専属にしてるから何か不都合があったのか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
笑って首を振ったフィリスは、だがすぐに、視線を下げた。
「実は……模擬戦の話を聞いて早々に出禁を言い渡されてしまいました……賭けが成立しないから、と」
言いながら、フィリスの声はどんどん萎んでいく。
「神事で賭け事だと! 馬鹿どもめ!」
アレスティオンは一度憤慨して見せたものの、すぐに大きな声でわははは、と笑い始めた。
「一度くらい出てみたかったのですが……」
「ははは! なんと骨のない連中だ!」
しょんぼりしたフィリスの顔を見てアレスティオンは手を打って笑い、またグラスの中身を飲み干した。
夜更けになり、フィリスは、いつも通り酔った神官長を寝台に転がした。ぼすん、と枕に顔ごと沈み、ウニャウニャと何事か抗議するアレスティオンからは、昼間の威厳も何もかも消えている。
「はいはい、寝てください。祝祭の間、ずっと気を張ってらしたんだから」
フィリスは宥めすかすように背中を叩き、上掛けをかけた。返事をするようにアレスティオンが何か……こもっていて何もわからないが……を言って、その手が空を泳いだ。アレスティオンの手が、フィリスの腕を掴む。
「……!」
今日は、勧められるままに飲んでしまったから、フィリスもちょっとだけ眩暈がするような気がした。だから、いつもなら適当にいなせるのに、今日はあっさりと捕まってしまった。
「うわ、もう……」
まるきりぬいぐるみかなにかのようにしっかりと抱え込まれて抜けられない。——いや、頑張れば外せる、とフィリスは思い直す。
ことん、と胸に頭を預ける。アレスティオンの胸から、心臓の音がよく聞こえた。生きている音だ。ほんの数ヶ月前、夏の巡礼にて失われかけた、命の音。
「……」
今日はもうこのままでいいかなとフィリスは思った。祝祭の夜だ。特別な日。少しくらい、いつもと違ったって良い。酔っているな、とフィリスは思う。たまにはいいかとも思う。
伸び上がるように体を起こすと、抵抗するようにぐいと服の裾を引かれた。眉根を寄せた顔のアレスティオンが、まるでむずがる子供のように見えてフィリスは苦笑した。それからフィリスは、アレスティオンの額にそっと唇を落とす。
「……おやすみなさい、良い夢を」
かつて父母がそうしてくれた。懐かしい記憶だ。幸せだった、そうとはまだ知らなかった頃の記憶。とっくに失われた優しい思い出だ。
抱えられた腕に逆らわず、フィリスは懐に潜り込むように丸くなった。またアレスティオンの心音が聞こえる。それを聞いているだけで、安心した。暖かさに包まれて鼓動の音に耳を澄ませているうちに、うとうとと瞼が重たくなっていった。
アレスティオンは、目を開けた。酒精で蕩けていた脳みそが、衝撃のあまり目覚めていた。自分が何をしっかり抱え込んでいるか、確認するまでもないのがこわい。片方の手を、恐る恐る額に当てた。まだそこに何か、残っているかのように。
「……は?」




