6.一騎討ち
祝祭の最中、神官長が一人小神殿に籠っているらしい。その知らせを聞いて、ストラトスは眉を上げた。
「見え透いた罠だな。だが絶好の機会であるのは確かだ」
「そのようです」
「では私も行こう。少々やりたいことがあってね」
ストラトスは、手早く帯剣し、甲冑の上から黒の長衣を羽織った。黒衣の男が、覆面の下から戸惑った声を出す。
「卿、遊んでいる場合では……」
「なに、せっかくの祝祭だ。楽しみの一つくらい良いではないか」
黒衣の男は、仕方ないとばかりに息を吐いた。
祝祭の裏側で、ひっそりと静まり返った小神殿の前に、フィリスは立っていた。
「やはり立ち塞がるか、フィリス」
ストラトスは、知らず口端をあげていた。
フィリスの静かな表情が、参道に据えられた灯籠からの光に照らされている。
「来てほしくありませんでした、ストラトス卿」
「私は期待していたよ、貴殿と対峙できるのを」
「……」
フィリスが、無言で剣を抜く。刃がわずかな光を反射し、夜の中に白々と浮かぶ。
ストラトスも迷いなく抜剣し、纏っていた長衣を肩から落とす。
「其方らは手を出すなよ」
「は……」
ストラトスは背後の黒衣の男らに向かって言い含め、下段に構えた剣先を、微かに揺らす——そちらから来い、と呼ぶように。
フィリスが地面を蹴った。一足で懐まで潜ろうとするかのように低い姿勢で飛び込んで来るのを、ストラトスは一歩下がりながら剣の腹で受けた。
ガキン、と金属音が立つ。
「——!」
間近で、互いの視線が一瞬だけぴたりと合い、即座に距離を取った。
「驚いた。今私を殺そうとしたな」
ストラトスが目を見開いたままニヤリと口元を歪める。フィリスが剣を構えたまま、困惑したように眉を下げる。
「ええと、それはその、襲撃されているので……」
「ふはっ!」
あまりに愚直な言葉に、ストラトスは思わず笑った。
「それに、本気で挑まないと、勝てませんから」
フィリスは笑わなかった。柄を握る手に再び力を込める。
「ははは! ……なるほど、それが強さの秘密か」
得心がいったようなストラトスとは対照的に、フィリスが首を傾げる。
「必要なら殺せる、貴殿はそれができる。言うは易いが、本当にそれができる者は少ない」
ストラトスが顎を撫でながら深々と息を吐いた。
「ますます欲しいな、貴殿はいい討伐騎士になれる」
「自分は……」
決めかねているのか、視線が揺らぐ。その隙に今度はストラトスから仕掛けた。空を割く勢いで突き出された剣先を、フィリスは僅かな体重移動で避ける。次いで、ストラトスの開いた喉元へ肉薄する。刺突の姿勢から一瞬で手首を返したストラトスの刃が、フィリスを襲う。腕甲でかろうじて受けたが、フィリスの体はそのまま弾かれるように地に転がされた。受け身をとって転がるフィリスへと、追撃するストラトスの剣先が鋭く閃く。
どうにか距離をとって起き上がるフィリスの顔には、焦りと、微かな高揚が滲んでいた。
「うまく避けたな、さすがだ」
ストラトスは獰猛に笑った。
「だが次はどうだ?」
再び突進すると、フィリスが膝をついた姿勢のまま剣を構えて受けた。ガン、と激しい金属音が響く。すぐさま立ち上がるフィリスに、雪崩のような剣戟が降りかかる。ガキン、ガキン、と続け様に剣が鳴った。ストラトスの振るう一撃一撃が、フィリスの剣に重く噛み付く。フィリスの刃を折り取ろうとするかのように。
いかに鍛えた騎士であっても、体格が大きく違う。まともに打ち合えば押し負ける……それはフィリスもわかっているらしい。ストラトスの猛攻をいなしてはいるが、フィリスは少しずつ下がるしかない。後ろには小神殿……逃げ道は、無い。
「さぁ、どうする?!」
「……俺は、……っ!」
フィリスが大きく剣を振った。一見ヤケを起こしたかのような乱暴な動きだが、ストラトスは違わず剣を引いて下がった。そうでなければ、こちらの勢いを利用されて剣が弾き飛ばされたであろう。
距離が空いた隙に、再びフィリスは剣を構え直した。顎まで滴る汗を手甲で乱暴に拭う。
「俺は討伐騎士にはなりません」
フィリスは、キッパリと言った。
「俺は、ここに居たいのです」
「何故だっ?」
吠えるように、挑むように、ストラトスが尋ねる。
フィリスは、笑った。晴れやかに。
「『聖女』を守る騎士に、なりたかったんです」
「……!」
ストラトスが、虚を突かれたような顔になる。それから、そうか、と静かに言うと剣を下げる。その瞳に、理解の色が広がった。
「……そうか、ならば仕方あるまいな」
「ええ」
二人は再び剣を構え直した。
——ずっと、聖女を守る騎士になりたかった
——それが叶っている今、何を迷う必要があるのだろうか
フィリスの胸の中にあった薄暗い靄は、いつのまにか消えていた。
剣を打ち合えば打ち合うほどに、内心が一つに固まっていくようだった。
何度目かの剣戟をいなして、また二人同時に距離を取る。
ストラトスは歯を剥いて笑っていた。その額に汗が滲んでいる。だが、まだ余裕があるようだ。討伐騎士団団長の名は伊達ではない。先日模擬戦で戦った騎士団精鋭とはまた別格の強さだ。
だが、フィリスはその強さを欲しいと思わない自分に気がついた。
——強くなりたいのではない。ただ神官長を、アレスティオンを充分に守れる盾になりたいだけなのだ
打ち合いながら、フィリスの心は凪いでいた。自分の心の内がどこまでも見えるようだ。まるで雲ひとつない青空のように。
——国ごと守るよりも、ただ一人に寄り添いたい。
——酔って正体をなくす人の世話までしてやれるような人間でなければ。日夜身をすり減らす人に、いかにも悪辣なことを言われても、笑って付き従えるようでなければ。
——あの人の側にいるものは、そうでなければいけないのだ
「——っ!」
ついに、フィリスの剣が、手から弾かれた。勝った、と顔に書いたストラトスが、すかさず長剣をフィリスに向ける。だが、喉元に剣先を突きつけられるのにも構わず、フィリスは即座に腰から小剣を抜いた。崩れかけた体勢をかろうじて立て直し、躊躇いもなく一歩前へ出た。
「待て! 待て待て待て、勝負はついた!」
ストラトスが慌てて剣を引いた。
「えっ?」
「これ以上は死ぬだろうが、やめんか!」
「ですが……」
「あぁっ、クソ……もう良い! 今夜は諦める、だからもうよせ」
「……はい」
フィリスが、困惑した顔で首元の血を拭いながら、小剣を仕舞う。
「全く……とんでもないやつだな。いやはや、実に惜しい事だ……」
ストラトスが頭を掻き、それから剣を納めるとフィリスに手を差し出した。
「……」
フィリスが、戸惑いながらその手を取ると、勢いよく地面に引き上げられた。
その時、小神殿の扉が開いた。
「——ようやく終わったか」
アレスティオンが、ゆっくりと芝を踏みしめながら二人に近づいてきた。途中、フィリスの首元の血をチラリと見て、眉を顰めた。だが、すぐにストラトスの方を向いた。
「どうやら見え透いた罠でも、餌が良いと食いつきがいいようだ」
アレスティオンは、ストラトスを冷たい目で見た。
「なるほど……してやられたな」
ストラトスは苦く笑う。
「わざわざ私を引き摺り出すために、フィリスを置いたな」
「この者は私の騎士だ。私の側に置くのは当然だろう?」
「まぁいい、まんまと釣られたのはこちらの落ち度だ」
「満足そうだなストラトス卿。よほど一騎打ちが楽しかったと見える」
「ああ……久しぶりに血が沸いた」
ニヤリと笑って見せるストラトス。アレスティオンは、相変わらず冷たい眼差しのままだった。
「それにしても解せんな。ストラトス卿、何故貴殿ほどの騎士が貴族院の子飼いのような真似をしている?」
「子飼いだと?」
ストラトスが侮辱に反応して睨み据える。だが、アレスティオンは白けた顔をしていた。
「気づいていないのか、貴殿は」
「何?」
「私を狙うのはまぁ、良い。そうされるだけのことはしているからな。だが、私の息がかかった聖女というだけで小娘までも亡き者にしようとは、見下げ果てる」
「なんだと? ……私に聖女を狙う理由などないが?」
「なら、そこの子飼いに聞くといい」
アレスティオンがあざ笑う。
黒衣の一人が側に侍る。
「ストラトス卿、聖女諸共という話では?」
「誰がそんなことを?!」
その時、背後で控えていた黒衣の男が、呆然と呟いた。
「あの書簡は、卿のものではなかったのですか……」
「書簡だと? 誰がそんなもの……いや、まて、私の書簡の捏造……? そんなことを……誰ができる……?」
ストラトスの声に、不審と怒りが滲む。
「クソっ……やられた……貴族院の連中め……」
ストラトスが、苛立ちまぎれに剣を地面に突き立てる。
アレスティオンは呆れたようなため息をついた。
「無様だな、ストラトス卿」
「それ以上言うな。貴殿を今すぐ斬りたくなる」
「できるのか?」
嘲笑うアレスティオンを噛みつきそうな顔で睨みつけたストラトス。だが、フィリスが腰の剣に手を伸ばすのをチラと見て、ストラトスはため息をついて肩の力を抜いた。
「許せ、フィリス。今のは八つ当たりの戯言だ」
「いえ、構いません」
「おい、それは私に言うべきではないのか?」
アレスティオンは無視された。




