5.祝祭の始まり
祝祭が始まった。
昼間の空に花火が上がる音が響き、紙吹雪が飛ぶ。
各地の貴族や領主たちの乗る馬車が次々と王都に集まる様は、ある種のパレードのようであった。
年老いた神殿長が開式の挨拶をし、国王による祝辞が述べられた。群衆から拍手と歓声が飛ぶ。
王宮関連の行事について、アレスティオンはその全てを神殿長に任せることにした。
「では猊下、あとはよろしくお願いします」
「少しくらい請け負ってくれてもバチは当たるまい?」
「とんでもない、私如きに猊下の代わりなど務まりません」
「相変わらず良く回る口だの……」
神殿長は、半目で嫌味を言うが、アレスティオンは素知らぬフリをして聞き流した。
この時期は大神殿は常に催しのために開かれている。と言ってもほとんどが王侯貴族の関係者だが。敷地内にも、いつもより人が多い。
フィリスは、神殿内で迷っている風の婦人を見かけた。上等な布地で作られた衣服を見るまでもなく、その立ち振る舞いだけで貴人であると見て取れる。腕には小さな子どもを抱いていた。
「どうかされましたか、ご婦人」
「ああ……これは神殿騎士殿。少し、迷ってしまって」
婦人は、甲冑に身を包んだフィリスに臆することもなく微笑み返す。腕の中の子どもが、母の服をしっかりと握りながら目をいっぱいに開いてフィリスを見ているのが可笑しかった。
「よろしければ、ご案内します」
「ありがとう、では頼みます」
二人は歩き始めた。先頭を行くフィリスの耳に、幼子の小さな声が聞こえる。
「かぁたま、がしゃんがしゃん」
「ああ、がしゃんがしゃん、だねえ」
子供に合わせて婦人が笑う声がした。
「……申し訳ありません、うるさくて」
「構いません、懐かしい音だ」
フィリスは、チラリと後ろを振り返る。
「以前も、こちらへ?」
「我が夫は、かつてここの騎士でね」
「なるほど……」
程なくして大神殿に向かう広い通路に出ると、同時に人々のざわめきも近づいてきた。
「こちらから真っ直ぐ行けば、すぐに大神殿が見えます」
「ありがとう。神殿騎士に世話になったと、夫によく伝えておくよ」
「いえ、お気遣いなく」
その時、向こうから神官長が歩いてくるのが見えた。共も連れずに。また一人で行動している、とフィリスは思ったが、こうして一時とは言え護衛任務から離れている自分に言えた義理はない。
アレスティオンは、フィリスに気づくと少し気まずそうな顔をした。だが、隣に立つ婦人の顔をみるなり、ギョッとして後ずさる。らしからぬ様子に、フィリスは首を傾げる。
アレスティオンが、声を張り上げた。
「タリアか?! 何をしてるこんなところで!!」
「アレスじゃないか。元気そうでなにより」
明るい婦人の応答に、アレスティオンはまるで威嚇する猫のように肩を怒らせた。
「な、な、何が元気だ、元気であるものかっ! この疫病神めっ!」
「おお、怖い。まだ根に持っているのか? 君も大概、了見の狭い奴だな」
「貴様っ、言わせておけば……!」
怒りか何かで二の句が告げなくなっているアレスティオンに対し、婦人は、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「さて、どうだ? さぞかし楽しかろう、『聖女』の仕事というやつは……」
「こ、この……!」
ますます絶句するアレスティオンを見て、婦人がくくく、と低く笑う。フィリスは首を傾げ、それから、おずおずと問いかけた。
「あの、もしやとおもいますが……貴女はかの大聖女様でいらっしゃるのでしょうか……?」
思い描いていた大聖女とは随分と違うあまり、つい疑問符がついてしまった。
婦人は再びニヤリと笑った。貴婦人にはそぐわない、活発な悪戯っ子のような笑みだった。
「元、だよ、騎士殿。今はしがない奥方でしかない」
「伯爵位が、どの口で!」
「邪魔しないでくれないか、アレス。今はこちらのかわいい騎士殿と話してるんだ」
かわいい……とは? とフィリスは思ったが、口を閉じたままでいた。婦人に逆らうのはやめた方がよさそうな雰囲気をひしひしと感じていた。
「フィリスから離れろ、余計なことを言うんじゃないぞ」
「おお怖。……専属にしてるって言うからどんな者かと思っていたが、君は好みがわかりやすいなぁ。今代の聖女様といい、純朴なものに弱すぎる」
「余計なことを言うなと今言ったぞ!」
その時、腕に抱かれていた子供が、できる限りのヒソヒソ声で婦人に耳打ちした。
「かぁたま、こあいおこえよ……」
「ああ、ごめんね、可愛い子。このおじさんが喧嘩をふっかけてくるものだから、つい」
「誰がっ……クソッ」
子供の前と思い直したのか、渋々アレスティオンが引き下がった。婦人は優雅に一礼する。
「それでは、これで失礼するよ。離席が長いと夫が心配する」
「早く行け!いなくなれ!」
「ガキめ、大人になれ」
おかしそうに笑って、身を翻した婦人は手をひらひらと動かす。振り向きざまに、アレスティオンに向かって言った。
「——あと二年だ。精々頑張りたまえ」
「早くいけと言っただろう!」
廊下に、快活な笑い声がこだまする。
そうして元大聖女にして現伯爵婦人は、去っていった。
肩で息をする神官長を、意外なものを見る目でフィリスは見た。
「何見てる」
「いえ。大丈夫ですか?」
「……あぁ」
相変わらずだ、奴は。そう神官長がつぶやく。どことなく苛立ちとも違う、郷愁の響きがあった。
「随分と気安くお話しされるんですね」
「前に言っただろう、幼馴染だ。気安くもなる……気取った話し方をする方が難しい」
「そうですか……」
知らないアレスティオンを垣間見た。そのことがフィリスの中に、ささくれのような何かを残した。
「それより、どこへいっていた」
「申し訳ありません、エレノア様に呼ばれて……」
「またか。専属護衛の意味を貴殿はわかっているのか?」
フィリスは俯いた。申し訳ありません、ともう一度答える。アレスティオンは険しい顔をしていたが、唇を引き結ぶと視線をあさっての方へそらせた。
「まぁ良い、あと少ししたら大神殿で聖女の儀式がある。すぐに向かうぞ」
「はい」
足音高く歩き始めたアレスティオンの後ろ、フィリスはまたトボトボとついていった。
大神殿にて、祝祭の始まりを象徴する、聖女による祝福の儀が始まった。
いつものようにアレスティオンがエレノアの近くに立っている。だが、この日は聖女の祝詞が終わったあとも沈黙が続いた。
ざわつきが広がる中、エレノアの顔が焦り始める。だがアレスティオンは素知らぬ顔のままだ。
焦って目を泳がせていたエレノアだったが、一度目を閉じる。それから深呼吸し、キッと前を見据えた。両手に力を込めるように組み、真摯に祝詞をつぶやく。
長い沈黙の後、エレノアの長衣が、ふわりと揺れた。
「……!」
風は次第に光を帯びて、エレノアの周りを懐くように周り、それから外へと広がっていく。それは控えめで、優しく、まるでエレノア自身のような静かな光だった。
アレスティオンが、眉間の皺を少しだけ和らげた。それからすぐに、いつもの顔に戻る。
その瞬間、光が強くなった。
先ほどまでの静けさが嘘のようにごう、と風が吹く。
誰の目にも明らかな祝福の光が広がり、花火のようにパッと散って群衆に降り注ぐ。
歓声が沸いた。
胸を撫で下ろしたエレノアが、ちらと横の神官長を見る。相変わらずアレスティオンは素知らぬ顔のままだ。
エレノアは少しだけ微笑んで、それから立ち上がった。
群衆に手を振るエレノアは、いつもと違う、自信に満ちた顔だった。
フィリス、と呼ばれて振り返る。アレスティオンが、真剣な顔をしていた。
「貴殿に一つ、面倒ごとをたのみたいのだが、頼まれてくれるか」
フィリスは頷く。
「もちろんです、何なりと」
即答するフィリスを、アレスティオンがどこか眩しそうに見た。それから微かに首を振る。再び目を上げた神官長は、いつもの険しい顔だった。
「罠を仕掛ける。その餌になれ」
「は……はい……」
戸惑いながら、フィリスは頷いた。




