3.奇跡の練習
アレスティオンは、ピリピリしていた。フィリスの資質を目の当たりにしてから、聖女の資質認定そのものを見直す必要が出た。それに合わせて選別方法を一から組み直し、候補者を選び、時には直接会った。一刻も早く次代たり得る者を見つけなければならない。それなのに、秋の祝祭の準備も進めなくてはいけない。さらにはフィリスが何か思い悩んでいるらしき様子だが、時間を割く余裕はない。しかもそのフィリスは、専属護衛だと言うのに、最近しょっちゅう消えるのだ。本来なら、ありえない事である。
「ん? フィリス?」
今日もまた、専属のくせに呼んでも来ない。神官長はムッとした。
ドアの外を覗くと、別の護衛騎士が立っていた。
「フィリスはどうした?」
「はい、あの、聖女様が……」
「……またか」
アレスティオンは、さらに渋い顔になった。眉間の皺を指で揉み、苛立ちまぎれの息を吐く。護衛騎士がびくり、とするのがわかった。
その頃フィリスは、エレノアに手を引かれて中庭にいた。
「今日は、この花でやってみようと思って」
「そうですか」
日向で萎れた野花を前に、エレノアは真剣な表情だ。そっと茎の部分に手を触れて、反対の手でフィリスの手を握る。フィリスは、されるがままになりながら、尋ねた。
「あの、本当に自分は必要なんでしょうか?」
「必要です! フィリスがいた方がうまくいくことが多いんです」
「そう、ですか……」
最近のエレノアは、一人で奇跡を使う練習に余念がない。そうして、ほぼ毎回と言っていいほどフィリスは付き添っている……最初に成功した時と同じ条件に揃える、というのは、わからなくもない。フィリスとしてはそこに自分の必要性は全く感じない。だが、エレノアの緊張がほぐれるのなら、ひいては奇跡の練習の一助になっているのなら、と状況に甘んじている。
護衛を離れる後ろめたさはあった。もちろん、必ず代わりを付けるようにはしているが。
アレスティオンのそばを離れるのは、真面目に考えれば護衛任務を放棄するも同然だ。なのにむしろ、フィリスはほっとしてしまうのだ。それが余計に、罪悪感に拍車をかけた。
しばらく目を閉じていたエレノアは、ため息をついた。
「だめです……なんだか今日は、うまくできない……」
すっかり俯いたエレノアに、フィリスは明るい声で言った。
「ここは暑いですからね。ちょっと木陰で座りましょう」
「……はい」
二人は木陰に入って並んで座った。秋が近いといっても、よく晴れた日はまだまだ暑いのだ。涼しげな風が吹き抜けていくたび、隣に座る肩の力が抜けていくようだった。
しばらく黙っていたエレノアは、悩ましげに首を捻った。
「うまくいく時といかない時の違い、少しずつわかってきたんです。でも、まだ感覚だけで……。さっきみたいに全然ダメな時もあれば、何かが噛み合うように感じる日もある。でも、なかなかうまく掴めない」
「そうなんですね」
「いつまでもフィリスにいてもらう訳にもいかないですから、早く自分でできるようになりたいんです。フィリスを連れ出すと、いつも神官長に嫌がられますし」
「へぇ……」
それは、知らなかった。フィリスは少しだけ目を見張った。
「この前なんて、『私の護衛騎士をあちこち連れ回すな、聖女のための騎士がちゃんといるだろう』って、こーんな怖い顔で言われちゃいましたよ」
「ははは」
エレノアが、神官長の真似をしてみせた。さして怖くない表情で、眉間にいっぱい皺を寄せている。それが余計に可愛らしくて、面白い。
フィリスが笑ったのに満足そうだったエレノアは、けれどもすぐに、はぁ、とため息をついた。
「今のところうまくいくのは、ほんの少しの治癒と、それから祝福だけなんです」
「ああ、浄化はなかなか王都内では難しいですからね。澱みも無いですし」
「ええ……」
エレノアの表情が、じわりと暗く変わった。
「澱み……あれは苦手です。すごく気分が悪くなる」
「そうなんですね」
「また祝祭の後、冬の巡礼で澱みに行くのかと思うと、少し憂鬱です。巡礼は楽しみなんですけど……」
「そんなにですか?」
「フィリスは、澱みが平気なんですか?」
「ええ、まぁ。ジメジメしてるな、とは思いますが」
「へぇ……いいなぁ」
エレノアが唇を尖らせた。
静かに木漏れ日が揺れる。風が吹いて、葉の擦れる音が二人の間に響く。途切れた会話を再び繋ぎ直したのは、エレノアの一言だった。
「——私の名前、ほんとはエリなんです」
「え」
フィリスが思わず隣を見る。エレノアは、遠くを見るような目をしていた。
「今の名前は、聖女になる時、もっと威厳ある名前の方がいいって、神官長が付けてくれました。歴代の聖女の一人エレニアにあやかってエレノア、と」
「そう、だったんですね……」
エレノアの髪が、夏風に揺れる。足を投げ出して座る姿は、年相応の……「エリ」という名の、ただの子供が少しだけ垣間見えた。
「聖女になる時『もし、ただのエリに戻りたくなったら言え』と神官長は言ってくださいました」
「……!」
フィリスが目を見張る。だが、エレノアは気づかないまま続ける。
「でも、私、考えてたんです。ずっと」
エレノアは、木漏れ日を眩しそうに見上げた。涼しげな風の音が、葉擦れの音が、二人の間を通り抜けていく。
「巡礼は、大変だったけど、楽しかった。知らない街に出かけられるのも、知らない人たちに会うのも、初めて見るものに触れることも……フィリスと、街で食べ歩きしたのも、すごく楽しかった」
にこ、とエレノアは笑う。
「いろんな人たちから歓迎されて、感謝されるのも、すごく、嬉しかったんです。私ちゃんと出来てるかなって不安だったけど、みんな喜んでくれて……」
エレノアはいつしか真剣な顔に変わっていた。
「だから、冬の巡礼は本当に楽しみなんです。また外へ出られる。新しい何かを見られるかもしれない。それを思えば、澱みで少し気分が悪くなるくらい、平気です」
もう一度、やってみます。そう言ってエレノアがまた花の元へ行く。フィリスも立ちあがろうとしたが、そこにいてくださいと言われて座り直す。
「ちょっと、一人で頑張ってみます」
「わかりました」
エレノアが、目を伏せる。小さな声で祝詞を唱え、ほとんど枯れかけた花にそうっと手を添えた。
うまく行くといいなぁ、とフィリスは思った。うまくできる回数が増えれば、それはきっとエレノアの自信になる。
未だ夏の名残りを色濃く残す気温が、肌をじわじわと焼く。風の音。遠く、神殿で生きる人々の気配。
陽にさらされたエレノアのこめかみから、汗が一雫垂れ落ちる。それにも構わず、エレノアは一心に花を見つめ続ける。
その時、陽光の反射の中にキラキラとした光がうっすら見えた。
「……できた」
エレノアが顔を上げる。
フィリスは、にこりと笑って拍手した。




