7.フィリスの資質
誰もいない小神殿、二人は揃って息を吐いた。なんとなく目を見合わせ、それからすぐに逸らした。
「……首の、傷は?」
しばしの沈黙のあと、アレスティオンがボソリと聞いた。どうやら血は止まっているようだが、ベタリと赤に汚れた首元は心臓に悪い。
「あ、いえ、大したものではないので……」
「また自分の身を投げ出したのか?」
「……う」
不機嫌な声に詰問されたフィリスは口籠る。
「貴殿は私の護衛騎士なのだから、私の許可なく勝手に命を差し出すようなことをするな」
「は、はい……」
フィリスが素直に頷いたのを見て、アレスティオンはひとまず溜飲を下げた。話は終わったとばかりに明後日の方を向いたアレスティオンに向け、今度はフィリスが口火を切った。
「あの、神官長……いえ、アレスティオンさま」
「な、……なんだ」
肩がぴくりと跳ねる。
「何を隠しているか、教えてください」
「……なんのことだ」
「ずっと何かに焦っておられましたよね。祝祭の準備もそっちのけで、エレノア様がいるのに聖女探しを始めて……どうしてですか?」
「……!」
見抜かれていた、とアレスティオンは奥歯を噛んだ。隠し事そのものでなく、焦燥に駆られていた事に。仕方なくボソボソと話し始める。
「……次代の聖女を、もっと適性のある聖女を探そうとしていた」
「なぜですか?エレノア様はご自身で奇跡を扱えるようになりました。焦る必要は無くなったのでは?」
「……それ、は」
アレスティオンは、フィリスに目をやる。つい先ほど、遙か上の実力者と対峙し、どこにもいかないと高らかに宣言した騎士を。
「それは……貴殿が……」
「自分が?」
首を傾げるフィリスを見ていられなくて、アレスティオンは視線を逸らした。
なぜ焦っていたのか。なぜ、言いたくなかったのか。なぜ……フィリスにだけは、知られたくなかったのか。答えのない感情だけが、理論を排した奥底に残っていた。それでも、いよいよアレスティオンは言わなくてはならないと思った。この男は、何も話さず、信頼を損なうばかりの自分を守るために、ここに残ると言ったのだ。そのせめてもの返礼だ。
「——貴殿には、資質がある。聖女としての」
「…………え?」
フィリスは、アレスティオンの言葉を噛み締めるように黙ったあと、おずおずと口を開く。
「……それは、つまり」
「聖女たり得る能力がある。今までの私が無視していた力だ。だが、もしかすると一番重要かもしれない」
言いながら、アレスティオンは項垂れた。自分の愚かな勘違いで、大事な要素をずっと見落とし続けていたのだ。そしてようやくそのことに気づかせられた。よりにもよって、フィリスに。何よりもそのことが一番堪えた。
フィリスはしばらく無言でいた。さすがのフィリスも、予想外だったらしい。驚いて当然だ……と、アレスティオンが考えていると、フィリスは再び首を傾げた。
「それは……それはよかったです。ですが、なぜ焦っていたのですか? 何か良くない資質でしたか?」
「……」
アレスティオンは額を抑えた。
「あ、では自分に資質があるなら、貴方の代わりになれるのですか?」
「馬鹿を言うな!」
あっさりと、一番危惧していたことを言い放つフィリスに向かって、アレスティオンは叱責するように声を荒げた。
「朝から晩まで寝る間を惜しんで祈り続けて、それでもなんとか大結界を維持するのが精一杯だ、それも数年持たず死ぬだろうさ」
「そう、ですか……」
フィリスは項垂れ、すぐに顔を上げた。
「では、エレノア様の代わりにはなりませんか? あの子を、少しだけでも聖女の役目から離してあげられないのでしょうか……」
「なるものか! あの子は貴殿よりもよほど神力の器が大きいのだ! 貴殿は確かに資質がある、それは認めよう。だが神力の受け皿としては凡俗もいいところだ」
「では、では、彼女が苦手とする浄化だけでも、自分にさせてください。エレノア様と違って、澱みの前にいても自分は平気ですから」
「馬鹿をいうな。澱みは大きさも濃さも多種多様だ、貴殿では力の足りないような強い澱みだってある」
「でも、そんな強い澱みなら尚更エレノア様がお辛くなります」
フィリスはさらに言葉を募り、ついには核心を突くようなことまで言った。
「そもそも、神官長の前で聖女の代わりをするだけなら、誰でも……俺でも良いのでは?」
「それは……!」
フィリスでもエレノアの代わりにできる。それはその通りだ。アレスティオンは歯噛みした。ただアレスティオン経由で神力を通すだけで、奇跡の実態はアレスティオンだ。今までと同じだ、聖女自身に強い資質は必要ない。ただし、神力を受ける器が小さいフィリスの消耗度合いは、エレノアより大きいだろう。
「だが、前例がないぞ、男の聖女など……!」
言いながら、今更だ、とアレスティオンは自嘲した。とっくに聖女の役割はアレスティオンが請け負っている。もう八年も。表沙汰にしていないだけだ。
それを今更フィリスに代替するのなら、始めからアレスティオンが立てば良い話だ。
「俺では、役に立てませんか……?」
「だから、……っ!」
役に立てたくないから悩んでいるのだ、と口にしそうになって慌てて口を噤む。頭をどうにか働かせ、フィリスを諦めさせる言葉を探す。
「そもそも、澱みだけを請け負うなどと、どうするつもりだ。巡礼だけ貴殿が回るのか?」
「あ、いえ……巡礼はエレノア様がやりたがっていて……」
「ではなんだ、澱みだけを回る役目でもするのか? そんな事……」
アレスティオンは、何か引っかかりを感じて口籠る。フィリスは畳み掛けた。
「でも澱みの浄化だけなら、聖女巡礼を待たずとも報告があった時に行けます。聖女様は今まで通り治癒や祝福を」
「そんな事できるものか! 聖女でないものが浄化を担うとなれば、混乱が起きる。神殿の権威も大暴落だ!」
言いながら、アレスティオンは自問する。神殿の権威、混乱、……本当にそうなのか?
「では、自分が聖女として立つならできるのですか?」
「『聖女』を一度に二人も立てるのか? そんなことが許されると思うか?」
許されない……少なくとも神殿の上層部は嫌がるだろう。前例のない事だ。だからこそアレスティオンは自分の事を隠蔽した。面倒を避けるために。だが、実際に試してみたことはない。
「なぜ聖女が複数いてはいけないのですか?」
「なぜって、……」
ついにアレスティオンは首を傾げた。
「そんなことをすれば……」
言いながら、さらに内心で首を傾げた。
——なぜだろうか、悪くない気がする
神殿の権威、それは保たねば、貴族院に付け入る隙を与えることになる。だが、このまま次代としてエレノアを立て続けるとしても、エレノア一人で全てを請け負うことはできないだろう。そうしているうちに、十年が来る。
アレスティオンが聖女の代打として立ってから、もう既に八年が過ぎた。アレスティオンに全てをひっかぶせた大聖女の、勝ち誇ったような顔が浮かぶ。
——君が私から取り上げた十年を、返してもらうぞ
——十年、精々代わりを務めると良い
あれからずっと探し続けているのに、代わりになる者は、いまだ見つからない。
「クソッ……」
頭が回らない、いや、回りすぎる。フィリスを説得しなければいけないのに、他のことが気になり出してしまった。何故神殿は今の仕組みになった? 何故崩してはいけない? 何故聖女は一人でなくてはならないのか……。
「いや、待て。いやいや……」
「神官長?」
「浄化と、祝福と、治癒を分ける?」
アレスティオンは、目の前のフィリスの事を忘れて、ひとりごちた。
——聖女の力で起こす奇跡は、大別すると「治癒」「浄化」「祝福」の三つだ。それをもし、一人一人に分けたらどうなる?
「資質はあるが感受性が低いものを浄化に当てれば、不調での中断がなくなる」
「治癒だけを行う者がいれば、並行して浄化と祝福をすれば、巡礼の期間は今よりずっと短くなる」
「三人、……いやもっと増やすことができるなら」
「そもそも巡礼だけを請け負う集団を立てれば」
「それならば、大結界の維持だけを担う集団を用意すれば……」
「神官長……?」
ぶつぶつと呟き始めたアレスティオンの顔を、フィリスが不思議そうに覗き込む。途端、アレスティオンはパッと顔を明るくした。
「おい、フィリス! よくやった!!」
「え、え」
アレスティオンは、フィリスに勢いよく抱きついた。自分の胸元で混乱した顔をしているフィリスの頭を、わしゃわしゃと撫で回す。
「な、なんですか?」
「新しい方法だ!」
困惑するフィリスの顔をバシン、と両手で挟んで上向かせた。
「貴殿のおかげで妙案が浮かんだ!」
「はぁ……」
「よし、こんな事をしてる場合じゃないぞフィリス! 早く草案を整理して……ああっ、そういえば祝祭がまだあるんだったな……クソッ、時間が惜しい……」
さっきまで言い合っていたのが嘘のようだ。アレスティオンはすっかり上機嫌だった。フィリスは、足取り軽く執務室に帰ろうとするアレスティオンを、慌てて追いかけた。




