2.フィリスの悩み
残暑の残る季節になった。いよいよ、秋の祝祭が近づいてきた。
夏の巡礼が道半ばで切り上げになって以降、神官長アレスティオンは躍起になって机に向かうようになった。何枚もの書類をめくり、あちこちに出掛けていく。妙齢の女性との、神官長直々の面会の回数がグッと増えた……このあたりで、ようやくフィリスは思い至った。どうやら、次代の聖女候補を探しているらしい。だが、夏の巡礼では聖女エレノアが独力で奇跡を成功させた。急ぐ必要は無くなったはずだ。
フィリスは、夜遅くまで机に齧り付く生活を続けるアレスティオンが心配だった。何度か理由を尋ねてみたものの、いつもはぐらかされてしまう。
「貴殿は知る必要のないことだ」
決まってアレスティオンはそう締め括った。その度に、フィリスは顔を曇らせる。まるで信用に足らないと言われているように聞こえた。
——実際、その通りなのかもしれない
フィリスは自嘲した。
先の巡礼で、フィリスは護衛騎士としてあるまじき失態を……神官長に致命傷を負わせるという、許されざる事態を招いてしまったのだ。
エレノアの奇跡の力により、命こそ助かった。だが守れなかった事に違いはなかった。その事がフィリスの胸の奥に、深く苦い影を落としていた。
払拭するかのように、フィリスは今までよりもずっと訓練の時間を増やした。護衛任務のない時間のほとんどを費やすように。
また、模擬戦では多対一の戦闘を特に繰り返した。だが、何度やってもフィリスが納得いくことはなかった。
——もっと疾く、もっと鋭く、そうでなければいけない
半ば強迫めいた焦りが、フィリスを訓練に駆り立てる。だが、そう上手くは行かなかった。理由は単純で、付き合ってくれる人員が少ないのだ。
強くなるために必要なんだ、というフィリスの訴えを、誰もが苦笑いで聞き流すのだった。
陰鬱なため息をつきながら、フィリスは一歩横にずれる。死角から振り下ろされた木剣を避けたのだ。
「わっ?!」
そのまま地面につんのめった騎士の背中に、木剣の柄を垂直に叩きつけた。ゴスン、と鈍い音が響き、騎士の体が地面に沈む。
「うっ、うぅ……」
背中を強打された騎士が、地面に這いつくばりながら呻いた。
土埃が立つ中、同じように地面に伸された若者達が、口々に泣き言をうめいた。
「もうやだよぉ、怖ぇよ……」
「なんで今のわかったんだよぉ……」
「後ろに目がある……」
一人立つフィリスは、苦笑した。多対一の模擬戦に付き合ってもらう代わりに、稽古をつけているのだ……ここ最近では特に、付き合ってくれる者が減る一方だ。その中でも真面目に向かってきてくれた彼らは、実に貴重な後輩だ。
「息遣いがうるさいから後ろに立ってもすぐわかるんだ。もっと息を殺して」
フィリスが親切心で助言をすると、若者たちは顔を引き攣らせた。
「無理だよ……」
「無茶苦茶です……」
「助けて団長……」
どうやら、必要以上に自信喪失させてしまったようだ。フィリスは頬を掻き、木剣を小脇に抱える。
その時、遠くから団長の声がした。
「おーい、若造共。一本取れたら終わりって言ったろ? いつまでやってんだ」
「……」
「……」
「……」
「あっ?! 取れてないのか?! 三対一で?! 馬鹿か?」
若者三人が、地面の上で目を逸らした。バツが悪そうな彼らの横に歩み寄り、フィリスはしゃがんだ。
「みんな、木剣の重さに振り回されてる」
「うっ……」
自覚があるのか、一人が小さく呻いた。良いことだ。フィリスはにこりと微笑んだ。
「刃先を思った場所に固定できるように、そのためにも基礎練習をしっかり積んだほうがいい。素振りの時、もっと刃先を意識して」
「はぃい」
「肝に銘じます」
「ご指導ありぁとっしたぁ〜」
悲壮な表情でどうにかそれだけ口にすると、三人組はパッと立ち上がる。深々と頭を下げて、次いでドタドタと走っていく。まるで逃げるように。長丁場になった乱戦で疲れ切ったのか、三人とも足取りがよろよろしていた。
フィリスは、遠ざかる背中をポカンと見送った。
「……やれやれ」
フィリスの隣まで来た団長が、呆れ顔で頭を掻いた。
「お前は……以前何度か有志の討伐隊に参加しているんだったな」
「はい、神殿騎士団に入る前までですが」
団長室で、フィリスは執務机についた団長に向き合うように立っていた。訓練からそのまま連れてこられたので、甲冑もつけていない。団長のほうも、今日は護衛任務はないのか、軽装だ。
「実は、その討伐隊のさらに上、討伐騎士団から打診があってな」
「え?」
目を瞬かせるフィリスを、団長が椅子の上から見上げる。
「正直、護衛騎士ではもうお前の強さは持て余すんだよな。俺もお前とばかり打ち合わされるのは勘弁してほしい。そろそろ人前で盛大に負かされちまうんじゃないかって毎度ヒヤヒヤしてるよ」
「そんな、自分はまだ……」
「いいや。時間の問題だ。わかるよ」
「ですが……」
納得いってなさげなフィリスをどう思ったのか、団長は苦笑いを浮かべた。
「ま、俺の沽券を守るために手加減しろなんて、情けないことを言うつもりはないんだが」
団長の顔が、一気に真剣になった。
「全力で打ち合える相手の少ないここじゃ、お前の力はこれ以上伸ばせない。それはわかってるよな?」
フィリスは、かすかに顎を引いた。痛いところを突かれてしまった。
「このままここにいても、お前は今以上に強くはなれない」
「……!」
「な? そいつはちょっと勿体無いだろう? だが、討伐騎士団に配属されれば、環境は大きく変わる」
団長は片手を差し出し、フィリスの目の前で指折り数えて見せる。
「まず一つ、そもそもの実戦の回数が段違いだ。二つ、当然団員の練度は高いから、訓練相手に事欠かない。三つ、給金も額が違う……いやまぁ、こいつは、お前さんにとっちゃ、さして重要じゃないか?」
「自分は……」
フィリスは、困ってしまった。
団長の言うことは、最もだった。日々模擬戦の相手もいなくなるここでは、訓練による向上が望めないのは確かだ。また失態を晒さないためにも、強くなければいけない。だが、強くなるためにはここを離れなくてはいけないというのは、思いの外フィリスの胸に重く落ちた。
俯いたフィリスを見た団長は、まぁ、少し考えてみてくれ、と言った。
「神官長の説得は、必要なら俺からも言ってやる」
あのお方の相手は骨が折れそうだが、なんとかしてやるさと団長は肩をすくめた。
「……はい」
フィリスは、浮かない顔のまま返事をした。




