1.懐かしき時代
聖女タリアは、飾らない人だった。
いつも長い髪を一つの三つ編みにして背中に垂らしていた。その長く伸びた三つ編みがまるで生き物の尾のようにひょこひょこ跳ねるのだ。聖女の長衣の裾をたくし上げ、足にピッタリと沿う柔らかな革靴を履いて、早足で神殿中を忙しく歩き回っていた。護衛たる筆頭騎士は、いつでも小走りで彼女の後を追っていたものだ。
治癒、祝福、浄化……依頼があれば、彼女はなんでもこなした。治療院にいる何人もの病人は、その日のうちに皆帰っていくのが常だった。神殿騎士団の装備を一度に全部祝福し、神殿の敷地内丸ごと全て浄化した。手を貸して欲しいと頼まれると、いつでもにこりと微笑み頷く。そうしてただひとたび祈れば、人智を超えた奇跡が起きるのだ。
歴代に類を見ないほどの素晴らしい聖女だと、神殿の誰もが口を揃えて言った。事実、彼女の代になってから澱みはほとんど見ることがなくなり、王都のよほど端まで行かなくては見つからないくらいになったという。
「ガシャンガシャンうるさい、と叱られたのだ」
ある日から、筆頭騎士が甲冑を着なくなった。最低限の革装備だけになった理由を問うたとき、困った顔でそう言われたのだった。
「俺はこの通りの軽装だから、聖女様を守るので精一杯だ、神殿の護衛は貴殿らに任せたぞ」
肩の装甲を叩かれて、激励されたのを昨日のように覚えている。とんでもないお嬢さんに仕えることになった、とそのとき思ったものだ。任務の重さに……そしてその素晴らしさに、知らず震えた。
聖女タリアが大結界を構築した歴史的な転換点の、ほんの半年ほど前だった。
——ストラトス卿、と声をかけられた。
男は、物思いに耽っていた顔を上げた。夜の執務室、静かな虫の声が細く開けた窓の向こうから聞こえる。
人影が部屋にあった。
ストラトス、と呼ばれた男は、一つしかない影を見て眉を上げる。何が起きたかを察知し、沈痛な声を出した。
「——そうか、ルカスは死んだか」
「は」
影、もとい黒衣の男が、跪いた姿勢のまま頭を下げる。ストラトスは深く深く息を吐いた。落胆と哀悼が混じり合ったため息だった。
「惜しい者を亡くした。まだまだ伸びると期待していたのだが……」
「護衛騎士に斬られたようです」
「そうか。今の神殿にも骨のあるものがいるようだ」
ストラトスが、少し意外そうな声を出す。
黒衣の男は、淡々と報告を始めた。
「神官長が聖女の元にいたので、予定が狂いました。共に連れていた数名も、護衛の足止めで皆斬られました。神官長に致命傷を負わせることには成功したのですが、そのあと、どうも聖女による治癒の奇跡を使ったようで」
「何?」
ストラトスが眉を顰める。
「聖女の私物化もここまできたか……」
忌々しそうにストラトスは吐き捨てた。あまりに嘆かわしいことだ。
「死んだ者たちは、討伐で華々しく散ったということにしろ。見舞金は弾んでやれ」
「……ありがとうございます。彼らも報われましょう」
黒衣の男は、深々と頭を下げた。それに鷹揚に頷き返してから、ストラトスはふと首を傾げる。
「先の襲撃も、護衛に防がれたのだったな。同じ者か?」
「は。今年から、騎士団の腕利を専属護衛として昼夜問わず侍らせているようです」
「なるほどな。こちらの動きを察知し身の回りを固めたか」
ストラトスは、何かを考えるように顎に手を当てた。短い髭を指で撫で、目を細める。
「……その専属、邪魔だな」
「消しますか」
「いや、相当な腕利きだ。一筋縄では行くまい」
ストラトスの思案顔が、灯籠の光に照らされる。
「ここは一つ、正攻法で行こう」




